+--- Cinema Memo ---+
■ �狄広瓩鯆眠瓩垢襪箸いΔ海函屮凜�レッジ」
2004年10月05日(火)
※ネタバレ気味です。観る予定の方は先入観を損ねると面白さ半減なので、できれば観終わった後にお読み下さい。
「サイン」では衝撃のなんじゃこりゃクリーチャー出現に(あらゆる意味で)度肝を抜かれつつも、超自然的テーマを扱う距離感に感じるものがあったため、それとホアキン・フェニックスが出てるので今回も観に行くことにしました。
結果は、豪華キャストにも関わらず一番良かったのは盲目の娘を演じた新人のブライス・ダラス・ハワードだったということ。無垢でひたむきな村娘から、愛する人と村のために意思を持つ巫女的変貌が良かったー。ホアキンも、もちろん良かったけど、途中から主人公は完全に彼女になり、ひきこまれる。
実は魔物が登場したあたりでオチがわかってしまったのですが、それはそれでまあ置いておいて。
私がこの映画でとても興味深かったのは、�狄広瓩良舛�方です。以前から、アメリカ人の森に対する意識は、日本人のそれとはかなり違ってるように思っていて、興味を持っていたので。
日本の森は(樹海を別にすれば)山を越えれば終わるもの、という意識だけれど、アメリカの森は広大すぎる。迷い込んだらそれこそ終わりのない、そして禍々しい何かが潜む恐怖の象徴…そう、ブレアウィッチやスリーピー・ホロウ、ツイン・ピークスに描かれたあの�狄広瓠�
また同時に、ビッグ・フィッシュや村上春樹作品に登場するようなイニシエーション=そこをくぐり抜けることによって主人公の内面や時空そのものが違うものへと変化する象徴の場でもある、と勝手に解釈をしてます。
この作品でも、森はこちら側とあちら側を隔てるもの――恐怖と変化、両方の面を持っています。突然、落とし穴のようにぽっかり口をあける穴はまぎれもない死の象徴(というか、本当に死を招く)。怖ろしい魔物の棲む禁断の森を歩む盲目の娘の姿は、まるで黄泉へ降りていくオルフェウスのようでもある。
恋愛や共同体という群像を描いている分、また仕掛けに凝っている分、前作までのような強い求心力がややぶれてしまっていたり、ラストにカメオ出演の監督自ら提示する「ありえねーだろ」的考証だとか、今回も脱力しちまうクリーチャーとか、ツッコミどころは多々あるのだけど、でもやっぱりどこかにこの人の目指す「超自然」への感覚(というかそれを描く距離のとり方)は独特のものだし、捨て置けない自分を感じてしまう。
懲りずにヘタレ(失礼)なクリーチャーで勝負してくるのも、なんかかえって「もう好きにやってー」という感じで、また次作を楽しみに待ちますかー。
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Written by
S.A.
映画好きへの100の質問
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