|
ゆびさせば、かなた。
2003年10月07日(火) 無駄なものをいくらでもかかえて、でかけられる、(遠くへ。ひとりで。)そういうなにかをもっていたい。じぶんはにんげんである、と、どこかで、信じきっていて、(とても、かなりの、つよさで。)とうに、にんげんになろう、という気はなくなってしまったのかもしれない。なくしてしまったのかもしれない。みためが、にんげんだとか、遺伝が、とか、生物学的にとか、まったく、関係がない。どこかで、じぶんはにんげんである、と、歯止めをかけている、そのような気がする。たとえば、この目は、にんげんのためで。たとえば、この耳は、にんげんのためで。たとえば、この口は、にんげんのためで。たとえば、この手は、にんげんのためで。たとえば、この足は、にんげんのためで。身ひとつ、で、生きることができない、というのは、いったい、どうしてなのか。無駄なものをかかえたい、と思うのは、なんなのか。建物も、音楽も、言葉も、あなたも、その道も。指させば、かなた。なにものでも、かかえてやる。(とりあえず、歩いてみる。) |