Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?それまでこれから


2004年07月06日(火) 知れば知るほど

「マッチスティック・メン」という映画を友達の家で鑑賞した。お喋りしながら見たので全然集中できなかったのだが、映画自体は大変面白かった。ストーリーは(どんでん返しも含めて)ありきたりと言えばその通りであるし、矛盾点を探せばキリがないほどたくさんあるのだが、何しろ俳優陣が全て良いから問題はない。ニコラス・ケイジの達者さには今さらながら驚いたし、とっくに成人しているのに14歳の子供を演じて違和感が全くないアリソン・ローマンも、友達の絶賛ほど良いとは思わないものの、堂々の名演だったことに異論はない。演出的には真夏の直射日光がコンクリートに吸収されてジリジリと暑い屋外、対するに無機質でひんやりとした冷たさの室内(主人公が潔癖症という設定だからなおさらだ)のコントラストが目にも鮮烈なる一作であった。DVDでレンタルして見るくらいの価値は間違いなくあるので暇のある方はどうぞ。

これだけでは何なので、今日は政治の話でもしましょうか。こういうことを語るのは、どうもカッコ悪いので気が引けるのだが、時節柄仕方がない。

ご存知の通り、参院選がすぐそこまで迫っている。私にとっては通算3度目の選挙だ。思えば初めて投票という行動を起こしたのが2001年の7月、この時の首相は既に小泉さんだった。当時の小泉首相の人気は今考えると笑っちゃうほど凄まじく、18世紀のロマン派作曲家もかくやと思わせるほどのライオンヘアーを引っさげて、政党CMには自分の好きなミュージック・グループ「X Japan」をBGMに指定して若い者の気持ちが分かる事をアッピール、改革の断行と自党内の抵抗勢力との対決を宣言して革命家を気取り、他方、国民には「痛み」に耐えることを訴えかけ、ある時は両国国技館に赴いて「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」と星野仙一ばりの扇情作戦を展開し、またある時は突然北朝鮮訪問を決めて電撃的に金総書記と会談する、この非常に劇場型というかカメラ目線での政策方針が殊更ウケて、痩せても枯れても純ちゃん純ちゃん、純ちゃんじゃなきゃ夜も日も暮れねえぐらいの人気を早々と得たのであった。

それから3年たった今、純ちゃんがやってきたことはどう反映されたのか。
「改革するぞ!」の意気込みは本当に意気込みまでがせいぜいで、その実なあんにも変わっていない。道路公団の推進委員会として立てた「七人の侍」も、火事場の土壇場で造反者を捻り出してしまったのが良い例だ。改革なんて全然進んでないじゃないか、と言われれば、「改革はちゃんと進んでいる」の一点張り。進んでないのに進んでいると言い張るのだからそもそもお話にならない。結局、増えたのは国民の「痛み」ばかりだった、というお粗末さである。また、せっかく首相自ら平壌に飛んでおきながら、うやむやな理由で被害者の生存の確認をせずにすごすご帰ってくるなんて醜態をやってのける。「拉致問題には時間をかけることが必要だ」なんて仰っていたが、それは被害者家族(この場合は日本にいる肉親を意味する)に残された時間のことをちゃんと考えた上での発言だろうか。被害者と被害者家族の対面が果たせなければ、仮に拉致問題が解決したとしてもその意義は半減してしまう。なのに、小泉さんは悠長でのんびりとした態度をずっと続けている。まさか、被害者の帰国を段階的にすることで人気を維持しようなんていうセコイ考えではないでしょうね、とどうしても勘繰りたくなる。一応、被害者も帰ってきているのだから小泉首相の訪朝を評価すべきだなんて声もちらほら挙がるが、そんなアホらしい話はない。拉致問題の進展具合をマラソンに例えるとすれば、まだ折り返し地点にも至っていない段階でぜえぜえはあはあ言っているようなものなのだ。こんな状態で「よくやった」と声を掛けてもらおうとしているのだから如何にも考えが甘い。正当に評価されたいんだったらマラソンを完走してからにしろ、と言いつけてやりたい。

選挙前に小手先の政策を施すのも嫌なところである。去年の衆院選挙を思い出して欲しい。投票日の直前、小泉さんは道路公団の藤井はるほ総裁を解職した。藤井氏は道路族のボスであるから、諸悪の根源である事は確かだと思うが、投票日を見越して事を起こすと言うのがいかにも汚い。加えて、選挙ポスターに当時人気が出始めた安倍官房長官を小泉首相と並んで載せ、いかにも彼が政治の手綱をとってゆくというイメージを植え付けさせようとしたことも忘れられない。そんな安易な策で有権者がだまされると思ったのだろうか。「安倍さんて素敵だから投票しようかしら」と世のおばさんが考えると本当に思ったのだろうか。やり口があまりにも稚拙だから、こちら側も手の内が否が応にも分かってしまうのだ。こんなズブの素人の私にまで狙いを読まれてしまってはダメである。今度の選挙に関して言えば、拉致被害者家族の帰国と曽我さん家族の再会がどうやら素材として使われたようだ。事柄そのものとしてはめでたい事だが、「選挙に利用」という言葉がちらつくのは確かである。今まで、これほどあからさまに選挙を意識した政策を執り行った政権はなかったのではないだろうか。

そして極めつけは年金に関わる諸問題である。江角マキコから端を発し、未納3兄弟が6兄弟やら10兄弟にまで膨れ上がり、菅さんもイカンザキも未納、福田官房長官はこの騒動のとばっちりを受けて職務を辞し、とうとう小泉さんその人の会社員時代の未加入が明かされて糾弾の憂き目にあった時、あの森善朗前首相も真っ青の伝説的失言「人生いろいろ、会社もいろいろ、総理もいろいろ」が公共の電波に放たれたのである。そうか、そこまで言うのか。だったらこっちだって「国民もいろいろ」とのたまって年金も税金も払わなくたって良いんだな。それが理屈というものだ。もしそういうことだったら話はトントンだが、現状はそうではない。今の世の中は真面目で正直な人間ほど損してしまうように出来ている。どうせなら、小泉さんやその他の政治家みたいに未納未加入を決め込んでおきながら議員年金30万で極楽とんぼの生活をした方が良い、ということになる。馬鹿馬鹿しくてやってらんないとはこういうことを言うのである。

政治的知識が全く乏しい青二才で頓馬な私でさえ、小泉首相の失政を偉そうにもこんなにあげつらうことができる。人生経験の豊富な有権者の方々は私の何10倍も腹を立てているに違いないだろう。実際、立花隆を始めとした多くの有識者が小泉首相を批判しているのだ。ただ、反対に純ちゃんを高く評価する向きも、あるにはある。確かに景気の面では小泉さんが首相になってから(もっと言えばアメリカの大統領がブッシュさんになってから)良くなってはいる。だが、これはリストラが功を奏した結果であり、またアメリカに絶対服従の意を表したご褒美であり、あるいは戦争による利権獲得によるものなのだ。決して経済そのものが成長しているわけではない。そして、その影で個人情報保護法案や住基ネットなど、政府の権力を強める法律を次々と作り出してる。国がどんどん右傾化し、排他的になり、政府に従わないものは隔絶される向きが強くなっている。これはいよいよ恐ろしい事ではないか。先頃も政府は教育基本法の要綱に「愛国心」なる言葉を盛り込むことを決めた。果たして愛国心とは何なのか、ここで詳しく考えるのは長くなりそうなので止めるけれども、今の世の中で愛国心を唱えるなんてことは、国のために個人は犠牲になれ、ということを大っぴらに言っているようにしか思えない。国は愛するとか愛さないとか、好きとか嫌いの問題で片付けられる代物ではない。その国に住んでいる以上、少しでも良い暮らしを求めるのが当たり前であり、そのために周りの人たちと話し合って住みよい社会を作り上げようと努力する事が、結果的には「愛国心」に辿り着きそうな気はするが、それは各個人が自分の心の中で思っていればよいことで、少なくともハナっから押し付けがましく宣言されるような事ではない。なのにイチイチ公器の文章に入れようと画策し、それがあっさり認められてしまうところに現代日本の空恐ろしさを感じる。おそらく今の日本は、あの第2次世界大戦時と同じようなファシズム政権の初期段階に達していると思われる。ならば今度の選挙は今後の日本のたどる道筋が定まるまさに岐路にあり、このまま小泉さんに任せて突っ走らせるか、何とか楔を打ち込んで立ち止まらせるか、二つに一つを選択する時である。私としては、小泉さんをこれ以上暴走させるのは良くないと思う。断っておくが、別に民主党がいいというわけではない。社民党や共産党の思想に共感を得たわけでもない。しかし、この状態で小泉首相の自民党を選択する事がベターだとはどうしても思えない。ならば、他の政党に一度で良いから下駄を預けてみたいという気持ちになる。ある有名人(誰だったか忘れた)をして、「戦後最悪の人物」と評された小泉さん、おそらく彼は悪人ではないのだろう。あんな失言が出てきてしまう人はおそらく根は単純な筈である。黒幕はどこか別のところにきっといる。そして小泉さんを傀儡にしてほくそえんでいるはずだ。だから、今の状態を打破するには小泉さんが首相を辞任するだけでは適わない。自民党内にいる真のボスを倒さなければならないだろう。そういうことも含めて、自民党は少し冷却期間を置いたほうがいいのかもしれない。今の政治に大きな不満があるわけではないが、小泉さんの数々の醜態を見た以上、この先に待っている事はある程度予測がついてしまう。選挙の結果ががどうなるか、無学な私には皆目見当がつかないが、いずれにせよ国民決断の時は近い。


橋本繁久

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