ドタバタ奮闘記
ももやまとナナイ



 遠い別れ、近くの別れ

遠い別れより、近くの別れのほうがつらい。
でも、遠い別れも近くになれば実感してつらいかも。
今週、懐かしい人がこっちに滞在していました。
その間、お世話になった人がお亡くなりになりました。
そして滞在していた方は本日戻られるそうです。
あっという間のようで、とても長く感じた一週間でした。
私はご自宅を知らないのでお線香を上げに行くことも
出来ないし、仕事もあったので葬儀にも出てません。
それでも気持ちだけ・・・と話し合っていたので
上の人が喪服を着て出かけていくのを中から見てました。
休みの人たちも、辞めた人たちもついていってました。
でも私はそんなに大きなショックは受けませんでした。
遠くからだったからでしょうか?
私は出会いや別れなどが苦手で、パニックになることが
あります。けど、長く一緒にいても、遠く離れていたら
何も思わないものなのでしょうか。
祖父母宅の犬や猫とは私が生まれてからずっと付き合いの
あった長さでしたが、なくなったと聞いて「そう・・・」
としか思いませんでした。その前の犬のときは私が
幼かったため、悲しんだことはありましたが。
人も同じです。会うことが少なくなると、親族でも
なんとも思うことがありませんでした。
近くの親族が死んだとき、覚悟ができていなかったのか
私は泣きました。飼い猫のときも・・・。
そして今日、笑ってお疲れ!と帰ってしまえばよかったのに
戻ってしまって引き止められて、今日帰るからと
本人に言われてしまいました。もう先にほかの人から
聞いていたけれど少しぐらついて。アドバイスももらって。
そのアドバイスがちょっとせつなくなって。
私は本当に別れを実感してしまうともろいんだな、と
思いました。必ず別れはあるのだから近くの人と仲良くしたら
いけないんだという考えがどこかにあるのでしょう。
人と接するのは避けています。
それでも長くいすぎたな、と思った。
その人は一度、何の挨拶もなしに消えていたけれど
挨拶があった人に対してはものすごく臆病になって
あとで悲しくなる。だから今日、悲しくなりました。
それでもなかずに我慢しているのは進歩かもしれない。
まるで、今週の出来事を我慢していたかのように悲しさは
あふれ出てきます。遠い場所、メールだけ
インターネットだけでの交流なんかでは何も感じません。
実感するからこそ、悲しみは出てくるのかもしれないと
思いました。生きていればいつかどこか出会うかもしれない
家が近いんだし会うかもしれない、そう考えても
実感すると悲しいものなんですね。
結構ひとって、会える場所にいても会うことって無いんですね。

「中に溜め込まず、本当に話し合える相手を見つけなさい」
私はいつ、そんな人に出会えるのでしょう。
そんな相手を昔は友達と呼んで遊んだこともあったなぁ。
今度はいつ、出会えるのでしょう。

2006年08月25日(金)
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