三丁目の夕日を観た 自分の記憶よりも 少し前の時代という感じがした中で ありありと甦ってきたのは 駄菓子屋の風景だった
ガラスケースの中に お砂糖を固めて色をつけたお菓子や パラフィンに包まれたゼリーなんかが 詰め込まれていて くじ引きのおもちゃがぶら下がっている それはお盆とお正月に帰郷していた 母方の実家だ
今あの店があったら もらっておきたいものが 沢山あったのにと 映画の中で捨てられた冷蔵庫が 同じようにダブって見えた それは単にもったいないということじゃなく 何かもっと 切迫した要求がどこかにある
少し前引越しする夢を見た 街中から離れたその家に 残されたままの枯れた植木鉢なんかを どう手入れしようかめぐらし 日当たりのいい南側の道の向こうには 緑の絨毯が広がり 沢山の墓石が連なっている 緑の終わりは断崖で海の青い水が見える
墓石を臨むわたしの気分は あまりにも清々しくて そこに埋められた屍を恐れるこころが 微塵もなかった まるで自分の終の棲家は 墓守としての役割とともにあるかのようだった
古いものに込められた念を恐れるのは そういう念が自分の中にあることへの恐れだ 手に入れられたその時には ただ今をよりよくという願いがあったはず それが例えネガティブな使われ方をしても 思いの始まりは善なのだ
たぶんわたしは 捨てられてしまったものの中に そういう大切な思いを見ている ただ好きでは片付けられない動機は 墓守という落ち着きどころにあるのかもしれない だから今日もきっと うんうん苦しみながらも 古布を縫っているのだろう
|