武ニュースDiary

* このサイトはリンクフリーです。ご連絡はいりません。(下さっても結構です。^_^)
* 引用は、引用であるとわかる書き方なら、必ずしも引用元(ココ)を表示しなくても構いません。
* 携帯からのアドレスは、http://www.enpitu.ne.jp/m/v?id=23473 です。
* 下の検索窓(目次ページにもあり)からキーワードでDiaryの全記事が検索できます。
* バナーは世己さんから頂きました。
* Se inter ni estus samideanoj, kontaktu al mi. Mi elkore atendas vin, antauxdankon!
目次|前の記事|新しい日記
| 2018年12月16日(日) |
金城武の子ども時代(「PUSH偶像」より)�� |
先日ちょっとお話しした、台湾のアイドル雑誌「PUSH偶像」に掲載された、 金城武の子ども時代の話です。 お母さんが取材に答えて語った子ども時代の逸話を元に構成されています。 1993年発行だと思います(月号はわかりません)。 長いので、3回に分けて(ゆっくりゆっくり)。
無邪気でおかしな子ども時代
子ども時代の話を公開したことのない金城武が、 今回本誌「PUSH」のリクエストにこたえ、 特別に当時の可愛らしい写真を提供してくれた。 武は幼い頃から純真そのもの。 武のお母さんが、末っ子タケシのしでかした様々なことを話してくれたが、 言葉のはしはしには母子の深い絆が感じられた。 今回、愛読者のみなさんのために、武の今日までの歩みを独占取材でお送りしよう!

泣き虫でいつもお母さにつきまとっている―― これが子ども時代の金城武だ。 兄が2人おり、8歳年上と2歳年上である。 末っ子の武は、生まれたときは丸々太った赤ちゃんだったが、 気が弱く、泣き虫だった。 今の男らしい堂々としたイメージは皆無だったのだ。
お父さんは商売で台湾にウナギの買い付けに来て、 美しいお母さんと知り合い、結婚したが、 お母さんが日本の生活に慣れなかったので、台北に新居を構えた。 しかし、お父さんは仕事の関係でしょっちゅう台北と日本を行き来しており、 ときには台北に2カ月、日本に2カ月、という具合なので、 子育ての責任はみなお母さんにかかってきた。 幸い、お手伝いさんがいたので、いたずらっこ子たちを育てるのに 1人でてんてこまいする羽目にはならずにすんだ。
おぼつかない中国語と日本語で、笑い話が絶えず
台湾語を話したり日本語を話したりと、言葉の面での当惑は当初からだった。 その上、小さな子どもの話すことだから、武は隣近所の人をよく面白がらせていた。 家は天母にあり、小さい頃から天母三玉にある寺に行って遊んでいた。 特に草はらで遊ぶのが大好きだった。 ある日、お母さんが階下の雑貨店で、近所の人たちとおしゃべりをしていると、 武が得意気に走ってきて言った。 「おかあさん、おかあさん、と"に"がみさま、たくさんつかまえちゃった!」 雑貨店主が「え、息子さん、土地神様をたくさん持ってきてしまったの!?」と驚いたが、 武が握っていた“戦利品”を見て、はっと気づいた。 武が持っていたのはバッタだった。 台湾語のバッタ(草眠公)が言えずに、土地神様(土地公)になってしまったのである。 「ハーフの子のおしゃべりは本当に面白いよ」と、 人々はしょっちゅう武の言うことにおかしがり、武をからかった。

いたずら者で、驚かされることばかり
やんちゃはやんちゃであったが、お母さんは敬虔な仏教徒で、 よくお寺に参拝に行っていたので、武も必ずついていった。 時には参詣団に交じり、 観光バスで中南部まで1泊2日で出かけることもあったが、 これにも武は決まってついていった。 このように幼い頃からお母さんについてあちこちお参りに行っていたので、 武も自然、仏様の加護やお告げを信じるようになっていた。
またもやお母さんと一緒に観光バスで南部に参詣に行ったある日のこと。 車内でお母さんが目を離したすきに、このいたずら者は、 なんと哪吒三太子(なたさんたいし)の像の手から輪を抜いてきて、 自分の指にはめていた。 すると不思議なことが起こった。 それまでバスでは、大人たちが武に歌を歌わせ、 武は必ず大きな声でテレビのCMソングを歌っては、あちこち動き回った。 ところが三太子の輪を指にはめてからは、まるで仏様が乗り移ったかのように、 歌も歌わず、じっと席に座っていたばかりでなく、何か唱えているではないか。 その変わりように、みな大変驚いた。
武のしでかした事件はまことに多い。 幼稚園の年長組の頃、武はクリスマスイブに、 園からきれいなサンタクロースの絵の描いてあるコップを持ち帰り、 コインをコップに入れて、ソファで飛び跳ねていた。 そして大声でお母さんを呼ぶと、クリスマスの出し物をやってみせた。 夢中になって飛び跳ねる武に、大人たちは拍手喝采をした。 飛び跳ねるのが一段落すると、武はサンタクロースが水を飲む様子をまねして、 クリスマスのコップを持ち上げ、ごくんと飲んでみせた。
ところが! 3枚のコインまで呑み込んでしまったのである。 武は喉を詰まらせ、顔は青ざめ、ひどく苦しそうだ。 お母さんとお手伝いさんが手で喉からコインをかき出したが、 1つ残ってしまった。 どうしても取ることができず、武もびっくりして泣きだす。 お母さんが急いでお父さんに電話をすると、お父さんは聞くなり、 「すぐ帰る、だがちょうど帰りのラッシュ時間だ、どうしても遅くなる」、 だから、先に救急車を呼んで病院に連れていくようにと言った。 電話口ではお父さんの叱責の声が響いていた。 「大人2人かかって子ども1人見られないのか、何を見ていたんだ!」 事は急を要するので、お母さんはすぐに救急車を呼び、武を公立病院に運んだ。
病院で医者はまず武の胃をからっぽにさせ、 それから全身麻酔をして、胃の中のコインをつまみ出した。 「大人だって胃カメラは大変なのに、武は5歳だったんですよ」 お母さんはつらそうに言う。 「でも、あの子は本当に勇敢でしたよ。 胃の中を全部吐き出させても騒いだりせず、おとなしくしてました。 私はガラス越しに見ていたんですが、楽しそうなんです! 看護師が手首にネームプレートを巻くと、とても喜んでいました」 全身麻酔をし、1時間かかって、取り出すことができたのだ。 3日後にまた病院に行き、喉を洗浄してもらうと、武はすぐに元気になった。
腕白ではあるが、兄たちとはほとんど喧嘩をしたことがない。 それというのも、家は二階建ての洋風建築で、スペースにゆとりがあり、 それぞれが自分の場所を持つことができたため、 1つの物を争って喧嘩するということが少なかったのだ。 電子ゲームをしたり、マンガを読んだり…… それが兄弟たちの子ども時代の遊びだった。
ただし、武は”解体大王“だった。 買ってきたラジオや電動おもちゃ、あるいはミニカーなどは、すべて武によって分解された。 ところが、元通りに戻せないので、 みんなバラバラで、完全な形のものはほとんどなかった。 お母さんはまた、武がハサミで クマのぬいぐるみのお腹を切り開いてしまったのを覚えている。 「何してるの?」と聞くと、武はこう答えたそうだ。 「テレビのお医者さんみたいに手術したの」 まったくいたずら者だ!
お父さんは台湾にいるときは、よく子どもたちを連れて外に出かけた。 武はいつも小さい足を伸ばして車の窓ガラスにかけたり、 取っ手にのせたりして、悠々とくつろぐ。 実に幸せなひとときである。
登園に付き添うほかにも、お母さんはよく武を連れて市場に買い物に行った。 あるとき、武は市場でお母さんとはぐれてしまい、警察に保護された。 警官が「お父さんは何をしている人?」と尋ねると、 武は「ヒューヒューヒューッとする人」と答えた。 一日中飛行機で行ったり来たりしている人だということなのだ。 首にかけていた鎖に彫ってあった名前と住所から身元がわかったとき、 ちょうどお母さんが駆けつけ、母子は再会することができた。

コラム 幼稚園時代の金城武はとても可愛らしく、人好きがし、 日本のCMに出てくる子のようだった。 当時から、CMに出ないかと誘われることがあった。 乖乖(グワイグワイ)食品もその一つである。 ただ、お母さんはいつもきっぱり言うのだった。 「だめです、うちの子が芸能界に入るだなんて。 ちゃんと勉強をして、仕事につけばそれでいいんです!」 両親の確固とした方針で、武が”子役スター“の道に進むことはなかったのである。 (続く)
BBS ネタバレDiary 18:30
|