【ツッコミ★日記】

2002年01月17日(木) もうこんなに経つけれど記憶は鮮明に思い出せます。

今日はアノ日から7年目です。

私も年をとったな〜と思いました。



経験したのは小学校4年生の時でした。




私は家族同じ部屋で寝ていて、

最初に大きくドーーーンという音がなり響きました。

休日明けで明日ガッコウに来て行く服とが

枕元に用意されていて....

変わらない日常が始まるはずでした。

地響きと一緒に

すごい縦揺れと横揺・・・

経験したことのない感覚。

電気のカサは余りに激しい揺れで

天井にあたってガンッガンッという音がなっていました。

タンスの上においてあったものが落ちてきて。

時計も耐えきれずに壁からずり落ちてきました。

家中がギシッギシッと軋んでいました。






震度5・・・





震源に近い所にくらべると全然マシなんだろうけど

私の住んでいた所は大阪で一番ひどかったそうです。


地震なんて経験したことのなかった私は

ガッコの避難訓練の時






「あー、こんな事しなくてもいざとなったらできるって。


机の下に逃げて窓開けておいて避難経路作っておくんでしょ?」









そんなこと考えながらしてた私ですが


あの時強がりを行っていたくせに

小学生だった私はすごい恐怖で頭がまっしろになり。

いっぽも動けませんでした。

なにが起こったのかを考えるほど

状況に頭が追い付きませんでした。

じっと身をかたくして


それでも親は

私と弟を部屋のまん中に引っ張りあげて

ものが落ちてきた時のために布団をかぶせて、

自分も上になって体を丸めてかばってくれていました。

私たちは

ただただ早くおさまる事を待っていました。

何秒だったのか何分だったのか

長い長い恐怖でした。






大きな揺れがおさまって、

とりあえず外に逃げました。


ろうかには本棚が横倒しになって

足の踏み場がありませんでした。

食器の破片が台所から飛び出さんばかりに散らばって、

水槽は落ちなかったけど水が半分になって

投げ出された金魚が床で死んでいました。

壁に亀裂が入っている所もありました。



電気が止まって何も見えなくて

止まったことでデンワの受話器がはなれている時になる

電子音が沈黙の中鳴り響いていました。




外に出ると近所の人が同じ様に出てきていて、


何回か余震がありました。


その度に恐くなって泣いてしまいました。


とにかくすっごくすっごく寒くて


暖房もなにもなくて・・


街灯のない月明かりだけの夜明けは真っ暗で。


寒さと恐怖と震えが止まりませんでした。





1時間ぐらいたったのか、もっと短かったのか長かったのか




電気が回復してテレビがつきました。
























その画面からみた景色は、


自分の周りの家よりももっともっと酷いエイゾウでした。









燃え上がる黒い煙り、

横倒しになった高速道路

崩れ落ちた家々

ななめに傾いている高層ビル。

おもちゃのように投げ出されている電車。






そして、助けを呼ぶ人々

はぐれた家族を探す人々

失った家を見つめる人々
























すごいショックを受けました。言葉が出ませんでした。

それからすぐに熱を出してしまいました。


おとうさんがなんとか二階から運んで来た布団に寝て

ずっとそのニュースを見ていました。

それからも何回か家が軋むほどの余震がきて

その度に親にだきついてたのを覚えています。



本当に涙が止まりませんでした。


どうしてこんな事になってしまっているの?

夢ならさめて下さい。





その後1年くらいは1人で眠るのが恐かったです。

今でも些細な揺れでも不安になってしまいます。

一緒に歩いている友達が感じない歩道橋とかの上での

微妙な揺れにも気付きます。






半日くらい経って見に行った2階の自分の部屋は

本当にぐちゃぐちゃでした。

本棚の本が散乱して

ペンを入れた缶が落ちてペンが折れてインクが床に

飛び散っていました。




一段落ついて

心配だったのは西宮に住むおじいちゃんの家でした。

この前も日記に書いていたけど築120年だったし

そのあたりの悲惨な映像がニュースから流れていました。


橋桁が落ちてしまった高速道路。

おじいちゃん家のすぐ近くでした。







夜が明けて夕方になってまだデンワはつながりませんでした。


公衆デンワの方がつながりやすい

そんな噂を何処で聞いたのかまったく覚えていませんが

5時ぐらいに近くの公園の側にあるデンワボックスに行きました。


途中の道でも道路に亀裂が入っていたり

屋根から瓦が落ちている家があったり

まだ現実だと思えないそんな気分だったのを覚えています。


デンワボックスに辿り着くと

長蛇の列が続いていました。

皆、親や親戚や友達や会社や心配しながら

デンワを繋がるのを待っていました。

それでも繋がらずにまた並びなおしたり

心配な顔で帰って行ったり

逆に安否が確認されて安心して帰って行く人




おじいちゃんちに何回目かで繋がりました。

出たのはおばあちゃんで


「こっちは全然大丈夫。心配ないから、おじいちゃんも元気やし

 家も平気やで。大黒柱が守ってくれたわ」



と言う声を聞いて兎に角安心したのを覚えています。


でもそれは子供の私にはわからなかった

余計な心配させないおばあちゃんの強がりでした。

一週間くらいして交通網が回復しだして見に行きました。

そ%


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由貴 [MAIL]

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