■昨日は■ |
11:46 帰ってきてそのまま眠ってしまったので、続きを書く事が出来ませんでした。
父は、私の記憶に残っている時代には既に、一緒には住んでいませんでした。 私と母、父で、フロアが別れていました。 敷地や建物は同じですが、 マンションか何かの様に玄関も違う、トイレも風呂も共有していません。 将来賃貸できるように、部屋の造りもまったく違うものになっていて、 時々一緒に食事をしようと呼ばれると、全く別の家にお邪魔したようで 早く帰りたくてたまりませんでした。でも、仕事の話に相槌を打ちながら、 酒が入り機嫌が良くなった父を見るのは好きでした。 そして、家の廊下を走った事で怒られたり、突然私と母の住む階に来て 何かをされた時でも(離れていたので解らない)、 私を愛してくれているが故の事だと感謝し涙を流し謝罪をしました。 でも、たまに私達の階にくる時が怒られる時なので、玄関のカギの音は今でも恐ろしく感じます。
現在「愛の名を騙った虐待だ」と言われそうも考えますが、 私自身それを聞きながらまだ悩んでいる所があります。 愛の名を「騙って」いるのか、「愛している」とは本当に言い訳なのか 彼だって同じように育てられてきた様ですし、彼にとっての愛とは それしか考えられないものなのではないかと思います。 子供の立場から見れば言い訳でも、私を憎んでいるわけではない(多分)から 騙っているのではなくてそれが真実なのではないかと思ったりするのです。 でも、騙っていても真実でも、虐待として成立するのは確かなんだと思います、 感謝するべきなのかと考えている事自体が親による洗脳だと言う人もいますし。 彼のどの部分に対して憎み、どの部分に対して感謝すればいいのか、 金銭面ではなく、精神的な面での感謝すべき所と、憎むべき所を探しています。 「優しくて、怒ると怖い父」で片付けられるといいのですが、 まだ、どちらか極端に傾くばっかりで、自分の心がひどく狭いように思えて嫌です。 今この文章を見直しただけでも自分がいかにばらついた考え方をしてるのかがよく分かって、 かなり嫌です。でも、そういうのが日記を書く事で自覚できるんだから、いいか。 |
■2001年05月09日(水)■ |
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