坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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何年ぶりになるのだろう。私が18歳で入社をした会社、19年努めて退職をした。退職の気持ちがたかまる中で、その時の課長との折り合いがつかず屈辱の日々を過ごしていた。そんなとき、少しの間でも良いからこの職場から外して欲しいと依頼をしたのが、その当時の副部長。 暫くして、鹿児島で応援依頼が来ているとの事。その仕事をするかと耳打ちされて、即答でOKを出した。その後、半年くらいの間、鹿児島との間を往復する仕事が続いた。
それも、済んで元に戻って状況は変わらず「人生を掛けた行動」として転職を選択した。大げさかも知れないけれど、仕事に対する熱意が無い状態で生活を続ける事が苦痛だった。結果はどうなるかやって見なければ分からない。 転職をして約5年後、現在の会社に再度の転職を余儀なくされたのだけれど、その関連者としていたのが、この副部長。この時は部長になっていた。
転職先は、6名しかいない会社でそこから現在の会社へ派遣要員として仕事をしていた。その仕事の中である出来事が発生した結果、いわゆる圧力がかかり私を追い出す力がかかった。その中心となったのが、なんと皮肉なこの部長だった。 かれこれ12〜3年ぶり、もう少し経過していたかも知れない。現在の会社の役員から子供の就職の応援を頼まれて、昔の事を思い出して電話をしたところ昼食でも一緒にしないかという事であう事となった。 その人も、関連会社に出ていて今は理事になっていた。就職の事は、話として出したけれどコネで何とかなるほど楽な事情ではないとの事だった。
脚の痛みも忘れて昔話で、小一時間の時間を過ごした。
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