坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2002年07月26日(金) 入院と今後の治療について

病院が発行した入院案内書には、受付への来院時刻が13:30となっていた。幾度となく入院を繰り返しているので、これが間違いだと分かっていた。無視してそのままでも良かったのだけれど、ほっておく事も出来ず電話をして10時半に病院へ着いた。この日は、病棟からの迎えもなく一人で病棟のナースセンターへ向かう。そばでは、初めてのような入院患者がいて看護婦さんが迎えに来ていて、荷物を持ったり車椅子で迎えに来ている人もいた。思わず初めての頃を思い出していた。病室にはいると、便秘の処置も頼んでいないのに始まり、オペの時間までにするべき事がドンドンと進んでいる。私の方も、ブロックの後の安静時間の間にありそうな出来事に備えて準備を進めていた。
ブロックのためにオペ室へ行くのは14:00の予定だった。昼食抜きも指示内容なのに、配膳されるのでこちらから『絶食の筈です』と言う始末だった。
オペ室での出来事はいくら同じ事の繰り返しでも、これだけはなれる事はなかった。やはり治療場所が背後で行われる事と、動かないように抱え込まれるようにされる事、手術着に着替える事などが雰囲気を変えているのだと思った。
少しでも気持ちを和らげるためなのか、ラジカセがおいてあり音楽が流れているには驚いた。





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注射の痛みは今までよりも痛いように感じた。最初にする局部麻酔すら痛い。薬剤の注入後の効果は、その場でいくら聞かれても違いは分からない。
この日は決心を決めていたので、事前に看護婦さんに検査結果の写真を借りるための依頼をしていた。「会社の指定病院へ行く必要がある」という名目にしていた。

夕食時間の少し前に、看護婦さんが検査結果の写真を病室に届けてくれた。レントゲンや、ミエロ、MRIなど膨大な量だった。受け取った時は、まるで病院から見放されたような惨めな気持ちになった。

さて、これからの事はどうするのか?
悩みながらベットに横になり、幾度となくウトウトとしていた。時計を見ると、既に消灯時間は過ぎていて21時半くらいになっていた。それから、眠剤を飲んで次に目が覚めたのは深夜の3時頃だった。何となく、寝付けなくなりロビーのソファへ行ってボンヤリとしていた。考える事と言えば、「帰りたい」「もう来たくない」こんな事ばかりだった。暫くして、病室に戻って横になっていたがウトウトしているばかりで6時には、もう寝るのは諦めた。退院時の薬も早く届いたので、11時頃には病院を出た。家に帰る途中に考えていたのは、紹介して貰った病院で果たして何が出来るのか、今よりも遠い所などで通院が出来るだろうかなどと考えていた。


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