 |
 |
■■■
■■
■ 大事なものと、大事でないもの
小さい子どものいる家庭では、ゴミだか玩具だかわからない子どもの遊び道具によく悩まされる。
勝手に捨ててしまうと「あれは、大事なものだったのにー」と泣かれる。 大事なんだったら、ちゃんとしまっておきなさい、と言うのだけど、その理屈はなかなか子どもには通じない。 子どもが大きくなって、こういう騒動はなくなった。 が、時々、掃除をしていてボロボロになったネズミのおもちゃが出てきたりしたときの、我家のニャンコたちの反応を見ていると、「あった、あったよ、これ、これ!」「そう、探していたんだよ!」「うわーい、あったー」と騒いでいるようで、ちょっと懐かしい。で、捨てようと思うのだけど、猫たちの喜びようを見ると、どうにも捨てられなくて、またしまってしまったりする。 かくして、我家にはゴミがたまっていく……と。
まあ、ひとさまにとってはゴミかもしれないが、我家にとっては大事な猫の玩具、遊び道具ということで、ひとつ、ご了承願いたいと思ったりする。 その辺に転がっているダンボールとか。スーパーの買い物袋とか。 決して私が怠惰だから転がっているのではない、と強調したい。 それらは、猫たちの玩具として、ころがっているのだ。 そこんとこ、よろしく、という気分である(なんだかエラソウ)。
ところで、大事なものと大事でないもの、というのは、誰がどういうふうに決めるのだろう。「あれは、大事なものだったのにー」というのが、取り返しのつかないことになるという恐れを感じることなく、「これは処分」と言ってしまえるというのは、どういうことなのだろう。 と、沖縄の話(詳しくは親サイトの猫雑記、17日、18日分を読んでください)を知って、思った。
いやあ、私は子どものゴミのような玩具らしき破片を処分するときでさえ、「これ、いらない? 捨てていい? あとで泣かない?」としつこく聞いて、それでも尚、捨てられてしまう玩具の破片たちに、某かの物語を感じたりするような小心者だから。 希少動物を保護するために、(もとはといえば人間が捨てた)野猫を捕獲して処分するのを当たり前、とは、どうしても思えないのだ。
あ。ゴミみたいな玩具と野猫を一緒にしちゃいかん? そうか、やっぱり……。
◆今朝は、私も寝坊してしまったが、リュウも珍しく寝坊したらしく、登校すべき時間の10分前に起きてきた。で、ひさしぶりに「ひとくちお握り」の登場。1分で顔を洗い、1分で着替え、7分でご飯を食べ、1分で出かける支度をして、出て行った。やれやれ。
* 朝−おにぎり(たらこ&塩昆布←これでご飯大盛り一膳分)、プチトマト、鮭の粕汁(昨日の残り) * 昼−卵と青菜のチャーハン、豚汁(豚肉、里芋、大根、ニンジン、ネギ、レンコン) * 夜−ジャーマンポテト(ベーコン、ジャガイモ、タマネギ、チーズ)、小松菜とネギと揚げの炒め煮、マグロの煮付け、麩と小ネギの澄まし汁
2002年01月19日(土)
|
|
 |