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■ 猫の訃報はほんとうに悲しい……
雅さんが亡くなったと、親サイトの一惠さんが連絡をくださった。 雅さんは、里子に行くまでの一ヶ月余り一時預かりしていた、当時はフィズという名の黒白で、ポッポとジュリナのお母さんだ。
九州で幸せに暮らしている様子を、里親のおニャアニャンのサイトで眺めてはにやにやしていたのだが……。電話をもらったときは、一瞬、言葉に詰まってしまった。
うちに来たときは緊急避難のような状況で、とにかく静かに落ち着いた環境を、と、小学校の3年生だったリュウの部屋を一時、雅さんと息子の公太郎の部屋に充て、リュウは私と一緒に和室で布団を並べて寝ていたのを思い出す。うっかりベッドの布団をそのままにしていたら、トイレにされてあわてて風呂場で汚れを落としクリーニングに出したのも、今となっては笑える思い出だ。
だれかが部屋に入ると二段ベッドの下に篭もったきり出てこなかったのが、ご飯を待ちかねたように姿を現すようになり、少し触れるようになったころ、おニャアニャンのところに旅立った。旅立ちの日は、奇しくも私の誕生日だった。
ポッポとジュリナは別の一時預かりさんのところから我家にやってきて、しばらく雅さんと公太郎と同居していた時期がある。おニャアニャンのところでは、見事なお母さんぶりを発揮していた雅さんだが、あのころはまだ気持ちも落ち着いていなかったのだろう。一ヶ月ぶりにあった我が子ポッポにシャーとして、ポッポが情けなーい顔になったものだ。
そういえば、あみっちだけがなぜか雅さんと公太郎に受け入れられて、時々一緒に過ごしていたっけ……。「同じ白黒だから?」「いや、小さいからじゃない?」などとリュウと話したのだが、正解はわからない。
今、私のパソデスクの下に置かれ冬場はあみっちの指定寝床になっているミニホットカーペットは、雅さんと公太郎のために買ったのだったなぁ。
……たった一ヶ月余りでも、これだ。おニャアニャンには、その何倍、何十倍もの思いがあるだろう。
もう一度会いたいな、という願いは叶えられなかったけれど、雅さんが愛され幸せに暮らしていたのは知っているから。それで十分。 どうか、安らかに。
2004年04月16日(金)
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