生 懸 命 に 適 当 な 毎 日 。
2000年09月23日(土)  シーパラに行って来た。

水族館。
行って来たのは夕方から。

水族館の中に入り、まずラッコや、セイウチなどを見る。
みているうちに思った。
「こんな小さな水槽に入れられて。可哀相に。もっと広い自由な海で泳ぎたいだろうに。」
でも、そう思ってる自分に矛盾を感じる。何故って自分はお金を払って
彼等を観に来ているのだから。
自分に、そんな「可哀相」などと思える権利があるのかどうか・・・?などと考えてしまった。
権利とかそう言う問題じゃないのはよくわかってるけど。

結局その答えはまだ出てない。

クラゲをぼぉっと見ていると止まらなくなる。
生物は機械的に動かないから。見ていて飽きない。
人間もそうなんだろうか?

なんでクラゲって浮いてるんだろう?何か考えながら浮いてるのだろうか?
あんな単純な構造の生き物が「考える」ということをするのだろうか・・・?
そこまで考えたときに、ふと思った。
「魚だって必ず同じ方向に泳いでいないといられない。・・・何故?」
「結局、魚と言う生物は何故生まれてきたのか・・・?」
「なんかこの世界に存在するための意味があって生まれてきたの・・・?」
「なら、それは何・・?」
結局そういうことを考え出すと、自分の存在自体に疑問を覚えざるを得ない。
私は自分なりに自分の存在意義を持っている。別にそんな大きな事じゃないけど。
ただ、こう言う風に考え出してしまった以上、何か前向きな考え方を見つけたい、
そう思った。
ある人は
「なんかやりたいことがあるから生きてるんだ、きっと」
って。うん、そうだと私も思う。
今の私は、そう。でも初めて生まれてきた生物は?
・・・・そうだね・・・・・ある意味、生物が生まれたのは必然か、偶然か・・・
みたいな考えに繋がって行くのかもしれない。

なんだか今日は考え方があまりまとまっていなく、他にちょいとことがありまして(謎爆)
ぐちゃぐちゃ。ま、いっか。たまにはこんな日記もねぇ〜♪
っていうか、いつもも、あんまし訳わかる日記ではないか?(笑

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