生 懸 命 に 適 当 な 毎 日 。
2004年01月25日(日)  

仮想世界であっても
確かにその向こうには人がいる。
意思を持つ人間が。

そして、仮想世界の中にも
人間関係ができる。


確かにそうなんだ
そうなんだけど。


前NHKで私がやってるオンラインゲームがちょっと出たらしい。
私は見てなかったのだけど、
今日情報系サイトであらすじが出ていたので読んでみた。
すると、オンラインゲームと私が興味を持っている別のことが
思いがけずそこで交差していてびっくりした。

ゲームに夢中になりすぎて不登校になる。。
そんな理由は考えてもみなかった。
情報系サイトの記事を読み進めながら考えた。


オンラインゲームは枠がない。
そりゃ現実ではないってことはあるけど
現実で顔を合わせることは難しいけど可能であるし
でも、ここで言いたかったのは
どんな人とでも知り合えると言うこと
例えばそれは気ままな独り暮しの大学生だったりする
例えばそれは毎朝あくせくと仕事をし合間をぬってゲームしてる社会人だったりする
例えばそれは特に時間に制限もないフリーターや無職の人だったりする
例えばそれが毎日学校に行くのが当たり前でそれが義務な小中学生だったりする
彼らは同じ世界にいて、同じ位置に立って関係を持つ。
現実で実現することは難しいことだけど
仮想世界の中ではそれは当たり前のように広がっている
そして
それは考え方や世界が広がると同時に
実際は違う他人と自分を同じように考えがちになるんじゃないだろうか

うぉ、なんだか意味がわからない文章かな。。(苦笑

大人になればそれはいくらか自分で規制ができるようになる。
でもまだ未熟な子ども達は?
その場所が楽しければいつでもいたいと思い
枠が無い世界には何時いっても誰かが存在し
それが当たり前のような錯覚を受けるのではないか
だからのめりこむ
学校より楽しければ尚更なんだろう

仮想世界の人間関係って
すごい深いようで、実は希薄なものだよね。
なんていうか、相手が見えなくて影響が少ないからこそ
自分の誰にも言えないようなことを言えたりとか。
その人が仮想世界から姿を消せば、そこで終わり、だし。

まぁ
考えてもやっぱりわからないことはあるし
これがあってるのかっていうのもわからないし
(ただの私の考えだし。)
こういうことを考えると、他の人と話あったりしたくなるね。。(笑


考えてみれば
私が小中高の時なんて
学校以外行く場所が無かった。
だから学校をさぼりたいとか休みたいとかも思わなかったし
学校を休んでまでやりたいこともなかった。
むしろ、旅行の日程等で母親が土曜日休ませようとすると
ものすごい抵抗した。
(その場合「諸事情で」って言うんだよ。。今でも嫌だけど;)
「ずる休み」という名目で仲間はずれやいじめられるのが怖かったからかも。
今はPCやインターネットがかなり普及してきて
驚くほど小さい子がWeb上にいたりする。
裸足になって砂場を駆回ってたり
暗くなるまで家の前で友達と縄跳びしたり
○○ちゃんには内緒ねって野原に秘密の基地を作ったり
私がそうやって過ごしてきた時を
今は家の中でTVやPCの画面と向き合って過ごしてきてる子もいるのかな。。

でも考えてみれば
私の世代も現代っこのほうなのかな。。
とか最後にわけわかんないことを考えてみる。
てか、現代っこってなんだろねぇ。。
自分で言っておきながらよくわからなかったよ(爆

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