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2001年06月30日(土) 責任論・再論

どうも、責任という事の意味があまりよく分からない人がいるようですから、
改めて再度書きます。

一昨日ここで、犯罪に対して親に責任はない、と書いたら、
それに対して早速、親の責任を云々してきた人がいます。
そういう反応がでる事は予測してましたが、見当違いも甚だしいです。
私は、親が子の基本的な人間形成に対して責任がないなどとは
一言も言っておりません。
だから、件の犯罪者の親が、彼のそういう犯罪を起こすような
人格が形成された事に対しての責任がある事は言うまでもありません。
しかしそれはあくまで親の子自身への直接の責任の問題です。
未成年でもない子供の行為(犯罪)に関して、
親が第三者(世間)に対する責任を問われる事とは別です。
そういう責任の問い方をしていると、こんな犯罪者野郎が生まれたのは親が悪い、
だから親が謝罪しろ、という話になって、
結局それは往々にして、犯罪の責任を親がとる(つまり死んでお詫びする)
という事になってしまう。
しかもこれは、被害者およびその家族に対する責任ですらなくなって、
どちらかというと、世間(を騒がした事)に対する責任の話になっています。
だから、こういうムラ社会の掟のような構造が
いつまでも続いているのが異常だ、と私は述べたまでです。

改めて聞かされるまでもなく、
親子関係や家庭環境がどうたらこうたらと言う、
犯罪事件が起きる度に決まって心理学者やら教育学者やらがマスコミに出て来て
毎度繰返すワンパターンの同じ話は私もよくわかってます。
別に犯罪者であろうがなかろうが、人間形成の過程で
家庭環境やら親子関係やらが重要な役割を持っている事はその通りですよ。
私は独身ですが、でも子の立場にはあるわけだから、
例えば現在の自分の人間性について、
親や家庭環境がどれだけ影響しているかは切実に痛感しています。
でも犯罪事件にかこつけて、
その犯人の成長環境がこれこれこうだったという事から話が逆転して、
そういう親子や家庭は問題だ、みたいな一般論にすりかわってしまうと
危険です。
これはたまたま精神病者が犯罪を起こすと、
あたかも精神病者そのものが犯罪者扱いされてしまう状況を
生み出すのと同じ構造です。
また、親子関係や家庭環境が問題だ、重要だ、と言っても、
結局、それは個々のそれぞれの場合の中で対処するしかないのであり、
それをパターン化してマニュアル化しても、
つまらない一般論的な教育論や家庭論にしかなりません。
親子関係がうまく行かなければいけない、などと言っても、
では具体的にどうすればいいのかなんて、誰にもわかりません。
たとえ良好に思えた関係のもとにあったって、
でもひとたび犯罪を犯せば、結局は親子関係に問題があった、
という事になるでしょう。
だから結果から原因を見たって始まらないです。
それがどういう結果をもたらすかと言う、原因と結果の因果関係、
そして責任の問題は区別してそれぞれに論じなければなりません。
そしてむしろ言いたいのは、そういう事を区別しないで、
犯罪事件に関して不用意にすぐ一般論的な親子関係や家庭環境の
問題を云々と言い出すような奴こそが、
無意識かつ無責任に、犯人の家族を自殺に追い込んで当然という
風潮に加担しているという事です。


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