「向こうではトランペットが輝いていて、でも僕の手はさっきからマッチばかり擦っていて・・・ほら?この灯り。」 そう言って振り向く。 そこにはトランペットなどない。トランペッターもいなかった。古い映写フィルムが廻っているだけ。煙草のヤニで黄色くなった壁をスクリーン代わりにして。フィルムの弱くなってしまった箇所にくると、カタカタとまるで気泡が上がるさまのように画像が乱れる。チェト・ベイカーの「レッツゲットロスト」 少し高いスツールが六つ。だが人は二人しかいない。カウンターの向こうを合わせれば三人。皆、思い思いの方向を向いて。もう店は看板を仕舞っていた。馴染み深い三人なのだ。そのクラブの名前はドラゴンクラブという。カウンターにはアジサイみたいに細かい花の鉢植えが飾ってあって、 イン・Dはコートのポケットに指を突っ込む。それほど大した仕事でもなかったけれど、それでもイン・Dの手はクタクタに疲れていた。時々コーヒーを楽しむ以外はポケットから離れることすらない手。硬直しきっているのだ。時々ポケットに見覚えのないものを掴んだ気がすることもあるが。けれどそれは大概何かのレシートであったり、何かの明細であったり。 「ドラゴンクラブは長いよ。」 イン・Dは渋々とトマトスライスを摘みながら答える。彼の横にいるのは彼のガールフレンドだった。随分昔からの。そしてチェト・ベイカーの大ファンだった。
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