自動車教習所で習うことに、「だろう運転」ではなくて「かもしれない運転」をしましょう、というのがある。 ここでは、人が飛び出さないだろうから、ではなくて、もしかしたら人が出てくるかもしれないから、と思いながら運転しましょう、というものだ。
でも、実際のところ、懐疑的・マイナス思考的な「かもしれない運転」なんかしてたら、身がもたないですよ。 たとえば、無断駐車の車がずらっと並んでいるところで、その脇を走らなければならないとき、子供が車と車の隙間から飛び出すかもしれない、と思いながら進んでると尋常でない疲労感が出そうだ。自分が一台一台の車を、恐る恐るすれ違っている間、後ろからそんなことなーんも考えてない車がぴったり寄って、奴は明らかにイライラしてる、俺はどうすれば、なんてことになるでしょ。
自分は、運転じゃないけど、「かもしれない」と思いながらの人付き合いなので、くだらないことでものすごく疲れる。 今、この人は自分を騙してるかもしれないから、騙されていたとしても被害が少ないように行動しとこう。とか、 今の発言は計算で言っているかもしれない、俺をやる気にさせるために。とか。 だから、「計算できない、もしくはしないだろうなコイツは」と確実に信じられる人としか仲良くなれない。 「だろう」的な人付き合いできればな…。
と愚痴る主旨ではなかった。
まとめとしては、実際教官だってやってない、「かもしれない運転」を理想だからと、無邪気に教えるのはどうかと思う。 その運転がいいと言うなら、自分で毎日通勤時にやってみて。
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