日常喜劇

2002年04月06日(土) 創作について


先週ヒドイ芝居を観に行ったコトを書いたが、
今日はそのヒドイ芝居に出ていた友人と会った。
あの作品がどれほどヒドかったか、私はアンケート用紙に
己のボキャブラリーを駆使して書き尽くしてきた。
あげく「今後DMを送らせていただくので住所名前〜教えて下さい」と
いう覧に一言けっこうです。と書いて来てしまった。
一生懸命作った演出家や役者がハラを立てそうに挑戦的な物言いだ。
しかし私だってハラが立った。
たとえ友達が出演しているとしても、もう二度と観に行きたいとは
思わないってくらい、内容の薄さと身勝手な自己完結性に
ハラが立ったのだ。金と時間のムダまで言い切ってもいい。
でもあのアンケート用紙の書き方はマズかったな、と思って、
彼女に「演出家さんとかが私の書き方に怒ってるようなら、ちゃんと
いかにつまらない作品だったか説明するから言っといて」と闘う気
マンマンで申し出たら、別に怒ってないらしい。ちえぇーーー。
で、何が許せなかったか。

なんかねー、さっきも書いたけどすんごい自己満足の結晶なのよ。
観てるほうが思わず「…は?」と聞き返したくなるような内容のなさ。
創った方が「これで観客に伝わる!」と思ってるなら傲慢どころか
カンチガイも甚だしいというところ。
でもここで創作の観点という問題が出てくる。
作者がこの作品を「分かる人にだけ分かってもらって、分からない人は
分からないままでいい」と思ってる人だったら、この作品はこれで良くなって
しまうのだ。そこらへんは作者さんの話聞いてないから分からないけど、
100人中5人にわかってもらえばいいと思って創作したら
文句の付けようがない。だって私は95人のうちの一人だから。
でもさ〜、そういう個人のスタイルにケチつけてもしょうがないけど、
どうせなら一人でも多くの人に理解してもらおう!って創った方が
楽しくないかな?少なくとも私はそうだ。
こうしてサイトに小説載せてるのも、一人でも多くの人に
楽しんでもらいたいからなんだもん。私は
100人中できるだけ多くの人にわかってもらいたいと思って
創作してる。だから自分を満足させるために書いた小説は見せたいとも
思わないし書いたとも言いたくない(恥//…)

だから、うーん。難しい、やっぱり思想の違いかな。
無性にハラが立ったのは、この相手に理解してもらおうとする態度
見られなかったからなのかもしれない。

(…釈然としない終わり方だ)


 < 過去  INDEX  未来 >


牛良 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加