2005年05月07日(土)<<<親愛なる貴女へ-成人式で会いましょう-
高校時代、たった一人の親友の貴女へ。原田へ。
もし時間を巻きもどせたら……
私は再び心を病んでも良いから、貴女と同じY高時代に戻りたい。
ただもっと素直になるよ。強くなるよ。
それで私たちの友情が壊れない。。。違うね、今も、壊れてないよね?
貴女は私に手紙をくれた。
私は今まで、貴女を忘れてなど居なかった。
また何時か会えたら、私は大きな声で貴女の名前を叫ぶと思う。
今朝、貴女から届いた手紙を、やっとうけとって読みました。
暫く忙しく、バタバタとしていて。
私は貴女から手紙が着ていたことにも、気づかないままだった。
手紙に書かれた日付は3月の末日。
私は、1ヶ月以上気づかなかったんだ。ごめんなさい。
読んだら苦しくて涙が出たよ。苦しかった。
貴女は私にずっと「いきたい」と言っていた大学に、見事進学したよね。
だから……あの頃の話のまま、大学2年次からは北の方に行ったんだね。
「4月から青森に行きます」
もう、東京に居ないんだね。町田駅で偶然会うことも無いんだね。
貴女は私を「尊敬している」と書いてくれた。
私もずっとずっと貴女を尊敬してた。今も。
私も、貴女に何通も手紙を書いた。でも……1通も投函しなかった。
いくじなしだった。
もしかしたら、貴女も何度も手紙を書いていたのかもしれない……
でも、先に投函したのは貴女だった。
そして1行目で私に詫びるんだね……そんな原田が今でも好きだよ。
あの頃、私も貴女も、どちらか一方だけに非があったわけじゃないのは、
時間がたったあとだから、お互い良くわかってるんだね。
でも、お互いの許せない部分があって……
それはあなたが言う、私の弱さ。薬や煙草、男、酒、そういったもに依存した私。
そして私が言う、貴女の頑固さ。僕は貴女に軽蔑され捨てられたと感じたんだ。
貴女は手紙に「ゆっくり病気を治して」と書いてくれた。ありがとう。
私の病気は、もう、だいぶよくなったと思う。
まだ、不安定で臆病で。不眠や心身症、視線恐怖は消えないけれど。
でも、あの頃のどうしょもない不安定に比べたら、だいぶよくなったよ。
今思い返すと、あの頃の私は本当に恥ずかしい存在だ。
でも、それがあるから、今も悩む人の声を聞いたりできるんだと思う。
私は貴女に語ったように、心理学を学ぶことは出来なかったけどね。
僕は貴女と出会えて、本当に良かった。
結局、卒業式を一緒に迎えることができなかったけれど……
貴女と写ってる修学旅行の首里城前の集合写真、大事にしてるよ。
沖縄で取った使い捨てカメラは、まだ、現像できてないよ。
何時か、Y高の20期生卒業アルバム、見せてね。
私の母校になった通信制の高校には、卒業アルバム、ないんだ。
貴女が手紙に書いてくれたように、また時間がたって。
私と貴女が、親友に戻れる日が来るって、私は思うよ。
貴女が今でも私を「親友」と言ってくれるように、
私も今でも、貴女を親友だと、思ってるから。もう疑わないよ。
ただ、私は今も煙草を吸って、酒を飲み、薬も飲む、男に依存する。
そして多分、あなたの嫌いな風俗という仕事もしてる。
でも、貴女が「でも何も話してくれなかったのも悪い」と書いたのを繰り貸さないから。
貴女がしぶしぶでも、納得するまで、私はとことん話そうと思うよ。
話せる日がきたら、絶対話すよ。
今、青森に居る貴女は、来年の1月には東京に帰ってきますか?
家畜の世話が忙しくて、帰ってこない気も、するんだけどさ。
私は、貴女と成人式で会えると、信じようと思います。
私は、成人式、怖い。
高校時代、中学時だ、辛い思い出のほうが多すぎて。
その頃の同級生には、もう、あまり会いたくないんだ。
でも、貴女に会えるなら、晴れ着を着て行こうと思う。
あなたに会えるって、信じていたい。
僕は、もう直ぐ二十歳です。
何とか生きています。死にそうだけど、生きてます。
今ここに、貴女という人に出会えてよかったと書き残したい。
私は貴女が大好きです。
貴女と抱き合って撮ったプリクラは、今でも大切にしてあります。
20期生、最後のY高の赤ネクタイの制服で。
私は貴女と同じ教室にいて、楽しかった。ありがとう。
手紙を書きます。
時間はかかるかもしれない。でも必ず投函します。
貴女が青森から帰ってきて、それを手にとって読んでくれますように。
1行目は、私も、貴女に詫びないといけないと、ずっと思ってたから。
早く、普通の親友に戻りたい。
そしたらもう、二度とすれ違いたくないよ。 |