umityanの日記
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2002年04月01日(月) 花見と金魚すくい。

花見と金魚すくい。
at 2002 04/01 12:29 編集

日曜日、ひょんなことで、花見で賑やかな公園のそばを通った。風にそよいで、花びらが、車のフロントガラスにふりかかる。まるで、雪花びら。道はピンクのじゅうたんで、こちらは花道。祝福されているのは僕ではないかと、思わず錯覚してしまう。公園の中を見やると、それはそれは、老若男女が入り乱れて、ドンちゃん騒ぎだ。アベックらしい若者が、あちこちのベンチに腰掛けて、その光景を眺めている。口には何かをほおばっているようだ。いやああ、本当に幸せで平和な一こまである。街道では、屋台の店が立ち並び、縁日さながらの賑わいだ。僕は何故か、縁日の賑わいが好きである。庶民的というか、日本の情緒というか、義理と人情にもろい日本人の体質にぴったりんこだ。威勢の良い掛け声も聞こえてくる。「フーテンの寅さん」を思い出す。小さい頃、僕の町でも、いろんなお祭りがあった。その頃の楽しかった思い出が、いつまでも心に刻まれ、今に至っている。「金魚すくい」、これにはずいぶん泣かされた。最初の頃は丸い針金のわっかに、障子紙をはったような道具だった。その、今にも破れそうなやつで、金魚をすくうわけだ。これが意外と難しい。金魚屋のおっちゃんが手本を見せてくれるが、さすがにうまい。「ひょいひょい」とかるく数匹をすくい上げる。「おっちゃんの紙は厚く作ってあるのじゃないの?」と、首をひねったものだ。そのうちに、金魚やさんも、文明開化というか、技術革新というか、紙の道具から、アイスクリームにつかうモナカの道具に変わった。このモナカが曲者だ。紙より始末が悪い。几帳面な人はまず、金魚すくいはへたであろう。なぜなら、水に長時間浸して金魚を追い掛け回していると、すぐ、ふにゃふにゃになり、モナカが溶けて、金魚がすくえなくなるからだ。それでも、世の中には器用な奴がいるものだ。モナカをつらぬいた二本の針金に、見事、金魚を乗せてというか、引っ掛けてと言うか、おわんの中へ「ぽーーーん」と放り込むのだ。どちらかというと、おわんが金魚の真下にあるので、まず失敗はない。これを見て、金魚屋のおっちゃん曰く。「それはだめ、金魚をもとにもどしな」である。そこはさるもの、ひっかくもの、おつちゃんの目を盗んで、すばやく金魚を空中にお放り投げ、見事おわんで捕獲。「はいいいっつ、一丁上がり」。見ていた客は何にも言わず、めでたしめでたしである。残念ながら、僕にはこの芸当ができなかった。残念賞として、一匹、網で捕獲して透明な袋に入れてくれる。屈辱だあああ。実は、昨日も金魚やさんがきていた。懐かしく、足を止めて眺めたが、さすがに、金魚すくいは、夏の風物か、花見とはもうひとつマッチしていないようにも思えた。


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