umityanの日記
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2002年09月01日(日) 九月早々から反省だああああ。


九月早々から、反省、反省だああ。
at 2002 09/01 16:44 編集


めまぐるしく時が駆けて、九月になった。この月は僕もあらたに、齢を一つ重ねることになる。うれしいやら悲しいやら。以前、よく思ったものだ。この世界のどこかに、不老長寿の特効薬でもあれば、それを求めて、そく、旅にでるのだがと。はかない夢とはしりつつも、いつまでも若くありたいと思うのは人間のエゴなのか?。最近、ニュースで言っていたが、来年には、人ゲノムの暗号がすべて解読されるのだそうだ。何十年もかけて、解読に携わってきた人たちの努力に、感謝とねぎらいの言葉をささげたい。遺伝情報のすべてが解明されるということは、病気の予防はもちろん、百五十歳まで人間が生きることも可能になるだろう。ただし、元気で生きてこそ価値があるわけだが。そうそう、先日、元気で山奥で暮らしている老夫婦のドキュメントをテレビでやっていた。秩父の山奥で、段々畑を耕して山間農業や、炭焼きを営んでいたが、夫婦ともに年をとって、農作業ができなくなってきた。畑をこのまま荒らしてしまうのが忍びなくて、せめて畑に植樹をして花をいっぱい咲かせて自然に返そうと、毎年、せっせと夫婦で苗を植えていた。その姿があまりにも切なくて印象的だった。見事なアジサイの花が所狭しと咲き誇っているシーンが映し出された。いやああすばらしい。まだまだ植え続けるのだそうだ。はたから見るとすばらしい自然があって、いいなああと見えるが、それは、過酷な自然を知らない人間が言うことだ。この村には若者がほとんどいない。高齢化と過疎化が進んでいき、やがて村は消滅するかもしれない。こういう現状は、日本のいたるところで見られるようだ。ただ、何十年もこの村で過ごしてきた人にとっては、今更、都会や町に引っ越して息子たちと暮らすより、住みなれたたこの村にいつまでもいたいと願っているのだ。わかる様な気がした。老夫婦の顔がきれいだった。屈託がなく、まさに自然とともに生きてきたという実感がにじみでていた。なんと言っていいのだろう。人間のあるべき姿を見たような気がした。いつも、酒にひたって、ネオン街でとぐろを巻いている僕にとって、この老夫婦の姿はまぶしい。


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