umityanの日記
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| 2005年05月16日(月) |
貪欲についての一考察。 |
貪欲ということについて考えてみた。ぱっと思いつくのが、「だぼはぜ」という魚だ。えさらしきものを水中に放り込むと、手当たり次第にむさぼりつく。「ぱくっ」と食いつくのだ。釣り人にとっては面白い。僕も昔、海岸で、このだぼはぜを、よく釣っていた。僕も、だぼはぜ釣りに貪欲だったわけだ。
貪欲と言う言葉は、辞書によると、「次々と欲を出し、どこまでも満足しないこと。非常に欲張りであること。また、そのさま。金銭欲、物欲、だけでなく知識欲にもいう」とある。
辞書にあるとおり、必ずしも悪い意味として使われるわけではない。知識欲が旺盛な人にも貪欲な人と言う。学問の探求も、はたまた日本経済の発展だって、この貪欲さがなければ、実らなかっただろう。
ただ、僕が今、考えている貪欲とは、男女関係の中における貪欲性についてである。「愛は惜しみなく奪う」。まさにこれは、貪欲性の表れだろう。男も女も、そんなにまで貪欲に愛されたら幸せ冥利に尽きるわけだが、現実社会はそんなに甘くは無い。貪欲な愛のなかには、知らず金銭欲、物欲という厄介なものが見え隠れしている。
要は、そういった欲に対して、どこまで寛大であるかどうかだ。見過ごせるかどうかだ。愛と言うベールに包まれていると、その欲を見逃してしまうこともある。ある日、ふと冷静になったとき、猜疑心が生じる。そして気付くわけだ。貪欲なのはいいが、果たして、そこに「思いやり」という気持があるんだろうかと?。
貪欲も度が過ぎれば、いやらしさ、醜さに変わってしまう。計算高くなり、相手の心理をたくみに利用するようになる。愛というベールが、そういう感情を包含しているうちは良い。ただ、いかんせん、愛と言うベールは、次第に、思いやりと言う崇高な感情に打ち破られてしまうのだ。破局である。
笑うセールスマンの喪黒福造さんも言っていたっけ。「だから言わないことじゃない。欲もほどほどにせにゃーーーオッホッホーー」と。
貪欲の反意語は何だろう?。「無欲、少欲、淡白、無気力」という言葉が該当するのか?。これらの言葉もいい意味でも、悪い意味でも使われる。僕は常々、貪欲な女性は嫌いだった。貪欲であることに気付かないうちはいいが、時の経過とともに、愛というマントが剥ぎ取られ、露呈した醜さに唖然とする。とどのつまりは破局。懸命な女性は言うだろう。「わたしとて、あなたの貪欲さに辟易しているわよ」とかなんとか。少欲を自負してきた僕には、これはショックな言葉だ。
ただ、よく考えてみると、少欲が果たして美徳なのか?。少欲も少欲をむさぼると、貪欲とちっとも変わりはしない。今まではそのことに気がつかなかった。貪欲も少欲も極端に走ると同じである。同じならば、何が大事なのか?。やはり、思いやりなのだ。思いやりがあらゆる物を包含していれば、少欲であれ、貪欲であれ、関係はない。愛も継続する。
中庸という言葉がある。考えや行動が一つの立場に偏らず中正であること。極端に走らないなどの意味で使われるが、この考え方にも、是非があるだろう。事を荒立てない面では是かもしれないが、優柔不断、あいまい、いい加減というレッテルを貼られても仕方がない。
僕の結論だ。貪欲、少欲、中庸であれ、その根底に「思いやり」という気持が満つ満つしていれば、思考や行動も円滑に行き、愛も継続、持続できると思う。男女の間においては、特にこの思いやりを一番大切にしたいものだ。
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