大 将 日 記
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2005年02月15日(火) 飛 梅

太宰府天満宮の梅は見頃を迎えているのだろうか・・・


私はさだまさしが大好きである。今日の日記タイトルを見てさだまさしを思い出し
た方はかなりの通である。『飛梅』とは、さだまさしの代表的な歌のタイトルだか
らだ。

先日私は、最近新しくなった西船橋駅構内に出来た本屋に立ち寄った。駅構内と言
うのが凄いでしょ? 駅ビルとかでは無くて駅構内なんですよ。つまり、入場券や
切符・定期を使って駅に入場しないと入れない本屋があるんです。その本屋もそこ
らの百貨店の本屋に負けてない程の図書が並べられており、連日通勤通学の電車利
用者で賑わっている。
本屋だけで無く、喫茶店やドラッグストア、ケーキ屋さんに写真屋さん等、本当に
チョットした商店街が出来あがっている。

「たまには本でも読むか」

と思った私は、その本屋で読みたくなりそうな本をいろいろ探していたのだが、と
あるタイトルの本を手に取った。

私は昨年一年間、NHKの大河ドラマ『新撰組』を見ていた。
何故このドラマを見始めたかと言うと、新撰組と言う近藤勇を中心にした団体が居
たのは勿論知っていたのだが、新撰組がどんな団体だったかと聞かれると、恥ずか
しながら池田屋事件の事しか知らなかったので、これを機会に知っておくのもいい
だろうと思い見始めたのだ。自分でも感心する程、毎週良く見ていたものだったの
だが、今でも残念なのは、最終回を見られなかった事だ。
何故見られなかったかと言うと、八王子に『多摩ふるさと物語』を見に行っていた
からだ。近藤勇の最後を近藤勇の生誕の地に居て見られなかったとは皮肉なものだ。

で、この『新撰組』を見て、幕末のいろんな事をそれなりに学び、年明けには山��
姉妹が携わった劇団POPの『また逢おうと竜馬は言った』を見て、益々激動の幕
末を学びたくなったので、その本を手に取った。

その本のタイトルは・・・






























『その時歴史が動いた』


NHKの人気番組のひとつ、『その時歴史が動いた』の取材班が調べあげた歴史の
真実を紹介していく本なのだが、その第一巻の第一話が新撰組だったので買ってみ
たのだが、それは小説とかでは無くコミックだったのが誤算だった。
それでも買ってしまったものは仕方が無いので、読み始めたらこれが面白いのなん
の。ウチは今現在訳有ってNHKを見られない状態なので(只今抗議中)今はこの
番組を見てはいないが、なかなか面白い切り口で歴史を紐解いて行くのが好きで、
昨年までは良く父と一緒に見ていたものだ。

第一巻には新撰組の他、高杉晋作、坂本竜馬、土方歳三、大久保利通、陸奥宗光の
事が取り上げられていたのだが、これが実に面白く興味深い物であったので、続け
て読もうと、第二巻を買って来たら、そっちが本当の第一巻で、第一巻だと思って
読んでいたのが第二巻だった事をその時知って恥ずかしくなった。

そんな私の恥じ話はどうでもイイ事なのだが、本当の第一巻の方には、織田信長、
豊臣秀吉、徳川家康、前田利家、細川ガラシャ等の話しが紹介されており、本当の
第二巻が幕末物だとすると、本当の第一巻の方は戦国時代物でまとめられていた。

いろんな本や映画やドラマ等で歴史物は見ているが、やはり時代が動いた時の物語
と言うのは飽きない物だと痛感させられた。

で、今日は第三巻を買って来たのだが、この三巻は主に改革者と言われる人達が紹
介されていた。私が尊敬してやまない我第二の故郷・米沢藩主の上杉鷹山や、徳川
八代目将軍・吉宗等、いろんな改革者達が紹介されている中、この人が紹介されて
いた。


西暦901年1月25日。右大臣の要職にありながら藤原時平の陰謀によりその職
を解かれ、都から今の福岡県太宰府市に左遷を命じられた、現代の学問の神様。
そう、菅原道真である。


菅原道真は、幼少の頃から大切に育てていた梅の木があった。左遷が決まった時、
その梅との別れを惜しんである歌を詠んだ。それに感激した梅が一夜のうちに都か
ら太宰府に飛んで来て、太宰府に着任した道真は大層驚いたと言うのが、有名な
『飛梅伝説』である。

さだまさしの『飛梅』と言う歌は、別に菅原道真を唄った物では無いのですが、こ
の歌を初めて私が聞いた中学生当時、九州地方と言う縁遠い地の事に興味を持つの
に充分過ぎた歌であった事は事実で、それ以来、この飛梅がある太宰府天満宮に一
度行く事が私の夢になっていました。

強い夢と言うのはいつか必ず叶う物で、お蔭様で私は近年2回も太宰府天満宮に行
く事が出来、2001年の正月は、元日に初詣に太宰府まで行ってしまった程でし
た。

初めて私が太宰府天満宮に行ったのは、2000年10月5日。暦だけは冬が始ま
ろうとしていた、九州の残暑厳しい時だった。
さだまさしの歌の通り、私は心字池にかかる3つの赤い橋を渡り、梅が枝餅を食べ、
そして大吉が出るまでおみくじを引こうと思っていた。

太宰府天満宮のおみくじには、いろんな和歌が書かれていて、それを読むのもまた
楽しい物なのですが、私は菅原道真が歓迎してくれたのか、何と都を左遷される時
に梅の木に詠んだ歌の記された一番くじを引き当ててしまい、大感激をしたのです。
もちろん大吉です。


梅の木よ、たとえ私がいなくなっても春になったら忘れずに咲いておくれ。
そして東風が吹いたのならその匂いを風に乗せ私の元に届けて欲しい。


そんな事を詠った歌です。



太宰府天満宮の飛梅です。2000年10月5日撮影


今日、その菅原道真の物語を初めて真剣に読んで、改めてあの時の太宰府を思い出
しました。
2度も行った太宰府天満宮ですが、残念な事に梅の時期にはまだ行った事が無く、
これはまたいつかまでのおあずけ状態になっていますが、強い夢はいつか必ず叶い
ます。きっと私も満開の梅の元で、その歌を身体で感じてみたいと思っています。


私は南風。南風を『はえ』と読むように、東風は歌の中で『こち』と読まれていま
す。『はえ』と『こち』、うん、いい響きです。


菅原道真が左遷が決まった時に梅との別れを惜しんで詠んだ歌。
それを今日の格言として提出致します。
『今日の格言』のコーナーも是非お読み下さい。


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