大 将 日 記
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昭和47年12月、私に2人目の妹が誕生した。妹はサエと名付けられた。当時住 んでいた千葉市役所に母が出生届けを出しに行った時、記念樹の苗を貰って帰って 来た。当時、5歳の私は真冬だというのに母と一緒に冷たい土いじりをして苗を植 えていたのを覚えている。 妹が生まれた時、私達家族は千葉市の花見川団地に住んでいた。だから記念樹の苗 を貰っても植える庭なんて無く、団地の自転車置き場の隣にあった空き地に申し訳 無い程度の小さな苗を植えたのだった。
5歳だった私はその後、その苗の生長を特に楽しみにしていた訳では無く、すっか り忘れかけていたのだが、2年後の今頃の時期にその苗は大きく育ち、沢山の花を 咲かせた。
その花は紫陽花だった。
紫陽花とは不思議な花で、沢山の花弁が時の流れと共にその色を鮮やかに変えて行 く。咲き始めは薄い緑色、そして青から紫、最後にはかなり赤く染まっていく。そ んな美しい花が咲くのを私は毎年楽しみにするようになった。
紫陽花は毎年大きく育ち、いつしかその団地の空き地の主みたいな存在になる程に 大きく成長した。妹が4歳になった頃だろうか、私は妹に
「これは、サエちゃんの紫陽花だよ」
と教えた。
妹はかなり嬉しかったのだろう、その紫陽花は私の紫陽花だと言うのを皆に教えて まわった。
確かに、サエが産まれた記念に植えたのだから『サエちゃんの紫陽花』である事は 間違い無い。しかし、もうその頃の紫陽花は近所で評判と言うか名物になる程の大 きさにまで成長していたので、その名前は一気に近所に知れ渡る程だったのだ。
更に2年後、更に更に大きくなった紫陽花の花を私達家族はもう見られなくなって しまったのだ。紫陽花の花が咲くのは6月頃。私達はその3ヶ月前の3月に転居し たのだ。
転居先は今私達が住んでいる船橋市。しかも一戸建てで庭までついていた。私と妹 は幼心になんとかこの紫陽花を運べないか、そして新しい家の庭にこの紫陽花を植 えたいと考えていたのだが、あまりにも大きくなり過ぎた紫陽花を運ぶ事は不可能 で途方に暮れていた。
引越し当日、荷物を全て積み終わったトラックの助手席に乗った私と妹は、この紫 陽花をジッと見ていた。妹の方は涙をうっすら浮かべていたのを覚えている。
「もうこの紫陽花ともお別れなんだなぁ・・・」
と思っていた時だった、車に乗り込んでいた母が突然降りて紫陽花の所に行き、紫 陽花の茎を1つハサミで切り取り、水を入れた牛乳の空き瓶に差し込んで、私達に 向かって
「紫陽花、お庭に植えようね」
と言ったのでした。 私はそれまであまり良く知らなかったのですが、紫陽花と言うのは挿し木にして根 付く花だそうで、切花になったその紫陽花は新しい家の庭にもしっかりと根付いた のでした。
しかし、植物と言うのはデリケートな物で、土が変わると育ち方が全然変わってし まうのです。団地の空き地の土地が相当適していたのかどうかは判りませんが、新 しい家の庭に根付いた紫陽花は、毎年花を咲かせる物のそんなに大きく育つ事は無 かったのでした。
私が小学6年生の春に新たな地に植えられた紫陽花は、今も元気に庭で花を咲かせ ています。引っ越して来てから既に25年の歳月が過ぎました。
先日、ふと思い立ち花見川団地に行って来ました。あの紫陽花は元気に今も大きく 育っているのだろうか。何故か突然あの紫陽花に会いたくなったのです。
25年の歳月と言うのは恐ろしい物で、いつも私達が草野球をしたり凧揚げをした りしていた広場は全て駐車場に変わっていて、公園の敷地内には大きな図書館が出 来、しばらく離れていたら町並みは大きく変わっていました。広場を潰して駐車場 にする位ですから、駐輪場も広げられていました。紫陽花は駐輪場の隣の空き地に 無断で勝手に植えたのですから
「ひょっとしたらもう引っこ抜かれてしまっているかも・・・」
と言う予感が頭の中を過ぎりました。
恐る恐るその場所に行くと案の定、駐輪場が広げられていて、紫陽花の姿はそこに ありませんでした。
あの土地を離れて25年、紫陽花の事を忘れた訳では無かったけれど、全然会いに 行った事なんか無かったクセに、無くなっていると寂しくなる。私はなんて勝手な 感情の持ち主なんだろうと自己嫌悪と反省で、紫陽花の植えてあった場所で呆然と していました。
すると少し離れた場所から、4〜5歳くらいの女の子と、その子の母親の信じられ ない会話が私の耳に入って来ました。
「ねぇママ、このお花はなんで『サエちゃんの紫陽花』って言うの?」
えっ? サエちゃんの紫陽花??
「なんでだろうねぇ、サエちゃんって子が植えたのかなぁ?」 「じゃあ私も何処かにお花を植える!」 「そうだねぇ」
驚いた私は、親子の会話が聞こえて来た少し離れた場所に行ってみました。すると、 いくらか削られてはいましたが、それはそれは大きく育った紫陽花がそこに根付い ていました。葉っぱや茎の感じからして、恐らく私が5歳の時に妹誕生記念で植え た紫陽花に間違い無いと思われます。突然でしたが、その親子の母親の方に事情を 聞いてみたら
「私達も越して来たばかりなので良く解りませんが、向こうの駐輪場を広げる時に 大きくなって邪魔だったので取り除こうとしたんだけど、あまりに立派で名前まで 付いてる紫陽花だから、場所を移し変えたって聞いてますよ」
と教えてくれたので、お礼に何故『サエちゃんの紫陽花』って言うのかを教えてあ げたら大変に喜んで頂き
「この紫陽花、31歳なんですか! 凄いですねぇ。驚きました!」
と言ってました。
何より私が驚いたのは、我々が転居してから25年の歳月が経っているのにも関わ らず、未だに『サエちゃんの紫陽花』と呼ばれていた事に驚きました。しかも、今 そこに住んでいる人達は『サエちゃん』が誰だかも解らないのに、ずっとそう呼ば れていた事に驚いたのと同時に人の心の繋がりと温かさに感動してしまいました。
梅雨入りすると思い出していたので、今日の入梅を記念して書かせて頂きました。
しかし!!!!
私は先日、衝撃的な事実を知ってしまったのです。
ある日の事、妹のサエにこの話しをして2人で懐かしがっていたら、それを隣の部 屋で聞いていた母親が
「あの紫陽花の隣に夾竹桃が植えてあったのはどうなっていた?」
確かに引越してくる時には紫陽花の隣に夾竹桃が申し訳なさそうに植えられていた ので、それはもうすっかり跡形も無く消えていた事を伝えると・・・・
「どこでどう間違えたんだか、すっかりあの紫陽花がサエの誕生記念樹みたいに語 られてしまっているけど・・・
本当はその隣の夾竹桃が記念樹だったのよ。
大体、ウチの庭にも切花で簡単に根付く紫陽花が記念樹として配られる訳無いじゃ ないのねぇ」
と言い出し、私達兄妹の美しい思い出をゴジラの如く踏み潰して粉々にして行った のです。
「えっ? じゃああの紫陽花は誰が植えたの?」
と私が聞くと・・・
「ある日私が夾竹桃に水をやっていたら、私の真似をして何処かから切って来た紫 陽花をあんたが勝手に植えたのが根付いちゃったのよ」
「えっ? 俺が植えたの? あれって真冬だよね?」
「紫陽花を植えたんだから春先に決まっているじゃない。バカねぇ(笑)」
ショックだった。
あれは私が植えたと言う事実だけは間違えでは無かったが、だとするとあれは『ノ リちゃんの紫陽花』として語り継がれなくてはならない筈ではないか。しかし今更 それを伝えに行くのも大変なのでこの場を借りて言わせて頂きます。
千葉市花見川区花見川団地7街区5番の駐輪場脇の大きな紫陽花、通称『サエちゃんの紫陽花』は梅雨入りした今日から『ノリちゃんの紫陽花』に呼び方が変更されました!!!
事実を知らない方が幸せだって事、世の中には多いですよねぇ。
では、最後に先月撮って来た『新・ノリちゃんの紫陽花』の画像をご覧下さい。
どうです? かなり大きいでしょ? この頃はまだ『サエちゃんの紫陽花』だったんですけれどねぇ。
今日のブログにも紫陽花画像を貼り付けてみましたので、ご覧下さい。
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