愛の物語 - 2002年11月19日(火) 部屋にはもうほとんど何も残っていなくて、 僕が一人では抱えきれない家具と、10数年分の思い出がほんの少しだけ名残惜しそうに、 その空間に在るだけになった。 部屋の掃除が進むにつれて、いろいろ感じたことがある。 あの人は、昔のものをあれこれ残していた。 保育園のころの出席表とか、 一年生のときのノートだとか、 もう本当に「こんなものまで!」というようなものばかりだった。 僕の親指くらいしか入らない靴下もあったし、 オシメカバーまでダンボールに入っていた。 あの人はきっと、その品物を取っておきたかったんじゃなくて、 思い出をとっておきたかったのだろうと思った。 親の周辺を片付けていると、さらに驚くことがあった。 昔の日記帳が何冊も出てきたのだ。 家計簿のようなものもあったし、 僕の成長記録のようなものもあった。 母子手帳も見つけた。 案の定、父親の欄に名前は無かった。 さらに掃除が進むと、 僕が生まれる前の日記まででてきた。 つまり、僕の父親とのことがあれこれ書かれているわけで、 時間的に読む暇もなかったわけだけど、 いつかの時には読もうと思う。 本人は読まれていやかもしれないけど、とっておく方が悪い。 一冊、ちょっと変わったノートを見つけた。 あの人が、自分宛に書いた日記だった。 そこには、あの人が書いた言葉だと信じられないような言葉がずらっと並んでいた。 まさに愛の日記というか、読んでいるほうが恥ずかしくなるような文章だ。 愛しさと切なさが交じり合った盲目すぎるその愛は、 一人の女性をこんなにもかわいらしくさせてしまうのかと感心させられた。 その激しすぎる愛の物語は、結果的に実らずに終わることは僕も知っている。 それが、二人の関係の破綻なのか、あの人が僕を選んだのかはわからない。 ただ、その頃のあの人の願望が叶えられなかったということには間違いない。 その後の、あの人の人生にどういう影を落としたのだろう。 もうどんな男性にも突き破ることの出来ない殻を身にまとったのだろう。 ノートに書かれている最後の日記を読んでみる。 ここで終わりではないらしい。 ただ、後半は最初の方に比べて短い日記が多いように思える。 今も読みながら、この日記を書いているのだけど、胸が苦しいです。 そして、僕の子供はこの日記を読むことはあるのだろうか? ...
|
|