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報告其の壱--宿泊対戦ご報告齧りと主観     - 2002年08月18日(日)




■……徹夜しーずん(くらり)。

17日から18日にかけて、お友達ヒトカタマリ15人とかで遊んできました。
徹夜で!(へろへろ)
(ッてか、このネタも随分と過去のような…)(しーッ!)

途中で寝ちゃったヒトも勿論居るわけですが、大半起きてましたね。
そして、輪になってオハナシです(素)。
アタシはあんまり発言しなかったンですが(だって怖いし!)(な、なにが?)

話題はかなり多種多様に転がってましたね。
深夜には真面目な話も出てきたし。
インターネットとかケイタイに依存することとか、
一般的に言う常識とは何ぞやとか、
主観と客観についてとか、
人生の楽しみかた(笑)とか?
そんなことまで話してましたね(覚えてる限りは)(アキヅキさん、たまに聞き流してた?)(ううん、局地話題に傾いてただけだよ?)(各話題が各所で独立して流れてたンだよね)(同時進行って?)(ヲンナの子の得意技ってね★)。
えェ、聴いてるだけで楽しいッてか、面白かったです。
唯一引っかかったとしたら、尊敬するヒトについて。
結構、親を尊敬するヒトに上げているヒトが多くて吃驚しました。
アタシはどうかといえば、とても「親!」とは言えないンで。

父親を尊敬するか。
……無きにしも非ず?
アタシにとっての父はそこまで深い存在じゃないンです。
仲悪いわけではなくて、寧ろ良い方だとは思うけど、それだけ。
家の「外」の父を知れば違うのかもしれないけど、
家に居る父は、そんなにアタシの思考に関って来ないし。
趣味とか好みの世界では結構、協力的に遊んでくれるけど、
それってお友達と同じ感覚に近いですよね。
だから夜遅く帰ったとか、そういうことで怒られた記憶はあります。
でも、そういうことだけなんだよね?
説教とか生き方で何かいわれた記憶は無い。割と放任なんですかね?(笑)
進路も大学に行くなら好きにしろって。
……「お母さんに相談しなさい」ってヤツで(で、出た!!)(震)
あー…、いや、存在感が無いとかそういうことではないンですよ?
ただ、「尊敬する」ほどには意識に無いンですね(何気に酷ェよ)。
言われるまで思いつかなかったし(閉口)。
甘えてると言えば甘えてるンですが、微妙すぎてね…。
アタシの生き方に大きく関って来たというのではない感じです。

生き方に関って来たと言えば、やはり彼女でしょ?(震)
もうネタであり、諦めた事であり、消化した事なんで言えるわけですが。
母君とアタシの間に起こった出来事前後の全てが、
本当にアタシの人生を丸ごと変えたよね(笑)。
考えてみると、あの頃から結構大幅にアタシのキャラ変わってるし(小声)。
でも(また逆説か)、彼女も「尊敬」ではないわけです。
影響を与えた人間としてはトップ候補ですが(笑)、
あくまで、彼女とアタシは今でも相容れなくて、何処までも反面教師。
喩えるなら振幅の違う波線が二本な感じ。
ところどころ、近付いたりもするけれど結局は重ならない。
尊敬ではない。
父はそれ以前の問題だけど、彼女に関しては確実。
彼女の生き方、考え方をアタシは納得できなくて、
此処まで違うコになっちゃったンだしね☆(可愛く言ってもダメー!!)
母上がもう少し縛られないヒトだったら、アタシだってここまでチャレンジャーな人間にはならなかったと思いますが?(誰に聞いてるンだ)(てか攻撃的だよ!)
まァ、最近の母君は昔に比べると自由度の利くヒトになってきたわけです。
でもやぱり尊敬の対象ではない感じ(…)。

じゃァ結局アキヅキさんの尊敬するヒトは誰なのよ?という事です。
……祖父かも?(小声)
今は亡きアタシの祖父は、鉄道に勤めて定年退職後に更に駅弁関係の会社に再就職。趣味の多い人で、勤めていた間も度々旅行に行ったりしてたし、其の会社も退職後は本を書いたり、絵を描いたり。祖父の本棚は訳解らないくらい多ジャンルに本があって。あとはマジックとか手品が好きで、ヒトを驚かせるというか、そういうことにアタシが関心を持ったきっけかもしれないです(助長させたのは別の出来事なんですが)。
そういえば、アタシは祖父の隔世遺伝が多いらしいです。
本も絵も文章書きもヒトを驚かせたがるのも(笑)。
考えれば考えるほど、類似点が…(小声)。
関係無いですが、
今こうやって書きながら思い出して泣いてます、アキヅキさん(素)。

祖父が危篤になった時、母方親族は集まって集中治療室の前にいたンです。
アタシも祖父の亡くなる数日前からそこに居て。
でもアタシは祖父の死んだ瞬間を知らないンです。
その瞬間は真夜中でしたが、某従姉妹と二人で病院の下の階に飲み物を買いに行ってたンですね。で、何気なく行って、戻ってきたら祖父はもう死んでいて。
アタシが言い出して下の階に行ってたから、従姉妹には凄い謝りました。
「其の瞬間に傍に居られなくしてゴメン」って。
それと、今でも忘れられないのは、其のあとに回りが皆泣いてる中、
アタシは泣いてなかったンですよ。
意地とかポリシーとかそういうことではなくて、素で涙が出ない。
そこで母に「どうして泣かないの!!」という言葉を言われて。
其の頃っていうのが、アタシと母の対立のピーク近かったこともあって、
アタシは何にも言わなかったけれど、凄い反発を覚えました。
それは、今でもかも知れませんが。
で、某従姉妹と親類集まるエリアから離れた所に行って。
腹立たしいので、彼女の居ない所で意図的に涙を流しました。
悲しいでも哀しいでもなく、単に涙を流した。
無意味だと思いながら、そんなことをしてましたね。
下らない?

うちの食事するときのテーブルは4人掛けで、家族は元々5人。
母がテーブルの横に他から持ってきた折り畳みの椅子で食事をしてました。
わかりにくいですが、↓な感じで。     
       ┌───┐
 (祖父)○│    │○(父)
       │    │
 (祖母)○│    │○(アタシ)
       └───┘
         ○(母)
大体、それぞれの席って決まってますよね?
まァ、大した事ではないのかもしれませんが、
祖父の死後はアタシの席に母、祖父の席にはアタシが座っています。
凄く違和感を感じてました。
アタシの居た場所に他の人がいて、他の人の居た場所に自分が納まる。
些細かもしれないですが、どうしても未だに違和感があります。
細かい思い出が多すぎて。

……あァ、うっかり論点大幅に転がってます(笑)。
尊敬するヒトは誰か。
うちで言うならば祖父。
外界で求めるなら、何気に石井さん?(何処の石井さんかは言わずもがな)
やりたい事をやれる人に対して憧れを持ってるンですよ、アタシ。


また別の話になるかもしれませんが、
徹夜会議(仮)のときに「親に捨てられる事を想像すると」という話も出て。
其の瞬間に、アタシは親に殺意を抱いたこともあったな。って。
今はないですよ?
一人暮らしを始めて以降、うちの親子関係は良くも悪くも距離が開きましたから。
ただ、高校時代のあの頃は、自分がやったとはバレないようなもっと幼い時期に階段から突き落とすでもしておけば良かったとか。このまま事故に遭って帰ってこなければイイとか。
そんな物騒な事も普段から考えてましたね。
真剣に、どうやったら罪を被らずに彼女から逃げられるか考えてました。
家は好き。部屋も好き。でも、彼女が来るのは恐怖。
居なくなってくれたら。
それでそんなことを考えるンですが、結局はダメだなと。
良心が云々ではなく、ただ「食事の世話とかしてくれる人が居なくなる」「お手伝いさんでもいたらなァ」。そういう理由でした。
今思うと、一番、荒んだ思考回路してた時期だと思います(震)。



あー、赤裸々★(徹夜会議でも突っ込まれたよ!)(アタシもそう思うけど!)
ウチのサイトはお客様を意識して作ってありますが、
この日記に関してはネタであると同時にアタシの思考回路整頓の意味も大きいですからね!(うわ、迷惑)(読んでしまったお客様が)
他のコンテンツに比べてお客様意識してないンですが(其の割にうっかりメインになりかけている矛盾っぷり)(がっくり)。



半端な所で撤収(サラリと流してください!!)(震)






ところで、この18日の夜、イキナリ決定しました。
20日の東京(宝塚劇場)行き!(急過ぎだ!!)
そして、その直後に決まりました。
お盆でうちに来ていた19日に郡山に帰る親戚が、
帰る途中で郡山までは車に乗せていって一泊させてくれることが(翌日だよ!)
……移動代を少しでも安くせんとする心意気の元、翌日昼にイキナリ出発。
12日に実家に帰ってから23日まで、怒涛の外出三昧。
ラストを飾るは4泊5日の郡山経由東京の旅(そして一番の山場)。

友達には遊びすぎと言われ、別の友達には生死を確認のメルを頂き、親には呆れられ、お世話になった郡山の叔父には笑い飛ばされ、本人的には大満足でした(素)。
詳しい事は後程★(げんなり)









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