| 2010年01月05日(火) |
10年前の渡米初日の話 |
気づいたら昨日は渡米記念日でした。在米歴は10年を超え、11年目 に入りました。思えば長くなったもので、来たときにこんな長くなると は想像もしてませんでした。帰る機会をずっと模索中、とも言えますが。
こちらに来たときのことは忘れもしません。旅券、空港からの送迎、 ホテルとすべて自分でやったのですが、成田からアトランタへの 飛行機が遅延。アトランタで必死に現地の迎えの会社の人に つたない英語で飛行機が遅れた、乗り換え便はこれ、と説明した ものです。5時間以上遅れ、伝わってたかどうかも不安でミシシッピ のジャクソン空港に迎えの人がぼくの名前を持って立っていたのを 確認した時は本当にほっとしました。夜10半時を過ぎてたから、 もし来てなかったら自分はどうしたんだろう?
しかし荷物が空港で出てこず、止まる予定のホテル滞在は2日間のみ。 その後住む予定の寮の住所もわからない。いきなり試練でした。どうに か学校の留学生オフィスの住所を伝え、車に乗り込むも運転手の黒人 の兄ちゃんのテンションが高い。疲れてるのに南部訛りの英語でどん どん話かけてきた。ただでさえ遅延した長時間フライトに加え、初めて のアメリカ単独滞在、しかも荷物が出てこないストレスでぐったりしてた のにも関わらず、である。それでも無視出来ず必死にしゃべったことを 覚えてる。知っている人ならわかると思うが、ジャクソンからハティス バーグに行く州道49は林だらけで周りに何もない。ましてや夜は闇のみで このまま拉致されて殺されても誰にも気づかれないだろうな、と本気 でその晩思ってた。今思えばあの兄ちゃんも自分をリラックスさせよう と気を遣って話しかけてくれてたんだと思うし、実際いい兄ちゃんだった ように思う。あの夜遅くに仕事とは言え嫌な顔せず送ってくれたし、 空港での荷物ロストもいろいろと手伝ってくれたし。
空港から約1時間半後、これも日本から予約したホテル(と言っても エコノロッジ)にチェックイン出来た。自分の名前があったこと、やっと 一人の空間で一人になれたことに心からほっとした。小さなバック パック一つしかなく、着替えも何もなかったので、そのままベッドで 横になったら寝てしまったと思う。とにかく長い1日で疲れてたのは 間違いないことだった。
今では懐かしい渡米初日の思い出。
よろしければクリックして投票下さい↓
 |