「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年05月06日(木) |
死生学 人格の壁 無防備さ |
人生の折り返し地点は何処なのでしょう。人生80年どころか私の身近には100歳近くになられるお方も何人かお見かけします。生まれた人は必ず死にます。私は今、自分がこれからどんな生き方をしていくのかをじっくりと考えている段階です。うーん、過去の私達の生き方をどのように説明すれば良いのかがわかりません。とにかく私達は“私”として自分の感覚をもって生きてはいなかったのです。
ある本に、『人生を行き当たりばったりで生きている人は、ある日突然人生の折り返し地点に来ていることを知り狼狽する。じっくりと自分の人生を考えて生きている人は、人がいずれは必ず老いて死んでいく事を知っている』と書かれていました。私はどうかな・・。確かに20歳代の頃には時間もエネルギーもたっぷりあると思えていたのではないでしょうか。そしてもっと自分の人生を自由に使っているとさえ思えていたのでしょう。実際には生まれてから1年前まで私は、常に自分の人生がまるで別の誰かのものでもあるかのように、翻弄されながら生きていました。過去の私は自分以外の何かがすべてだったのかもしれません。仕事がすべて、子どもがすべて、家庭がすべて。自分自身の中にうずくまっている存在欲求を満たす為に、自分以外の何かを掴もうとしていたのでしょう。
本当はまだまだ私達は別々の行動をしています。けれど以前よりはずっと近いところで生きているのだろうと思います。別人格との距離の問題は、 “ 壁 ”と言う言葉で表わされるようですが、私達の壁はある人格との間ではとても薄く、又別のある人格との間ではもう少し厚く・・と、こんな風になっているのかもしれません。そして、距離的にもっと近くなる為に、優合する為に必要なことが何なのか、今は頭のずっと奥のほうで見えています。私がそれを心まで持ってきて受け入れていけば、もしかするとすぐにでも優合できるのではないかと思えます。
私は今日、無防備な女性たちを見ました。彼女達は目の前の人をほんの少しも疑っていないかのようでした。もちろん私は彼女達の人生のごく小さな一部分を見たに過ぎませんが、そんな彼女達と関わる自分の姿を私はいつもと見つめていたいと思います。23:30PM
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