学童期の癒やしの作業をしているとき、時に語りすぎる自分は傷けられた心の現れであったと理解しました。今まで気づかなかった自分に気付くときはいつも安心しますし新しい私として生きられる自分をイメージすることもできます。学校に行く意味は、単に英語の勉強のためだけではなかったのです。