「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEX|past|will
読者の皆さんは英語スキル不足で上手く対応してもらえなかった、と感じた経験はお持ちですか?今日は春講義で受けた栄養学のクラスでの出来事をひとつ書きたいと思います。
クラス初日、授業終了後に聞き取れなかったことを質問しに行くと、私の目には後ろで用事をしながらの背中を向けたままの教師と速すぎて聞き取れない返事が耳に届きました。その対応に戸惑いましたが、その戸惑いを伝える英語は浮かびませんでしたし、クラスメイトはネイティブの子ばかりでしたので(英語スキル不足だし仕方がないな)の印象で帰宅しました。そして、当日の宿題となっていた自己紹介エッセイには英語スキル学習中の為に聞き取れない場合が多々ある)と書き添えました。
しかし、その後も同じ事が起きました。クラスディスカッションで発言した日には、私の言いたいことは上手く伝わらなかったのでしょう。教師には「ゆっくり聞いていられない」と返答され、私は石のように固まりました。どうやら発言とはみなされなかったようでした。余談になりますが、一般にアメリカは自由と平等の国と言われていますが、必ずしもそうとは言えないと感じる場面に時々遭遇します。日本国内に欧米人の嫌いな日本人が居るように(その方達は欧米人に限らずはよそ者の侵入者を嫌っている場合が多いと思います)、アメリカにもアジア人の嫌いなアメリカ人がいるのだと思います。カレッジで会う日本人学生にも以前クラスで不当な扱いを受けていると聞いたことがあります。そんなわけで、(彼らの言ってたことはこういう事なんだな)と納得したりして毎日のように一緒に住む友人に訴えました。
しかし一週間もすると気付いたのです。強者が弱者をいじめたり邪険に扱かったりする行為はどの社会にもありがちで、そういう意味では他者からの共感や同情を得やすく、つまり、被害者として過ごすことは簡単なのです。私はこのまま誰かに訴えているだけではいけないと思いました。さらに、実際に状況は日常化していてキリもなく解決にもならなさそうでしたので、友人に話すこともやめました。
ただし、止めなかったことが二つありました。それは、わからないことを聞くということとクラスディスカッションの際に発言するということです。グループワークの時にも出来る範囲で会話に加わりました。クラスメイト達の余談も楽しみました。「止めなかったこと」と書きましたが、なんと言いましょう。実際には、わからないことは聞いてみたくて、何か考えが浮かんだら言葉にしてみたくて、何よりその時間をほかの人と一緒に楽しみたいという単純な気持ちからでした。特に、何だかウヤムヤだなと感じた時にはウヤムヤの扉が開いて中身が解明するまで、会話ですと全部を聞き取れないですし、教師にストレスを与えてしまう可能性もあるのでメールで尋ね続けました。謎が解明していくのは嬉しかったし気持ちがスッキリするのです。
講義終わりの一週間前に嬉しいことが起きました。前日に出した質問メールの内容は「私が(白版に)書いたことはミスでしたか?同じミスをしたクラスメイト達は注意を受けなかったのだけど、私は注意を受けた。彼らと私の何が違っていたの?」というものでした。一度返ってきた返信に、私は納得が行かなかったので再びメールを出しました。その返信が届いていなかった日、クラスに入ると教師が私の席にやって来て、私は初めて彼女に名前を呼ばれました。そして彼女は「まも、忙しくてメールの返事をする時間がなかったからごめんね。あの場合は…」と言って私の知りたかったことを説明してくれました。当初の私の答えは実は間違っていなかったとわかり、心のもやもやがスーッと消えていきました。私は「いいえ。大丈夫です。私はただ、彼らと私のミスのどこが違っていたのか知りたかったので」と答え「英語のレベルが低いので何度も聞かないといけないんです。あなたの時間をたくさん使ってごめんなさい」と伝えました。すると教師は「No no. 謝る必要はないよ。あなたはすごく努力している」と言いました。なんと嬉しいお言葉。この意味を私は「自分に丁寧に生きている私がここにいる」として受け取りました。この日の私はクラスが始まって初めて、気持ち晴れ晴れ楽しい気分。自分に丁寧に接することは心と英語のスキルアップにつながるようなのです。ということで、ちょっとした報告を読んでくださってありがとう。
|