またまた久しぶりにパソコンを開いてみた。 かなりホコリをかぶってしまっていた・・(笑) 仕事は相変わらず 良くも無く悪くも無く・・なんとなく続いている。 これでいいのか?とも思わない。 これでいいのだ、とも思わない。 知らない、わからないというのが結論かな。 このところ色々読書をしている。 この前 有名な本を買ってみた。 開いてみた・・読めなかった(涙) なんと・・漢字が読めない、意味がわからない。 なんでまあこんなに頭ぼけちまったとは。 哀しいかな。 この前 育児本とやらを買ってみた。 「子供を叱らずにすむ方法」 ほんまか? と思って読んでみた。 共感できなかった・・ 子供の育児方針が私と異なりすぎていた。 とにかく「保育園はOKか?」というところで プチっときた。 子供は2歳までは親の下で育てるのが良し。だという。 じゃあ もう駄目じゃん。 ということで この本に対する私の評価はかなり低くなった。 結局保育園児がどう成長するのか、それはこれからのお楽しみらしい。 そりゃそうだろうさ。 私も保育園がいいのか悪いのか考えるのは毎日のことだけど 結論は出てない。 それは子供達が出すことだろうし、親がうだうだ考えてもわからん事は わからん。 とある雑誌でよい言葉を発見 「子供は子供でも、一人の人間。それを理解しようとするのは間違い」らしい。 そりゃそのとおり。 同じ遺伝子が少しあるとしても 人間が人間を支配するのも理解するのも 難しいし、できっこない。と、私は思っている。 今日、とってもおもしろい夢を見た。 私は 某有名人の彼女だった(これは 絶対ありえない) 彼にメールをして「会いたい」と言ったら 霧の中から彼が私を探し当ててくれた。 このときの感動は夢の中ながらでもかなり覚えている。 あ〜そういう事か・・ きっと 人間は自分を探し当ててくれる人を求めているんじゃないかって。 どんな状況でもどんな時間でも自分という存在を探して見つけてくれる、 そんな人を求めて止まないのが人間じゃないの? 子供もそうだろうと思う。 親はどんな状況でもどんな時間でも自分を探し存在を認めてくれる唯一の 存在だから「子は親を愛する」っていうんじゃないのかな? そういう気持ちって大人じゃなかなかわかりにくいけど 夢の中で、発見した。 自分の存在を立証してくれるもう一人の人間、自分を認めてくれる唯一の 人間を求めて、その人間に出会ったときの安堵感は計り知れない。 嬉しいとか愛してるとかそんな臭い言葉じゃなかく、 ただの「安堵感」。 「安堵感」が得られた時の快楽は何者にも変えられないわな。 子供が親に求めるのは「安堵感」なのかもしれないね。 そして何を隠そう 私は子供達にこの安堵感を求めているのかもしれない。 子供達は何処にいても私を「お母さん」と見つけるだろうし その言葉を聞くたびほっとするのもまた事実。 それはきっとお父さんも同じだろうと思う。 みんなお互いにすがってお互いに助けを求めて 肩を寄せ合って生活する個々の生き物ってのが家族ってやつかい? おもろいもんですな〜 まったく知らない存在、わからない存在同士が一緒に生活して お互いを家族と認識するなんて。
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