2004年11月25日(木)
自分が書きたいなー書きたいなーと日々思うことは大抵ほかのサイトで自分が言いたい以上に的確に書き尽くされているものです。 それでも、書いてもいいですか? ぼくは他のサイトよりも文が下手ですけどいいですか?
と、書きたくなりました。
上とは関係ないけど、前に話した現国の先生(某大文学部卒)と話していてわかったのですが「文学とは何かは習ってもわからない」ものだそうです。 前の日記で文系理系滅茶苦茶な偏見で書き散らしておいて何なんですが 今の大学は何かを読み解く(読み解いた解釈を教え込む)ことだろうとわかりました。 ごめんなさい、うそです。わかってませんそうだろうなぁと思っただけです。(しかも今更。) そして、その対象で文系と理系に分けているのだということに気が付きました。勉強以外は冴えてます。
日本の文学の史は源氏物語に始まります。 今回は断りない限り文学≒小説の話です。 他は知らない。 この後、文が熟成されて江戸時代まで来て(その間の事は忘れた) 「洒落本」や「黄表紙」といった大衆向けの本がでてきます。 これらの本はきっちりばっちり文学史や日本史に出てきます。 さてさて明治時代。 どこだかの偉い人(先生は知ってたけど名前忘れた)は言ったのです。 「日本の文学は駄目だ、欧米のような進んだ文学をもっと学ぶべきだ。」 この人が馬鹿だったのか、時代がこの人を馬鹿にしたのか・・・。 大抵の世の中を後から見れば馬鹿は高い地位にいると相場が決まっています。 この何某(名前知ってる人はそっと教えてくれるといいと思う。)と云う人は過去の文学を見て気が付きました。 日本にも欧米に勝るとも劣らぬ文学があった、そう源氏物語が。 そして彼は言いました、それを習え、と。 古すぎです、世界最古の小説持ち出すなよ。 ってかその前にお前は神か?必要なのは神じゃなくて紙とペンだ。剣より強いし。
この何某が馬鹿なことを言った所為で生まれた文学があります。 これが所謂、純文学なのだそうです。 ジャパニーズルネサンス?って聞いたら違うって言われました。 あくまで、追い越せ欧米で、偶然見本が過去にあっただけだそうです。
平安から江戸にかけて純文学→大衆小説と発展した文学を、何某はファミコンのようにリセットボタンを押してまた、純文へと戻した。 だから、その流れで文学史には大衆文学(特に娯楽小説)を含まないんだそうです。
江戸川乱歩や横溝正史は文学史には載らないのはその為らしい。(結局ミステリかよ!) ライトノベルが小説として黙殺されていたのと同じようなものだと思う。 この間、ミステリ出の舞城王太郎が三島賞を取ったりした。 そろそろ多くに分かれた枝をまとめる時期なのかもしれない。
もえたん2の話はまた今度にします。
「終わりの挨拶としては最悪だね」 まあね。
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