2005年03月16日(水)
僕の現国の先生が言っていたことには日本は「失望の連続」なんだそうだ。
まず50年代から70年代にかけての学生運動をはじめとする政治への失望。 日本人は芸能人が外国から来ると言うだけで何千人も集まるのに問題のあるとメジャなマスコミが言う法律でさえ可決(審議)される時は誰も文句を言いにいこうとしないし投書の一つもしていない(と思う。) 今日、島根県が獨島だか竹島だかの記念日の条例の反対デモを見て「あんなことして何になにになるんだ」と思った人が多いと思う。政治への失望。
自分たちが動いても何も変わらなかった…結局のところ「選挙時以外は奴隷」(byルソー)だった。政治どうあがいても変わらない。そう感じた70年代から90年代はじめの人たちは宗教に救いを求めた。 が、ご存知のとおり宗教は所謂カルト化し 教義は社会的に受け入れられがたい「偏った」思想であることが多い。また、教祖の真摯な思索に基づく思想ではなく、信者に対する詐欺行為が目的の単なる看板に過ぎないことも多い。
そしてサリン。
宗教は癒してはくれなかった。 次に僕らが求める先は失望せずにいられるだろうか?
とか長々書いてみましたが実際に言いたいことは人権擁護法案ってのが通りそうになってるってことです。 興味の無い人も人権擁護法案について(デスノート風)FLASH版(←リンク)だけでもみてくださいな。できれば最後まで。できなくても最後まで。興味のある人はそこの先にあるリンクも飛んでみるといいかも。
まったく知らされないで法律ができるの国民の無関心と政治家の思惑とどっちが大きいのだろう?
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