2007年02月11日(日)
mixiでは数行の日記しか書かない。たぶんそれは携帯電話で更新するから、携帯電話のメール機能を使って更新するからだろう。 携帯電話は便利だ、どこがと言われると単純に持ち歩きに便利だ。そして、短文をメモのように保存するにも長けている。ただ、問題はその使い方が携帯用であるがゆえに熟考に向かないことだ。(決して携帯電話での返信全てが熟考されていないということではない。) ひょっとしたら僕だけかもしれない。mixiの日記は(見たことある人ならわかるかもしれないが)数行、多くても10行にも満たない。 こっちの日記を書かなくなったのはたぶんmixiに微分されて掲載されているからでそこには思い文章のかけらもない。(重い文章もない)
どう表現したらいいのか困るのだけども、こっちは怨み・つらみのようなすごく長い時間で蓄積されたもの、mixiはキレる(切れた覚えがないので正しい認識かはわからない)ような突発的なものを書き込む場所、として僕の中で存在する。 たとえが悪い気もするけども決して悪意のある事柄に限定して書いているというわけではない。そういうような感じとして取り上げてもらえれば十分だ。
怨みつらみのようなすごく、こう、深い、重い部分をネットで公開している自分が言うのもなんだけれども人に興味をもたれたくない。 わかるか、わからないかわからないが旅先の恥は書き捨てなのである。 ネット上の多くの人にお前は馬鹿だ。とかだからどうした、とか稚拙であるとか書き下される分にはどうでもいいし、その心のうちを知られる分にはいいのだ。そういう人は、たとえ別の機会で出会っていたとしてたら「絶対自分には向かない人」と決め込んでいても何故か「この人には話してもだいじょうぶ」と考えるようになる。出会いは大切だといいたいわけじゃないがそうなのだから致し方ない。
同様に、普段隠しているものを好きなだけ書き連ねてるここは学友には知られたくない。知られたくないのは何でだろうと考えるとやっぱりそこまで話してもだいじょうぶなのだろうか?という疑問が先に来てそれからいろいろ別のことを考えるからだろう。
今日は日曜の朝だ。
だれもが寝坊する権利を持っている(友人は11時からバイトらしいが・・・)ルームメイトも起きていないこの時間が久々にたまったものを書き出す機会だったのだと思う。 実際ルームメイトは夕方からバイトで独りになる機会も多い。 しかし、それではいけないのだ。それはただ「一人である」だけでただそれだけなのだ。心が落ち着いて、真の方から何かが出てくるのがないと。
もう限界。全然理路整然としてないし全く別のことを書こうとしたのだけれど書く力が切れた気がする。ゆみょさんにあてられたのだ、と思うけれども久々に。うん。
※ちなみに本当に書きたかったことの方は、たしかになんか暖簾に腕押しみたいだったなということを文系教授との会話に何処と無く似てたなぁ(諦めてるって感じるあたりとか。)とかそれだとちょっとさびしい気分になるんだよなとかって書きたかったけどおーばーひーと中なのでむり。
別のネタだけどちょっと。
なんとなくブックマークを見ていたらクリトキンさんに教えてもらった画家のWEBサイトがあった。 ATSUSHI SUWA 諏訪敦 公式サイト すごくリアルな絵を書く人だ。
一番最初に思ったのが写真みたいな絵。 じゃあ写真と絵はどう違うのかと考えると前者には意思が介在しないのに対し、後者には絶対的な書き手の意思が介入する点である。
これをふと思ったときにこのサイトを作ってたときの事を思い出した。 もともとこのサイト(厳密にはgeocityの方)はFrontPage Expressで作られていた。 デザインとか考えて(はいたけど失敗しまくりです)作ってたんだけどその後HTMLってのは文法があってIEだけに貢ぐのは馬鹿っていう洗脳(もちろんジョークだ。)をアサイさんにされた。 それ以来タグ打ち、セーフカラー、正規表現を気をつけるようになった。 そうすると自然とデザインとかは諦めはじめた。
あれ、何が言いたかったんだろう。よくわかんなくなってきた。 概略を打ったメモにはCADは写真で図面は絵画。芸術と工業の間はそんなとこにあるんだなで閉めろって書いてるけどわかんない。 おわり
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