カウントシープ
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2005年09月22日(木) 忘れた誕生日

いつも忘れてしまうのだけれど、今月は母親の誕生日があった。

子供の頃は、誕生日を祝う習慣がなかった。
ボクは誕生日が近くなると、気持ちはそわそわするけれど、どうせ何事も無かったように過ぎることも知っていたから、誕生日が近づくと憂鬱だった。欲しいといえば何かひとつ買ってもらえたけれど、おめでとうの言葉はなかったから、誕生日が何の日かはピンとこなかった。

そんな調子だから、今でもボクは、生まれてくるということについての喜びってものが理解できない。生れ落ちたら、苦しいことや寂しいことがいっぱいなのに、どうして「おめでとう」って皆言うんだろう、ってずっと思っていたけれど、
おめでとうと言う言葉が言える人たちは、きちんと祝福され愛され、あるいは愛される経験は少なくても、その中で与えてもらった優しい出来事に目を向け、気づけた人たちなのだ。

そこまで気がついたのに、今でも母親の誕生日を忘れてしまうのは、ボクが母親に何かをプレゼントしても、母親からは返ってこないって解っているからで、それを寂しいと思っているうちは、このセレモニーを回避するという仕組みになっているのかもしれない。

毎年、来月の父親の誕生日が来ると、ボクは2人の誕生日を思い出して、2人分のプレゼントを抱えて実家に帰る。誤解を招くようなクダリだが、最近の母親はお金はくれる。何か買いなさいといってお金をくれるけれど、ボクが何が欲しいかを想像して、選んでくることができないだけなのだ。

多分、母親だって困っていた。子供が何が欲しいか、さっぱり想像できなくて、子供が不気味な存在として捕らえられていた。ボクは母親を苦しめる存在であり、そうなっていることを知っていて、そうならないように振舞おうとしたけれど、やっぱり心の中では望む自分がいて、今も時々心の片隅にいるのだ。


ロビン