先月舘野泉さんのコンサートにいきました。左手のピアニストなので左手のプログラムばかり。
スクリャービンもバッハもすばらしかったけれど私がとても好きに思ったのは、 「新叙情主義」 「世紀末現代音楽撲滅運動」 の騎手である吉松隆作品です。
不協和音や無調、不思議な落ち着かない展開におおわれた「現代音楽」というジャンルに、メロディを復活させた作曲家。
「四つの小さな夢の歌」 「プレイアデス舞曲集」 どちらも気に入ってしまいまず現場でアルバム「アイノラ叙情曲集」購入。
正直ゆうと、「叙情」ってつぶしのきくうさんくさい言葉だよなって感じていましたが、迷わず買いました。
何度か朝も寝るときも聞いていたら楽譜がほしくなりとうとう楽譜発注。 こんな感じで私のうちにはトランペットでもなくオケスコアでもない楽譜が、またひとつ増えました(笑)。 使うために買うだけが楽譜じゃありません♪ 今日やっと受けとりまして。 着払いだったのでなかなかうちにいなくて遅くなっていた。
叙情性は大切なことなのに、理知的なスタイルで、硬派な処理で、正統派(彼らが自信をもってゆうとこの本物)にみせる(笑)ためにあえて素直な叙情を隠すってゆうかね。 コントラストのバランス感覚でそうしてるんじゃなくて、叙情性ないとかっこよさがあるみたいな見方、聞き方、えんじかたってされやすい時や場所があります。 私個人はかなりたくさん経験しました☆
私はこの吉松作品の叙情性にふれてみて。
素直に感情移入ができる音楽に対して、神業のようにすべての技術を手に入れたにしても(まずもってかなりありえないけど)、
トランペットらしくないとか、現代的ではないとか、素人臭いとか、ばかにされてでも(笑)叙情を伝える曲は必ずどこかにプログラムしたいと素直にそう思った。
叙情的なものを堂々と披露することにも、 りりしい勇気と鍛練がが必要なのだね。 アイノラ叙情曲集をすばらしく演奏された舘野さんは、間違いなくヒーローだった。
強くしぶとくなければ優しくなれない、と私はいつもおもうんですが、 すると叙情的な音楽は最高にハードボイルドな(笑)裏付けがあるんではないかと私は思う。
レグルス回路という小品集の楽譜をみて、
今まで音楽にラブレターを一方的にだし続けてきた自分に、やっと神様から返事をもらえたような気がします(笑)。
その手紙はラテン語とか象形文字(^_-)とか判読不明な記号ではなく、論説文でもなかった。
ただ素直に美しいメロディがたくさんつながった楽譜なのでした。 はかない叙情ではなく、凛とした芯のある叙情主義でいきます!! そんなわけで、楽譜とアルバムですっかりはまりこんでいる私でした。
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