私は小さな時に、母がとっているお琴の先生方の会報のようなものを勝手に盗み読みしていたのです。 とても衝撃的に心に残っている言葉があり、確かこんな感じでした。
『すべての石が磨けばダイヤモンドになれるという指導には嘘がある。 世の中すべての石が磨けばダイヤモンドになるわけではないのは自然の理である。 磨けばダイヤモンドになれると育てると、ダイヤモンドになれないと気づいたときにその生徒は芸を手放すことだろう。 いっときはがんばるが長くは続かないおしえかたなのだ。
しかしどんな石でも、丹念に磨けばそれなりの玉にはなるのだ。
ダイヤモンドにはダイヤモンドの輝きが、ただの石でも玉には玉の、またたかなくてもそれはそれなりの照りと味わい、風合いがある。
磨いた玉は丸い。どこにおいてもダイヤモンドのように他のものを傷つけない。ダイヤモンドのすばらしさを教えるだけが指導ではない。玉の長所を認めることで才能を開花する生徒もいることを、教師は知るべきである。』
ほんとはもっと長いんですけど、だいたい流れはこんな感じでした。
私は、ダイヤモンド大、大っ好きですが(笑) 子供ごころに、この『石も磨けば玉になる。玉は他のものを傷つけない。玉はまるい』とかいう、この一節にかなり強烈な感銘をうけたのです。
なにか、玉に、強烈なパワーと魅力を感じたのです(>_<)
磨いて輝くために尖っていくことなく、やはり丸くありたいと思う。 多分私は子供のころに玉に憧れてしまったのですね(笑)。 自分に玉とゆうかダイヤモンドじゃありません的な(笑)目覚めがあったのはこれを読んだときだったような気がします。
なぜだか、母には言ってはいけないような気がしたので、自分は留守のときに何度もその文をこっそりと読みにいきました。
それを読むとすごく感動したんです!
今日はそのことをまた思い出して『玉ってやっぱりカッコイイ☆』とやる気ぱんぱんになりました。 まあ、ダイヤモンドな人たちの天性の傲慢さに疲れちゃったのもあるかな…(笑)。 ダイヤモンドだからって傷つけまくっていいんでしょうか。
才能と刃は使い方が大事でふりかざすものではないと思います。
そんなわけで本日の私の憧れは、玉なんでした☆地味ですけどよろしく♪
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