xxxxxx 表面張力(仮)

虚実入り乱れても記録
20010802--



2003年11月14日(金)

10年前の自分達は思い浮かべもしない未来に

 『スクランブル』(若竹七海)を久々に読み返した。
 読んだのは確か大学生の頃だったと思う。この作者に姉がはまっていて購入したり図書館から借りたりしていた。姉の本棚から出してきて、他の本も読んでいて、ある本のある場面に出てくる場所を知っていた。そこは懐かしい場所で、なんとなく感傷的になった自分を思い出すからだ。多分、その頃に集中的に読んでいたはず。もうそんな気分になることはない、それくらいの過去。
 あの頃は高校を卒業して数年で、まだそれほどこの本(『スクランブル』)に流れる空気が分からなかったように思う。いや、当時は当時の感じ方がある。多分、タイムリーになったのだろう。この本では登場人物達は15年前の高校時代を思い出している。そういう時期なのだ、今は。


 先日、いいタイミングで高校時代の友人が家に遊びに来てくれた。彼女は働いているけれど、会社が休みだったのだそうだ。勿論、数日前に連絡をくれ、当日は少し遅刻をしてやってきた。
 高校1年生からの友人だ。もう10年以上の付き合いになった。一昔と数える単位にすらなってしまう時間。この間に、色々あった。多分、お互いに。
 クラスでもトップで結婚は遅いだろうと(もしくはしないだろうと)思われていた私が彼女らより早く結婚をし、しかも希望通りに順調に進んでいた道から降りた。主婦をしているのが不思議、と友人は私に言う。そんな彼女は当時の希望からは離れた職種に携わり、それなりに不満を抱えながらも社会人をしている。
 10年前の自分達は思い浮かべもしない未来に、今の私達はいる。日常はとても地道で、希望通りでもそうでなくても生活をしていくということは我慢と諦めが層のように重なってできていくことだ。そのところどころに、綺麗な色の層がある。そういうことなのだろう、と少しずつ分かってくる。

 高校生の頃は、厄介な自意識や背伸びしてみせる心持ち、そしてそれらを馬鹿にする矛盾にぐるぐるとなりながら過ごしていたように思う。考えを素直に話すことはできても、弱い部分を話すことはなかなかできなかった。どこか格好つけたかったし、それはくだらないとも思っていた。
 当時に比べて、とても楽になった。弱いところは当然あるのだ、という認識が出来てきたからか、人の話も聞けるし、自分の話もまま出来るようになった。それは友人も同じようで、当時より不器用な鎧がなくなったように感じる。
 それでも私はなかなか自分の弱点は話せない。現在進行形の弱点は、ただひたすら自分の中で抱え込む。それが重くなくなるまで。
 そんな重しを、もしかすると…多分、目の前の友人も抱えているのだろう。そうすると年をとってどうなったかというと、それなりにある重しをさりげなく保つことが出来るようになって、かつ他人も持っていることが分かるようになった、というところか。
 まとまらないまま、本日は終了。



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