2004年03月31日(水)
ただ単に欠けている
先日、友人が遊びに来た。 その言葉は正確ではなくて、試験勉強をしている私に色々と自分が使った問題集などを持ってきてくれたのだ。そして結婚写真を見に。どうも女友達は写真を見ると言うけれど、男友達は見るどころか思いつきもしないようだ。 その友人が写真を見て「引きつってる」と笑う。まさにその通り。あっち向けこっち向け笑え笑え笑えと大変だったんよアナタ。そして話は色々な方向に流れる。 で、しみじみと思ったこと。
類友。
友人は、私より物事を切り捨てるのが早くて見た目の明るさを保つのが上手で物事を建設的に捉えるけれど、考えに考えすぎて思い詰めて自爆するタイプだ。考えすぎの方向性が一緒。自爆も一緒。自爆の仕方は別。 私は破壊。彼女は強制終了。 私と彼女は、誰しも持つであろう人生の傷においてその種類が似通っているトコロがあって、そういう意味では元々類友なのだと思う。しかし、考えすぎという部分も似ているとは、まあいやはや。そういう傾向なのか?とまで考えてしまう。 行動の前に考えて考えて考えて、ボン。 結局は考える方向が間違っているのだと思う。
夫や共通の友人について話していて(彼女と私と夫は同じ団体に属していて知り合ったので共通の友人が多い)、色々と考え込んだ。なんていうか、彼らが傷ついたことがないとは思わないし傷が見え隠れしているコトも知っているのだけれど、彼らはとてもポジティブで辛いことがあっても最終的に前を向くし破滅的なことにはならない。人に対しても物事に対しても、クールとかホットとかそういう質ではなくて姿勢が前を向いている、ように思う。いや、感じる程度だけど。
「うまく言葉に出来ないけど、仄かな影っていうか暗い部分がない気がする」 彼女はそう言い表した。私もそう思う。
彼らは両親を尊敬できている。周囲の人を大事にできる。自分のことも大事にできる。最終的に自棄にならない。ある意味においての馬鹿な行動を取らない。賢いかどうかは分からないけれど、おそらく間違っていない選択をできる。 「家族に愛されてきちんと育ったんじゃないかなって思う。そうじゃないと親を尊敬するなんてできない」 「あと、自分にとって決定的になる欠落がないように思う。欠損?欠落?よく分からないけど」 そう話して二人で笑う。そういう人がいいねえと話す。 馬鹿な行動ばかりしているわけでもないが結局は愚かな私。馬鹿なことをしないかわりにどの選択をしない友人。順調な恵まれた、不自由のない生活をしていることを自覚している。けれどそれでも私達の足下には。 私達は不幸なわけでもなく不運なわけでもなく、ただ単に欠けた。それだけのこと。
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