xxxxxx 表面張力(仮)

虚実入り乱れても記録
20010802--



2004年04月15日(木)

それに対して意識だけは向けている

 今朝、ニュースを観ていてぶっとんだ。
 作家の鷺沢萠が急死した、と報じていたその番組。慌ててテレビを消してパソコンを立ち上げる。作家本人のHPを見てみたら、管理人さんの言葉が書かれたページが最初に出てきた。詳しいことが何か書かれているわけではなくて、多分色々と問い合わせが来ていて大変なんだろう、管理人さんも友人として辛いだろうにと思わせる、でも感情的ではない文章。ああ本当なんだ、と軽いショックを受けている。
 人は誰でも死ぬ。

 彼女の本もまた、全てを読んでいたわけではないけれど好きな作品もあった。どちらかというと初期の作品を好んで読んでいた。多分、初めて読んだ思春期の私に合っていたのだろう。そしてHPも時々覗いていた。こういうことがショックを受けた理由だろうか。
 最近、ぱたぱたと芸能人も亡くなられたけれど、その中にはやはりショックを受けた人もいるけれど、なんていうか、HPを覗いていると少しリアルタイムなのか身近に感じるのか、とにかくリアルな驚きがある。


 心不全で亡くなられたらしい(*)。
 私が突然死んだら、まだ困るなと心底思う。やり残したコトが、などではなくて非常にくだらないのだけれど、押入の荷物を整理したいし捨てないとまずいものもあるし送っていない荷物もあるし、という些細なことだ。それらをしておかないと夫や実家の家族が悲しくなりそうで。別な意味で。
 まだ一応新婚だし(結婚3年間は新婚らしい)とも思う。死んでしまったら子供もいないことだしさっさと新たな相手を見つけて欲しいけど、他のことについては器用なのにその点に関しては微妙だからなと色々と考えてみたり。

 私自身の人生において死はそれほど身近ではない。
 家族を失ったりとしたことはあるけれど、覚悟の出来ていたそれであったことが救いだった。突然訪れてきたことは今のところはない。私自身においても、ここで自分は死ぬかもしれないという思いをしたことはないわけではないが、基本的に穏やかで平坦な日々だった。
 ただ、死はずっと意識していた。
 いつのころからだろう。記憶にあるのは小学生から中学生に入るあたりの頃から。
 何を誰に貰って欲しいなど他愛もない(だって内容は漫画本とかしかないし)ことを書いた遺書。秘密の物は定期的に処分していた。
 今でも意識はしている。買い物へ行って事故に遭ったら、と考えて掃除はしてから行こうとか洗い物は全て片付けてからとか相変わらず他愛もないことだらけだけれど。多分、成人してから…色々と分かってきてからの方が「何時どこで何が起きても不思議ではないし自分には起こらないということはない」と意識できるようになったと思う。
 今ここで死んでも後悔しないなんてことはないし多分後悔しまくりそうだけれど、それに対して意識だけは向けている。私はそんな姿勢でいるのだろう。




* 追記
 その後、自殺との報道。やりきれない。
 でも多分、周囲の人はもっとやりきれない気持ちでいるのだ。



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