読書日記

2001年12月06日(木) 井上ひさしと十川信介の対談を読み、小田実の巻頭エッセイに目を通す。

井上ひさしと十川信介の対談を読み、小田実の巻頭エッセイに目を通す。
前者は岩波書店の「図書」12月号の「明治文学への新しいアプローチ」と題したもの。これはもちろん「新日本古典文学大系 明治編」発行の宣伝を兼ねている。
ちょっとした文章で人は常識だと言い放つだろうな、ということも井上ひさしだと勉強になるような気がする。例えば、こんなところ。
「明治は文明開化のなかで、西欧のものを全部良しとし、それまでの日本のいろいろな蓄積、語呂合わせや戯作的なものなどを軽んじたり、全部否定してしまった。」(P2)
後者は新潮社の「波」12月号「『夏炉冬扇』の『アンガジュマン』」という題名である。これも著者の新刊「くだく うめく わらう」の宣伝になっている。
「この『日本』は、これはどうも私の考える日本ー『私の日本』ではない。/私はこのごろ『私が日本だ』と考えることにしている。そう考え、人にも言うことにしている。それは、たとえば、アメリカ合州国のおおぼえめでたかろうとして、彼らの『報復戦争』に日の丸と軍艦旗をかかげさせて軍艦を派遣するような日本は『私の日本』ではないからだ。」(p2)
こういう感覚は嫌いではないのでこれからはこの著者に少し注目することになる。
今日も「一冊」の読書できず。


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