| 2002年01月03日(木) |
佐野眞一「渋沢家三代」(文春新書1998.11.20)をやっと読み終わる。福永武彦「告別」(講談社文芸文庫1990.6.10) |
佐野眞一「渋沢家三代」(文春新書1998.11.20)をやっと読み終わる。長い間隔を置きながら読んできたので今頃になってしまった。日本の歴史のいわば王道を歩んできた渋沢家が今では忘れられた存在に近い。裏面史という趣である。 渋沢栄一の話よりも終りの方の渋沢敬三の部分が面白かったのは興味の持てるエピソードが多かったためだろうか。 全体としては期待した面白さは得られなかった。もう一度読めば印象が変わるのかもしれないが、今のところ「駆け足」で渋沢家の歴史をなぞった感が強い。 新書という枠では280ページを費やしても無理な素材だった。 福永武彦「告別」(講談社文芸文庫1990.6.10)を読んでみた。この作者から私が受けた感動は内容の面よりも語りもしくは構成の独創性である。一時期狂喜したようにその長編を読みふけったのはもっぱらその構成の見事さによる。 その構成と語りは中編の「告別」にも健在だった。「告別」という言葉に二重性を持たせてさっと終わるところに感動がある。 もう一つの作品「形見分け」も同様である。こちらはミステリーといってもいい。記憶喪失の男とその男を介護している女が主要人物の「告別」よりもさらに短い作品。構成に対する強い意識はここでも見事に発揮されていて、最後の一文でぴたっと着地が決まる。 内容はどうでもよくなってくる。文章のうまさと構成への興味で安定して読めるのである。主題や内容はもう一度読む時に深めようと思う。(実際にはそうはいかないだろうが)ビデオで映画を観た。怪獣映画。 「ゴジラ対メガギラス(ゴジラ消滅作戦)」主演の田中美里さんと今までのゴジラものよりもSF的になっている点が好感度高し。今映画館で上映中のゴジラものの最新作に続くと思われる。怪獣映画を今になっても観ているというのは気恥ずかしいが、ゴジラ映画も少しずつ進歩しているようだ。
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