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先日、久々にTVを観ながら泣きました。 TVにはイラクで亡くなった橋田さんの奥さんが映っていて。 「夫婦の間で、“(夫に)何か起こってもちゃんと(後のことを)やるから”と約束を交わしていたし、いつかこうなることは覚悟してましたからね」 と、スタッフに向けて笑いながら話していました。 「夫は幸せだったと思いますよ」と語るその笑顔に、悲しみとか愛情とか…いろんなものが感じられました。 なんか涙を流されるよりも、すごく心情が伝わってきて…。 「私は、あと10年くらいは一緒にいたかったんですけどね」 という言葉に、もう私の方がボロボロ泣きました(苦笑) 強い人ですよね。気丈…にも言い換えれますけど。 死をしっかり受け止めて、その場に留まることはしないんですよ。 陳腐な言葉ですけど…凛として、格好良い姿だと思いました。
さて、話は変わって。 私はよく、何か作業をしながら空想に浸ることがあります。 授業を受けているときだったり、バイトをしているときだったり、自転車に乗っているときだったり…ホントにいろんなとき。 まぁ…小説や漫画のネタを考えることが多いんですけど、時々、『もしも空想』をするんですね。
昨日、バイトをしながら、「もしも私が、今通っている大学ではなく、違う所に通っていたら…」と考えてみました。 実は、今の大学は滑り止めだったんで、本命は別にあったんです。 今は気楽に話せるけど、落ちた当時はけっこう凹みました。 仲の良い友達ともバラバラになっちゃって。 入学当初は「私は友達も作らず、孤独にやっていこう」なんて、かなり暗い考えを持ってたんですよね〜。 独りになるのが何よりも嫌いなんだから、そんなこと出来るハズがないのに(笑) 結局、何だかんだ言いながら、友達もたくさん出来ました。
じゃあもし、本命の大学に受かっていたら?? 親の負担は間違いなく減ったでしょう、公立だし。 やりたかった『源氏物語』の研究を、もそもそやってるでしょう。 あ、あと『古今和歌集』などの短歌研究も。 相変わらず漫画は描いてるだろうし、小説も書いてるでしょう。
…でも、今、周りにいる友達みたいな友達はいないかも。 本命に受かっていたら、親友の一人と一緒だったんです。 だから、ずっとその子と一緒で…視野が狭くなったかもしれない。 それを考えると、新しく友達探しが出来た分、離れたことは良かったのかもしれないんですよね。 “ここ”で出来た友達も、とてもかけがえのない宝物で。 その友達を通じて知り合った人たちも同じ。 お兄ちゃんに関しては、宝物って言葉じゃ言い表せないし。 それに、お兄ちゃんのいない自分なんて、もう有り得ないし。 『もしも空想』をした時は、自分がいるところに、確かに意味があるんだと気付きます。 『偶然』なんかじゃない。 『運命』『天数』では安っぽい気がする。 …どんな言葉でも表せない、私が生きてきた軌跡と、皆に出会えた奇跡。
「私、本命に落ちて良かった」と思う瞬間(笑) そんなことを考えた、金曜の夕方でした。
2004年06月12日(土)
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