今日はよい日だったぁ。 と呟くこころ。
ちょっと遠くまで足を延ばし、とある舞台を見に行って、 ピエールエルメ・カフェで美味なケーキも食べられて、 のんびりとお買い物をしておうちにお帰り。
時間になったら、以前からチェックしていた 国際宇宙ステーションを夜空に探す。 あきらめかけたところに、つつーとすべる輝き発見。
今日はよい一日だった。
とあるお話を借りて読んで、返却するときに 「このお話のラスト、こうだったら私の好き系なんですけど」 と言ったら、 「なるほど、切ない系が好きなんだね」 と返された。
おお、そうだったのか! いやいや納得。 よく考えればそのとおりでした。
恋愛小説で例えるなら、誤解して、すれ違って、 相手を思いやるふりをしながら自分のことをこすっからく守って、 それらの泥臭くて卑怯なあれこれを踏み越えて、 ラストは一緒になるもよし、別れるもよしなんですけど、 (でもどっちかっていうと別れて成長してゆくほうが好き) まあ、そう、そういうお話のほうが好きで、 胸がきゅんきゅんします(笑)。
同じように、涙を誘われるポイントもそういうひねくれた箇所で、 私が人生で初めて泣いた小説(本)は『マリリンに逢いたい』で、 主人公犬が恋犬に逢いに海を渡るという名場面(だったっけ?)ではもちろんなく、 犬のご主人と、その兄貴がそれぞれの主張を抱えて殴り合いの喧嘩をするシーンだった、という・・・
なんだそりゃ・・・
もちろん、「さあここで涙どーん!」な場面にも「うっ」とくるんですが、 意地で泣かない。
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さて、こんな私が先日見た『ハリー・ポッターと謎のプリンス』ですが、 もちろん全員の涙を誘う“あの”シーンにもぐっと来ましたが、 それより重くやってきたのは、 ワンカットだけ入ったマルフォイの切ない表情でした。
ああいう、突っ張っている子のがまんしている弱さ・強さに共感を覚えます。 判るような気がする。なんとなく。 本当は平凡な自分を知っている、けれど認められない、 でも、今手にしているのは自分の望んだものではないのだ、という葛藤。
+ + +
私は結局、小説をストーリー展開と語り口とキャラ萌えで読んでいて、 「小説から得られる何か」なんて考えずにさらーっと読み流すし、 だからこそ何回も何回も復習するように読むし、 それでもミステリの伏線とか、あっさり読み飛ばすけれど、 雰囲気をつかむのはきっと得意なのだ、と信じている。
言葉になった理解ではないけれど、 きっと、「小説から得られる何か」はきっと、 きっと感じ取っている、と信じたい。 「なんとなくだけど判っている」と思いたい。
さて、それは真実だろうか?
川上麻衣子さん(15年前)、 perfumeのあーちゃん
が、那音の惹かれてやまない顔立ちの持ち主なのだけれど、 その一方で分かり易く好きな顔立ち、というのもある。
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基本的には「童顔」がポイントで、つまり 小池徹平、 宮崎あおい、 なんかが並ぶわけですが。
perfumeののっちを可愛い、美人だと思うのはこちら側の「好き」。 分かり易いので、那音はこちら側になりたいなと思うのです。 うらやましい顔立ちということか・・・ 好みのバランスもあるので、童顔で小顔だとしても背が高いとちょいと駄目なのです。 適度に小さくないとね・・・
と、そんなあれこれを呟く那音本人はどっちの側でもない顔立ちなので、 きっと自分にないものが素敵に見えるってことでしょうかね。
perfumeが好きです。 初めて認識したのは彼女たちが‘いいとも’に出ていたときで、 変な落ち着きのある娘たちだなあと思っていた。 のちのちポリリズムのPVを見ると「あら素敵」に変わり、 今は「踊っているところが見たい」と思う。
まあ、映像だけでよいのだけれど。 間近だったら生もいいね。 (それほど気乗りはしない・・・人ごみ嫌い)
ライヴ・ビデオは買ってもいいかもしれない。
基本的に下積みの長そうな感じの女の子(アイドル)が好きだ。 ちょっと前には、あややがどうしても好きだった。 あの、なんだか変な落ち着きね。 浮わついていなくて、今居る場所に緊張感があるような。
のっちが抜群に美人だと思う。 かしゆかは・・・好みではない。 前髪ぱっつんでないほうが可愛らしいね。 けれど、どうしても私が目が奪われるのはあーちゃんだ。 なぜだろう、あーちゃんはなんだかものすごく魅かれる顔をしている。
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以前から「好みの顔」については書こう書こうと思っていたのに、 すぐに忘れてしまい、あまりきちんと書いていない。 童顔が好きだ。中性的だとなおのことよい。
昔っから顔が好きな女優さんがいて、それは川上麻衣子さん。 今と変わらずふっくらした頬と微妙なショートヘア、 つぶらなのにどこか挑戦的な瞳とはっきりした眉。
15年くらい前のお話だけれど、 川上麻衣子さんは当時の私が唯一目を離せなくなる女優さんだった。 演技や雰囲気ではなくて、顔がとっても好きだった。
ん?いや…「好き」と認識はしていなかったかもしれない。 川上さんは、いわゆる単純な美人ではないから、 自分が惹かれていることを自覚するのにちょっとしたきっかけが必要なくらいだった。
私は川上麻衣子さんの顔立ちを「少年のようにも見える、」と当時思っていた。 そんな中性的な、そして童顔(これは間違いないだろう)の顔立ちが自分の好みで、 その人を好きだとかなんだとか、自覚する前に強烈に魅かれてしまう ということを知ったのはもっとあと。
いや、男性に限らず。女性についても。
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だから、たぶん、あーちゃんにも同じエッセンスを感じているのだろう、とは思う。 童顔?中性的?…とは、ちょっと違うカテゴリなのだろうけれど、 その本人(演技や音楽や・・・)が好きだと思う前に どうしても目が離せない。 「あ、」と思う、目が止まる、あえて探す、etc。
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Q氏は完全に川上麻衣子さんカテゴリで、 第一印象は「女の子みたいな顔をしている」だった。 いや今は当然、Q氏の歳もだし、そうはみえないけれど。
2009年07月12日(日) |
植物を育てられるひと |
私は植物を育てられる人になりたい。
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久しぶりの黎明ノォト。 もうすこし義務的に書いてみようかと思う今日この頃、 那音宅では植物育成プログラム進行中でございます。
新居に移り、念願の大型観葉植物を購入したのはよいのですが、 雪の降る日にぽそぽそと濡れて宅にやって来た 見上げるほど大きなそのコは、 陽照りつける夏に猛烈な勢いで成長し、 その反動でか秋以降、急激に枯れてしまいました。
まだ観葉植物初心者の那音はあわあわとそれを見守るだけで 一向によい治療をしてやることができず、 無念に見送ったのであります。
傷心の冬を過ごし、 春と同時にQ氏と心を入れ替え、 「小さいコから時間をかけて大きくしていこう。 その中で、育て方を覚えていこう」 と方針転換し、 今やその希望で飼われる植物が多数、宅に転がっております。
呪文のような フィカス・ベンジャミナ (Q氏の独居時代からのおとも) 新入りの フィカス・ベンガレンシ と フィカス・アルティシマ 王道の アイビー (3種ほどあるが、名が不明) そしてカネノナルキ。
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植物と縁近い職を持っている一方で、 ちっとも育てられない那音。 もっぱらQ氏が育てているような・・・
少しずつで良い、 植物を育てられるひとになりたい。 宅の中がジャングルのような、そういう部屋に憧れている。
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けれど、その一方で庭先に色とりどりの花を咲かせた ガーデニングにあふれた一軒家には 少し胡散臭いものを感じて、私は好きでない。
明るく鮮やかで華々しく分かり易く美しい、 そのような押し付けがましさが怪しい。
対照的に家の中は暗く、停滞し、すれ違い、 こごった憎しみやほぐれることのない怒りが (渦巻くほどではなく) 足元に沈殿して澱のようにはなっていないだろうか?
と、そんなことを想像してしまうから、好きでない。
ベランダが植物で足の踏み場もなさそうなマンションの一室も、 遠くから眺める私には同じように感じられる。
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あなたはその無数の植物と同じように ひとを愛していますか?
もの言わぬ植物はただ己を感じて生きているだけ。
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…だと私は思っている。
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