川底を流れる小石のように。 〜番外編〜 海老蔵への道!
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2005年10月23日(日) |
山口高飛び未遂事件など。 |
日生劇場へ「夢の仲蔵千本桜」を観に行く。 舞台や演出がとてもよく出来ていて、面白かった。 歌舞伎の名場面がちりばめられており、 舞台と楽屋を素早い展開で交互に見せつつ、ミステリーは進む。
個人的には松本幸四郎・市川染五郎親子が、すっきり清潔すぎに思えた。 江戸の芝居小屋の、猥雑でパワフルで混沌として、 それでいて魅力的な空気みたいなのを勝手に期待していたからかも。 多分それは、小説「仲蔵狂乱」を読んだ、私のイメージなんだろう。
片岡秀太郎さんが、とても効いていた。 1人いてくれると、舞台がピリッと締まって、ぐんと重みが増して魅力的になる。 凄い。
☆
歌舞伎座の夜の部。 「引窓」という、「ザ・日本の失われてしまった人情・親子兄弟愛」物語にずどん。 こういうお芝居を、人間国宝のおじいさんやおじさんが、がっつり演じると、 こんな風にいいもんなのか〜みたいな、ずどんだった。 こういうのに、ジンジンきてる私も、相当おばちゃんになったってことか。 でも本当にいいもんだよ、ありがとう歌舞伎。
「引窓」が江戸の香りだったら、「河庄」は上方決定版というかんじ。 がんじろはんは、相変わらず年齢不詳に若々しく、 小春のジャッキーが休演なのは、とても残念だったけれど、 かんじろはんの息子の翫雀さんが代役で、さらに孫の壱太郎くんが丁稚、 三代競演で、藤十郎襲名をひかえた最後の舞台というのも、アリだなと思う。 ぽんぽんとやりとりされる、上方なまりの台詞が心地よい。 壱ちゃん、出番の後は調整室から舞台を熱心に観てた。 これから大きなものを沢山吸収して背負っていかねばならない少年の横顔に、 がんばれ〜と思う。
その2つに挟まれた玉さん菊ちゃんの踊り。 文楽の人形ぶり仕立ての構成で、面白かった。 が、期待が大きすぎたのか淡々と見終えてしまう。 人形遣いの菊ちゃんは、あれでいいのかしらん。物足りない。
☆ そうこうしていたら、私も歌舞伎会のゴールデンな会員になれましたよ。 一年で28回のノルマなんて、無理〜と思っていたら、 案外そうでもなく、楽しみつつ無事にクリア。 その効き目やいかに。 来年に期待。
☆
従兄弟のうちに、仔猫を見に行く。 もうかなり大きくなっていて、3ヶ月くらいか。 しかも雨だったせいか、よく寝る。 あんまり寝てるので、我慢できずにそーっと撫でてみると、 うっとりゴロゴロしはじめた。 そのうち確実に起きてはいる様子なのに、狸寝入りの寝顔のまま、 爪先から指先まで、お腹丸出しでぴろーんと伸びきって、 されるがままに撫でられまくる仔猫。 フワフワで可愛らしいので、ずっと撫でてしまう。 途中、従兄弟に話しかけられて、話しつつ片手間に撫でていたら、 ちびのくせに生意気に、パチリと目を開けて「ニヤ!」と怒りやがった。 あはは。 こんな仔猫に怒られたのははじめてだ。 はいはいわかりました。ちゃんと撫でさせていただきますと謝ると、 何事も無かったかのように、またぴろーんと伸びて、うっとり。 おそろしい子! ちょっと、仕事でブルーだったのだけれど、 フワフワの仔猫に癒されて、チャージ。
☆
そしてこれ。 これを見つけた時、何も考えず、ともかく行けそうな日に申し込んでいたのだけれど、 何も東京から山口まで、私なんぞ行かなくとも、数は足りてしまいそうだし、 何の連絡もないところを見ると、やはりボツだったのだろうと思っていた。 それが18日の火曜日夕方、ポストを見ると、エキストラ参加のお知らせが届いてる! しかも23日だって! 23日に山口に朝の6時ということは、22日には前のりせねばならず、 ってことは、あと3日しかない。 こういうときにネットは便利だあね。 私のようなシロウトでも、ともかくなんとか旅の日程を組んで、 飛行機から宿から手配も出来るし、移動のアクセスも自分で調べられるし、 ありがたい。 その結果、土曜の仕事後、羽田から山口宇部へ、 出来るだけロケ地に近いところに宿をおさえ、翌日は朝から参加、 (この時点で集合時間・解散時間はわからず、早朝集合、夕方6時解散見込みとのこと) その日のうちに広島へ移動、翌朝月曜の朝の1便が順調に飛べば仕事に間に合う、ってことがわかった。 (山口宇部空港からだと、1便に乗っても遅刻してしまいそうだった)
このロケは、元甲子園優勝投手並木(海老蔵)の大学野球の練習試合シーン。 22日に撮影の予定で、23日は予備日になってるみたいだ。 22日は行けないので、予備日のみ参加な私。 撮り終えてしまってたら、山口まで行っても悲しいだろうなあとは思ったが、 それならそれで回天記念館をゆっくり見て、 美味しい海の幸でも食べて、海を見て、温泉につかって帰ってこようと思った。 あ!22日は「七人の恋人」のチケット、苦労してとってたのだ。 これは、タイガー&ドラゴン好きの友達が行ってくれることに。 私の分も、楽しんできてくれ〜!
出来るだけの準備はしたものの、金曜の朝、集合時間さえわかってない私。 明日は職場から羽田へ行くつもりなので、出来れば時間だけでも教えてもらおうと、 仕事の前に問い合わせ番号に電話してみる。 とても親切な方だったが、問い合わせ窓口の方は、実際の撮影とは別組のようで、 詳細は不明なまま。 私も仕事に行ってしまうので・・・というと、留守電にともかくわかったことは連絡してくださるとのこと。 東京から行こうという、大馬鹿ものにご親切にありがとうございます。
夜、帰宅するが、留守電には何も入っていない。 うーむ、心配は心配だが、ともかく予定通りに進めよう。 時間との戦いになりそうだし、迷子も困るので(何しろひどい方向音痴) 乗り換え案内や、時刻表、路線図を調べる。 宇部空港からホテルまでとか、ホテルからロケ場所までとか、ロケ場所から広島までとか、 広島では何を晩ご飯に食べようとか、朝一の広島空港へのリムジンの時刻とか、 羽田から職場までの最短乗り換え案内とか、これをちゃんとやっておかないと、 美味しい物も食べられないし、時間に間に合わずに遅刻だってありだ。 何しろ東京に住んでいると電車もバスも、どんどんやってくるが、 地方ではそうはいかない。 それを一つ一つメールにまとめて携帯に送っておくのが、私の遠征準備。 夜10:30、それを一通り終えて、さて荷造りしてなかった!と気がついた頃、 電話が鳴った。 こんな時間に本当にすみませんというその人は、映画のスタッフさんだ。 どうやら朝の人が伝言してくれたみたいだ。 山口県はお天気が回復して、 試合のシーンは22日のうちに撮り終えてしまう可能性が高いとのこと。 遠くからいらしても、終わってしまってたら気の毒なのでと わざわざ電話をくれたらしい。 明日撮れそうというのも、さっき決まったみたいだ。 気さくな方で、プチ撮影裏方さん話などうかがって、 ありがとうございます・・・。 どうか頑張ってください。
すっかり行く気満々、準備も出来て、気持ちは前乗りなまま、 体も前のめりなのに旅が中止になってしまって、ぼーーっと放心状態。 でも撮影が順調なのは喜ばしいことだ。
はっ!と我に返って、飛行機とホテルのキャンセル手続きをはじめる。 前日キャンセルでも、飛行機の手数料分のみですんで、それは助かった。 いい夢見させてもらったぜ。 まだ見ぬ山口の海や、平目やフグに思いをはせる。 ふっ(さびしい笑顔)。 旅立つはずだった土曜、東京は雨降り。 本当に今日撮影出来たんだろうか?あちらは雨は降ってないのか?未練がましく考える。 夕方ネットで天気概要を見てみると、気温は上がらなかったが雨は大丈夫だったみたいだ。
残念だったけど、やれるだけの事はやったし、慌ただしかったけど楽しかったなあ。 そんなわけで、ぽっかり土日が空いて、 思わずこんな長い日記を、また書いてみたりして。 あ〜あ。
2005年10月10日(月) |
長月のおわりから、神無月のはじまり。(まとめてどん!) |
9月の末に、もう一度、海老蔵巡業を見納めのために、新幹線に飛び乗る。 お弁当は以前、葵太夫さんが日記に書いておられた「味の博覧」にした。 これはお値段も手頃で、一つ一つ丁寧に作られた感じの味で、 すっかりお気に入りに登録。 してみたのではあったが、後にこのお弁当、万博期間限定弁当と知る。 おりしもこの日は、万博の最終日。 私も、ギリギリセーフで食べられたというわけだ。
名古屋から、さらに「ビューわかしお」に乗り換える。 ホームでのわずかな待ち時間に、ふと見ると、スッキリ爽やかな表情の葵太夫さんがいらっしゃるではないか。 先ほど食した「味の博覧」弁当も、葵さんの巡業日記のおかげで出会えたわけだし、 何しろ私の中では、とても近しい気持ちが芽生えているわけだが、 (実はこの巡業中、とあるお蕎麦屋さんで、席が隣り合わせたりもした) 葵さんにとって私は、見ず知らずの通りすがりの人にすぎないわけで、 そういう近しい気持ちはともかく飲み込んで、心の中でご挨拶のみ。
しかし開幕時間には余裕があるとはいえ、葵太夫さんと同じ列車になるとは・・・と驚き、 さらにクルリと見渡すと、 おお、あそこにいる、何やら大柄な青年、あれは本日の主役の海老蔵さんではないか! 白い長袖ジャージに、お揃いの短パン、素足に下駄、というその姿は、 先ほどのスッキリの葵さんとは対照的で、 ひょっとして、15分前まで寝てなかった?みたいなボーっとした表情に思える。 とほほ。 しかし過酷な巡業も、いよいよラストスパート。 きっとお疲れなのだろう・・・。
そうして、海老蔵さんは、何やら売店でお弁当を選んでいる様子。 思いがけない主役との遭遇で、かなり舞い上がってはいたものの、 ってことは、これから向かう会場は、かなりの立地場所ってことなのでは?と、何となく心配になり、 私も慌ててお弁当を一つ購入。 後に、この判断は大いに役立ち、本日のホールの周りは、実に広々と何にもないところで、 おかげで美味しく「名古屋コーチン弁当」をいただくことができた。 しかし、ここで食の心配をする、オノレのくいしんぼぶり、 そして、海老蔵さんと同じ売店では購入する勇気もなく、 ホームの反対側の売店でひっそりお弁当を買ってしまうヘタレぶり、 ああ。
予想通り海老蔵はグリーン車へ。 私がえきねっとでとっておいた切符は、隣の車両。 同じ電車に乗っていると思うと、なんかまるで「お練り」の時の海老蔵号みたいだ。 目的地まで1時間近く、もう一眠りするつもりだったのに、 今頃になって興奮してきて、眠るなんてとんでもないのだった。 携帯の待ち受けだって、ここ何年もずっと海老蔵だし、 思えばこうして、慌ただしい日程で新幹線に乗っているのも、その人の舞台を観るためだし、 そんな人が隣の車両に?!などと、1人でグルグル考えると、 今頃になって、プチパニックキヤーきやー状態に。遅いよ。
最寄り駅でホームに降り立つと、 ヴィトンのゴロゴロを引っ張り、おでこにサングラスで改札へ向かう海老蔵さん。 その背中に、舞台頑張ってくださいと、またしても心の中でのみ声をかけておく。
この日のタクシーの運転手さん、ずっと昔歌舞伎の衣装の仕事をしていたとかで、 歌右衛門さんの舞台は何度か見たことがありますというと、とても喜んで、 大いに盛り上がり、タクシー代をオマケしてくれたのだった。 この巡業では、よそでも歴史オタク(?)な運転手さんと、実盛の話で盛り上がり、 タクシー代をオマケしてもらったのを思い出した。 東美濃ふれあいホールは、満席でも600人というコンパクトさで、 でも新しくてキレイで、歌舞伎専用に立派な花道もあり、 とても好もしいホールだった。 ここの柿落としには成田屋さんもやってきて、團パパの毛抜をやったそうな。 この日の昼の部の実盛は、私の中では、この巡業のベスト実盛だった。 物語のくだりが、実に素晴らしく、 船上での出来事やそれに相対する実盛の心情が、ひしひしと伝わり、 思わず涙。
先日の松山で感じた違和感もなく、 とするとあれは、3000人収容ホールゆえのものだったのかも。
夜の部は、喉が辛そうに見えて、 それは海老蔵だけでなく、葵太夫さんも日記に「歯磨きのチューブの最後のひと絞り」と後に書いておられ、 長かった夏がしのばれるのだった。
帰りの新幹線は満席。 名古屋万博帰りの人々の熱気と、ぐったりとした疲れが車内に満ちていて、 そちらも最終日お疲れさまと思う。
襲名の最後の巡業で、あちこち出かけ、名古屋には冷凍マンモスが来て、 湿度の多い、長い夏だったこと、 きっとずっと後で、思い出すんじゃないだろうか。 予定外だった西コースだけれども、来てみてよかった。
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「吉原御免状」を観た。 スピード感のある舞台で、面白かったが、 そのスピードゆえに、もっとタップリしてもいいのでは?と思う場面も駆け足で、 勿体ないような気がした。 マイクを使わない生声の歌舞伎に慣れすぎているからか、 役者さんの声は勿論、つぶやきや溜息、あらゆる動きの効果音までが、 全て180パーセントスピーカーから聞こえてくるので、 なんだかびっくり。 アニメのアテレコの音に合わせて、役者さんが口パクしてるような居心地の悪さで、 人気の舞台に自分がついて行けていないのが、やけに寂しい。
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「チャーリーとチョコレート工場」を見た。
うひひ、松竹の映画なので、歌舞伎会で1000円で見られるのが嬉しい。 予告の最初に11月の菊ちゃんの「児雷也」のCMが流れたのにもびっくり。
そして、映画は、うひょひょ〜!なツボのオンパレード。 久々に、コドモ心が刺激され。ワクワク〜にまにま〜っとしてしまう。 一緒に行った友達は「・・・!・・・!?・・・・・。」な反応だったので、 1人でワクワクして、申し訳ない!みたいな気持ちだった。
小さい頃ディズニーの「ふしぎの国のアリス」が好きで、 あの映画のわけのわからなさや、ちょっとコワイとこや、かなしくなるとこや、 そういうの、ぼーっといつまでも考えてるコドモだったので、 当時これを見ていたら、私はどう思っただろう? チョコの香りがしてきて、ぴょんぴよん跳ねたくなるような映画だ。 Saさんのところで、会話が弾んでいるのも楽しい。
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海老蔵の主演映画「出口のない海」の原作、 横山秀夫「出口のない海」を読んで、悲しくて悲しくて。 10月3日に行われた制作発表では、会場に人間魚雷「回天」のレプリカが置かれていて、 その黒々と光る姿が、目に焼き付く。
あまりにも気になっていたら、靖国神社内の「遊就館」に回天が展示されているという。 早速友達と出かけた。
恥ずかしながら靖国神社へ行くのははじめて。 けれど私の住んでる最寄りの駅から、地下鉄で一本、 あまりにもサックリと近くにそれはあった。
雨の中、思っていたよりも大勢の人がいる。 たこ焼きや甘酒の屋台、靖国蕎麦やおでんが食べられる茶店、 若い人や外人さんも多く見かけた。
けれど、きちんとした身なりの大勢のお年寄りのグループを見かけ、 その白髪や、ゆっくりした足取りや、交わす握手を見ていると、 戦後60年ということを実感。 それぞれの人の中の「靖国」のことを考えてしまう。
しっかりとお参り。 いつもの家内安全ではなく、心の底から平和を祈る。 おみくじをひき、境内で行われていた「草鹿式(くさじしき)」を見物。 鎌倉時代から伝わる弓の儀式なんだそう。
いよいよ遊就館へ。 思っていたよりもずっと広く、贅沢に作られている。 展示が次第に近代に近づいてくると、胸がしめつけられるようだ。 途中で引き返し、上映されていた映画「私たちは忘れない!」(50分)を見る。 軽い気持ちで見てみたのだが、これがガッツリくる内容。 ナレーションや構成に、正直疑問を感じるところもあったけれど、 それでもこの映画を見てよかった。 実際に回天を見送ったお年寄りが 「こんなに若くて力みなぎる生き生きとした人たちが、 どうして死にに行かなければならないのか」と思ったと語っておられて、 切なかった。 ここは色んな意味で、自分のスタンスを問われる場所だ。
展示室をすすむと、3000名の遺影が壁一面に展示されている部屋へ。 それとともに、遺品や遺書、家族へあてた手紙が展示されていて、 一つ一つ見ていくと、次第に言葉も少なくなってしまう。 回天隊の若者が、一日だけの休暇をもらい実家へ帰った日のことを書いた葉書など、 「出口のない海」はノンフィクション・ノベルということだったけれども、 小説の内容と通じる、実在した人の肉声にふれると、やはり驚く。
多くの若者が家族にあてて、「靖国で会いましょう」と記してあり、 ここは当時の兵隊さんの心のよりどころでもあったのだと知る。
最後に大展示室の回天のところへ。 黒々と、こんなものがどうして作られてしまったのか、 ただ黒々とした、窓一つない鉄の塊にさわってみる。 うねうねと絡み合う鉄のパイプやバルブ、 どういう仕組みで、これが海底を進むのか不思議だ。 こんな鉄の塊に乗り込むなんて・・・。
気がつくともう閉館時間。 最後にビデオライブラリーがあり、30本近いビデオが見られるらしいのだが、 本日は時間切れ。 その中の一本「回天」(18分20秒)は、また見に来ようと思った。
ドライにサクサクと気軽に見て終わりのつもりだったけれど、 やはりそんなことは出来ず、あっという間に3時間、 それでもまだ時間が足りないと思う。 友達と、1人で来なくてよかったね・・・と言いあう。
そんなこんなで、相変わらずバタバタと、そして思っていたよりも濃く過ぎていく秋のはじめ。 モヘジのエンピツ日記「なにがなにやら」も「枕もとに靴―ああ無情の泥酔日記」というタイトルで、 ここや、ここや、ここでも、絶賛発売中!
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