ラミパスの日記...ラミパス

 

 

ドイツ演奏会の旅・最終日 - 2003年03月29日(土)


ついにこの旅も最終日。荷物のパッキングを良く考えて… 朝食後、エッフェル塔に登るグループと旧市内市庁舎塔に登るグループに別れ、タクシーで出発。
自分は旧市内散策派。
まずはスメタナ資料館へ。ここはカレル橋のふもとにあり、昨年の洪水で大打撃を負った。スメタナ銅像は、Uさん曰く「おー、こんなところに西郷さんがおるわ!」 確かに遠めにはそのように見えるが…




行ってみると1階部分はまだ修築中だったが、展示物は2階に。50Kcを払い中へ。原語で解説なのでさっぱりわからないが、BGMを自分で選択でき(展示室中央の指揮台から、タクトを部屋に分散されている譜面台に向けて振るとそれぞれの譜面台ごとに曲が変わるという趣向)、窓から見えるカレル橋とプラハ城の美しさにうっとり。
そして、歩いて旧市街広場へ。市庁舎横の教会では、まさに結婚式が終わって花嫁がでてきたところ、ものすごいリムジンが待っている。音楽隊も演奏し、とても美しい花嫁(と花婿)が人々に囲まれている。全体の雰囲気はまるでゴッドファーザーに出てくるような人々。後でわかったのだが、きょうは日が良いらしく、次から次へ結婚式が行われ、そのたびにライスシャワーが。三組目の花嫁は、なんと日本人だった。ジャパニーズ着物が美しい。



市庁舎タワーに登る。エレベータで行くが、町の中心部から見る風景はこれまた絶景。なんでこんなに美しいのだろう。

お昼は、そばのオープンテラスで。場所により人を見てぼったくるところもあるらしいので、昨日のガラス屋さんにお勤めの日本人スタッフにかけあってもらう。そして内海さん念願の屋台(?)で食事。サンドが美味しい。外で食べるとまた何倍も美味。



とても充実したプラハの休日。でも帰る時間が刻々と迫る。一旦ホテルに戻り、大きな荷物とともに空港へ向かう。さ〜ら〜ば〜プラハ! また来〜る日まで…


フランクフルトからの成田行きでは、男4人が席にかたまり、かなりきつい。見るとちょっと前のほうに一列、席が空いているところがあったので、離陸直前にそちらに移る。夜中、ふとめざめて後方席の窓から外を見るときれいな夜景。夜景といっても、一面のツンドラ地帯にわずかに光る人工の光、それに満天の星空。なんとなく空がところどころ明るい。しかもなんか、模様があるような… ひょっとしてこれ、オーロラ? じっと見ていると、だんだんカーテンのような光が… これはオーロラに間違いない! グループでただ一人起きていた昌二さんに声をかけて、空が朝焼けに染まるまで、飽くことなくかわりばんこにこの北極の空のショーを楽しむ。いやー、生まれて初めて見たオーロラ。きっとコックピットから見たらもっとダイナミックに見えるんだろうなあ。




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ドイツ演奏会の旅・第九日 - 2003年03月28日(金)


8時半にホテルを出発。きょうはプラハ郊外の古城、カルルシュタイン城見学。14世紀ごろに建てられた古城、先日のノイシュバンシュタイン城とはまた違った趣。数々の宝物を貯蔵するための城ということ。

パーキングから山道を歩いて30分くらいらしいが、きょうはみんなで馬車で登る。帰りは歩き。ここも時間ごとに見学の時間が決められていて、我々は10時20分スタート。いっしょに回ってくれる現地の人は、小柄でかわいい女子大生。日本語学科の4年生だそうだ! それにしても城内は寒い! 石壁の厚さが、2mくらいあるだろうか、そして小さい窓。冷え冷えとして、何を好き好んでこんな寒い城を作るかなあ。昔の建築法だと、このくらい壁を厚くしないと大きい城は支えきれないのだろうか。




昼食はまたバスで市内に戻る。典型的なチェコ料理のコース。焼き豚のようなスライスした肉に、キャベツの酢漬け、そして茹でたパン。美味しかった。

午後はフリータイムだが、Mさんの提案で、みんなで船に乗る。モルダウ川を登って下って1周の遊覧船。約1時間コース。暑くもなく寒くもなく、素晴らしい天気に恵まれて、船上から見るプラハの街並み、お城もまた格別。




そして旧市街に歩いて戻り、それぞれ行きたいところに行く。私とTさんは本屋さんで現地の地図を物色。Mさんはスーパーマーケットでお買い物。SさんUさんはマーケットをブラブラと。Uさんはまた果物市場でわけのわからない果物を買ったらしい。女性陣は固まってどこかへショッピング。男声陣より遅く6時に戻る予定。

で、女性陣、やっぱりスリに遭った(未遂ではあったが)という話。旧市街広場で、若いきれいな女性に声をかけられた。地図を片手に、「これはどこか?」みたいなことを聞かれた、と。で地図を覗き込んでいるときに、ふと隣の女性の手がカバンにのびて触ったのを感じ、フンッ!と振り返ったら、くだんの女性たちは「OK、OK」と言いながら足早に人ごみの中に消えて行った、とのこと。若くてきれいなのだけど、黒髪、どうもジプシーのようだった、と。
うーん、昨日の路面電車の中といい、やっぱり確実に存在するんだ。あと半日、緊張を解かないように気をつけよう。

きょうの夕食はバスで市街地に出る。我々だけの個室。静かに、ゆっくりと会話(この旅行のハイライトを思い出しながら…)を楽しむ。




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ドイツ演奏会の旅・第八日 - 2003年03月27日(木)


7時起床。昨夜は10時半には寝てしまった。よく眠れたが、乾燥してしようがない。ゆっくり朝食を取って、ところがここで今ツアー最大の事件が発生(いちおう、今ツアー仲間の中では今回の件公表すべきかどうか意見を交わしたが、ご本人のご了承もあり、事実を載せます)。

朝食を食べて、ゆっくりコーヒーを飲んでいるとき、IさんとTさん二人が深刻な顔をして現れ、開口一番「添乗員さん知りませんか?実はIさんのパスポートやら現金やらを入れていたウエストバッグが消えてしまって。。。」
Tさんは自分のお金やパスポートのはいったバッグを枕元のテーブルに置き、Iさんは同じくウエストバッグとポーチをベッド足元にあるテーブルの上に置いて、寝たのだそうだ。
そして今朝、起きてみたらIさんのバッグがそっくりなくなっていた! Tさんのは枕元にあったためか無事。二人ともにわかには信じられず、それぞれのスーツケース等、部屋中を必死になって探したのだがなかった、と。バッグの中には、パスポート、日本円現金、ユーロ現金、ユーロチェック、クレジットカードなどそっくり入れてあったということ。
さっそく添乗員さんに現状を伝え、ホテルのカウンターに言ってもらったら、なんと! 昨夜エレベータの中に落ちていたということでウエストバッグとポーチが出てきた。
私とIさんとで、人目につかないトイレの中で中身を確認したところ、やはり日本円の現金とユーロの現金が抜かれていた。が、一番大事なパスポートは無事、その他、クレジットカードやチェックもあり、不幸中の幸いとはまさにこのこと。

しかし、寝ているところを、何らかの方法で鍵をあけ、バッグを盗むとは、なんと言っていいのか・・・ 怖いことに、部屋の内側から物理的にロックする機構がけっこうプアで、ロックするのにかなり熟練度を要するというしろもの(他のホテルのように、音叉を横にしたようなものがなかった)。昨夜はそれをしなかったのがまず敗因だろうと思う。
まさか前日にガイドさんに散々脅かされたことがすぐに現実にやってこようとは。自分たちもホテルの部屋に関しては、朝外出するとき以外はそれほど注意していなかったので、誰にでも発生しうる事件だった。

そういうことで、きょうプラハの街中を歩いて散策するときは、さりげなくみんなをガードするように心がけ、とにかくスリ・置き引き等に目を付けられないように常に周囲に気を配って・・・ ヒゲづらでギョロギョロ見回していたのでコソドロも近づかなかったかな。
9時、街中へ出発。まずは町の中心部からモルダウ川を渡った対岸の丘に聳え立つプラハ城を見学。ここは現在大統領府もあり、有名なこところ。すぐそばに、映画「アマデウス」でモーツァルトのウィーンでの滞在先となったアパートとして使われた建物がある。つまり、それだけ文化的に当時の建物が多く、時代劇の映画のロケ地としてよく使用されるらしい。



プラハ城の中をゆっくり時間をかけて見て回る。先日のノイシュバンシュタイン城とはまた違って、ゴシック様式の大聖堂を中心にかなり広い建物。それにしても大変な観光客の多さで、しかも若者集団が多い。学生たちだろうが、昨日の話もあって、ついつい周囲の人に目を光らせてしまう。


(大聖堂のステンドグラス。この絵だけは知る人ぞ知る、アルフォンスミュシャのガラス絵)

そしてカレル橋を歩いて渡り、モルダウ川を眺めながら、スメタナのわが祖国を口ずさむ。それにしても、この建物、風景の美しさはどうだ! なんとも形容の仕方がわからない。旧市街を散策、とにかく町並みの素晴らしさ(古きよき街並み)に圧倒される。


(雄大なモルダウの流れの向こうにプラハ城)

昼食は旧市街のちょっとはずれにあるバール。午後はまた歩いてあちこち見て回り、両替所(これがまたいたるところにある!)でコルナに変え、スーパーマーケットでチェコ庶民の生活状況を見る。かなり豊富な食料、ごく普通のマーケット。

夕方は、またバスでホテルまで帰宅。ただしKさんはどうしても路面電車に乗って帰ると言う事で、現地のガイドさんと二人、路面電車で。後で聞いた話だが、やはりスリと思われる怪しげな若者3人にかこまれたらしい。乗り場を移動するとさりげなくいっしょについて回り、電車に乗った後もすぐ近くに寄ってきて目線が斜め下の自分の腰の辺りをチラチラと… ガイドさんも、この連中がスリだということを確信もてたという。うーん。乗らなくてよかったかな。

夜、夕食はまたまたバスで外出、モルダウ川を越えて夜景のすばらしくきれいなプラハ城が見えるバールで。生演奏のピアノもあり、踊る竜混!ここでも面目躍如。Iさんがこの日のために習ってきたと踊りだし、Kさんと手を取り合って(^_^)その、心から幸せそうな笑顔を見ているとこちらまで幸せになってしまう。朝の事件をもう笑って流せる、素晴らしい人だ。





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ドイツ演奏会の旅・第七日 - 2003年03月26日(水)


久しぶりにゆっくりな朝。結局ネットに接続することは出来なかった。後はプラハでつながることを祈るのみ。
10時に集合、午前中はホブフロイハウス向かいの三越で買い物と仕掛け時計の見学。昼食後、帰国組とプラハ組が別れる。我々プラハ組は早めに昼食を終わらせ、名残惜しいが空港へ向かう。

ミュンヘンからプラハへ移動。人数が10人(+添乗員の高橋さん)になってしまい、ちょっとさびしい。飛行機は、なんと60人乗りのプロペラ機。うーん、かなりローカル。チェコ航空なのだが、でもスチュワーデスさんは美人だ。ドイツの人とはまたちょっと顔の造作が違う気がする。
1時間あまりでプラハへ。ここで新しいガイドさん。丸山さんと言い、まだ学生さんのような若いお嬢さん。おベンツのマイクロバスで移動する。町の中心部を通り、ちょっとはずれのホテル・ドンジョバンニへ。



プラハ!路面電車が多く、石畳の道路、坂道、美しい町並み。悠々と流れるヴァルタヴァ川。明日、歩きで街中を散策する予定。
移動中のバスの中では、散々ガイドさんに脅された。曰く、「自分以外はスリと思え。」本当に多いらしい。ジプシーと呼ばれる人たちはまず間違いなくそうだという。ただ、見分け方が難しいし、ガードしていますよというアピール(かばんをたすきがけにして前に抱えるように歩くとか、腰の辺りを無防備に開けないとか)をすれば良いとのこと。うーん、そういう状態で明日は歩くのかあ。

ホテル到着後早速電話線を確認。ガイドにはモデムポートがあることになっているが、それらしいものはない。なので電話の線をはずして、モデムチェッカー経由でPCへ。最初のトライは失敗したが、市街局番を入れたら、無事、接続できた!
早速ガムスフルストからの内容を一気にアップ。

ホテルで夕食。誰もチェコの通貨(コルナ)には変えていないので、みんなユーロで清算する。戻ってくるのはコルナ。だいたい4円/コルナだそうで、枕銭は20コルナで良いそうだ。大きな店ではユーロで買い物が出来るらしい。




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ドイツ演奏会の旅・第六日 - 2003年03月25日(火)


夕べも遅かったのに、朝は7時半出発。ノイシュバンシュタイン城観光。先生とはここでお別れ、バスにみんな乗り込んで、先生がみんなを見送ってくれた。

お城までは約2時間半くらい。途中から、見慣れたドイツの平原風景からアルプスの山々の風景へ様変わり。遠くの急峻な雪山が良い雰囲気。
それにしてもきょうも天気が良い。先週ドイツ入りしてから毎日、快晴が続いている。全員が晴れ男、晴れ女なのだろう。
しかし、ノイシュバンシュタイン城の近辺はまだ残雪がある。つい最近雪解けしたという感じ。

とても建造物を作れそうもない険しいガケの上に、きれいな城が。現実にこの国の王様が建造した(いまだに未完成)いわゆるお城。ディズニーランドのシンデレラ城とはわけが違う。でも、建設されたのは1860年代だから、日本で言えば明治時代。それもなんとなく不思議といえば不思議。



一時間ほど城内をツアー観光して、ふもとのレストランで昼食、2時には帰路の徒につくが、ホテル到着は結局5時ちょっと前。さすがに疲れてきた。体はそんなに動かしていないけど、バスでの移動はやはり体にこたえる。

きょうは早めに夕食をバイエルン州立オペラ劇場の近くで取り、「バレエ」鑑賞。



モンテカルロバレエ団の「シンデレラ」。集まってくる観客はみなおしゃれ!紳士淑女の集まり。極めつけは本日のVIP、モナコ公国のお姫様だろう。
劇場内部はなんと形容しようか、適当な形容詞が見つからないくらい美しいし、気品を感じる場所。ハソサエティな雰囲気を堪能。
バレエ、作品そのものは古典なのだが、振り付け・演出はモダン。なので、いわゆるクラシックバレエではない。そういう意味では新鮮だった。(の)が小さい頃バレエを習っていた関係で、クラシックバレエはいろいろ見てきたが、モダンは初めて。さすがに連日の強行スケジュールで疲れがたまっていたのか、眠気もピーク。





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ドイツ演奏会の旅・第五日 - 2003年03月24日(月)


きょうも良い天気。先週ドイツに入ってから、毎日快晴。

きょうはロマンチック街道を経てミュンヘンへ。長い長い行程。9時にバーデンバーデンを出発、ローテンブルクへ11時半過ぎ、到着。城壁に囲まれた中世の街。城壁の中へはクルマでは入れず、外に車を置いて徒歩ではいる。軽く散策した後昼食を取り、3時半まで自由行動。このレストランでちょっとしたハプニング(これはオフレコ)。

自由行動では、あちこち散策。さきほど散策したときに、フランスからの修学旅行の学生たちとちょっと歓談。好奇心旺盛な彼ら、ちょっと声をかけたらたちまち数人集まってあれこれ質問してくる。皆ベルサイユ近辺の町からやってきたとのこと、16才ということだが、中には声変わりしてなさそうな子もおり、実年齢は??? ただ、我々が集団でレストランへ移動しているときもその中に混じって騒いでいる。何人かの人は警戒して「荷物荷物!」と叫んでいた。それを見て彼らも引き返したが、まあ、スリの常習者たちではないと思うが用心にこしたことはない。個人的にはただはしゃいでいる子供たちだとは思うが…
いくつかオミヤゲを買い、中世犯罪博物館を見学。昔の拷問用具や法制文書が展示されている。主なものには日本語の説明もあり、わかりやすい。



そして3時半、再びミュンヘンを目指し出発。けっこう時間がかかる。アウトバーンではなくてロマンチック街道を通っているからしようがない。午後7時、市街に到着。街中は戦争反対のデモをやっている。おかげで渋滞。過ぎ行くデモ行進の人々みんなと車窓からピースサインを交わす。反応が良くて感動的。人類皆兄弟とまでは行かないかもしれないが、戦争への気持ちは共有できる。

ホテルに行く前に、ホブフロイハウス(ミュンヘンで一番有名なビアハウス)で打ち上げ。相良先生が明日、一日早く帰国されるため。ここのビールはすごいが、ショーでお客を盛り上げるのもすごい。ノリやすい竜混のメンバー、ドイツ人も驚くノリの良さ。

きょうのホテルはシェラトン。モデムポートがあるのでインターネット接続には全然不安を持っていなかったのに、これがつながらないの。電話をかかけると話中の音になってしまう。アナログポートが3つかるのでこれを変えてみたり極性反転してみたり、ダイヤル番号の間隔をいろいろ調整して見たり。でもダメ。きょうはあきらめてもう寝る。






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ドイツ演奏会の旅・第四日(ガムスフルスト) - 2003年03月23日(日)


朝食後、南西ドイツオーケストラと内田光子さんのゲネプロを見学するまで、自由行動。ブラブラと街中を散歩。まだ肌寒いが、日向は暖かい。りっぱなゴシック様式の教会。15分ごとに鐘の音が。いかにも!の雰囲気。

少し丘のほうへ登っていくと、また違う教会が。知子先生がたまたまいて教えてくれたのだが、中で聖歌隊がミサの練習をしているというので、中に入ってみた。すごく天井の高い、りっぱ、厳かな礼拝堂。窓は全てステンドグラス、朝の日の光が差し込んで、壁に映る色とりどりの影。パイプオルガンにのって歌われる聖歌隊の合唱。全てが荘厳な雰囲気。しばし時間を忘れて、目に映る映像と耳から入る音の調和に酔いしれる。

11時、フェストスピールホールは、昔の駅舎を利用し、奥に立派なホールが作られている。珍しく横に長いホールで、素晴らしく響きが良い。ただ残念なことに、内田光子さんのピアノコンチェルトのゲネプロは一番後に回されてしまい、オケだけのゲネプロになってしまった。それでも入るだけでも大変なところ、ここで演奏が聴けるだけでも幸運。
音の作りが、シェーンベルクかバルトークかという感じだったが、相良先生曰くバルトーク。音の洪水が圧倒的存在感で迫ってくる。

チャイナレストランで昼食後、バスでガムスフルストへ。約30分。降り立ったところは、典型的な南ドイツの田舎村。女声たちは何を見ても「わあ、かわいい!」と感動しっぱなし。風もなく穏やかな快晴の午後。出迎えてくれた”こうのとり”、合唱団の団長、村長、アッヘルン郡の市長、みんなきさくで陽気な人たち。こちらもたちまちその雰囲気に包み込まれて歓迎レセプションはあちこちで写真を取り、会話し、友好ムード一色。


(教会横の建物の煙突に巣を作っているこうのとり)


(左がガムスフルスト村長、右のリチャードギア似のおじさんがアッヘルン郡の長。

4時ちょっと前に練習のため教会の中へ。その間もぞくぞくと合唱団の人たちが集まってくる。教会ということで、大変響きが良い。


(練習中の一こま。並びを確認)


そして6時、演奏会開始。入ってビックリ、教会の中は満席、立ち見もだいぶいる。ガムスフルスト合唱団がまず3曲、次に竜混が浜辺の歌、「地雷」。そしてまたガムスフルストが3曲、竜混が「朱鷺」と平和の祈り、ガムスフルストが3曲、この間、新しい団旗が洗礼のようなものを受ける入魂式が行われ、竜混の民謡、最後に合同合唱でのばらとブラームスの子守歌。
彼らの曲はほとんど宗教曲。よく似合う。私は今回珍しく最前列。観客席の一番前は彼らの団長。目と目が合うとにっこりとしてくれる。本当に気さく。実はさきほどのレセプションで、内海さんが「ひげ同士で写真取れ!」と団長のところへ無理やり連れて行かれ、写真を取ったのだった。

(そのときの写真)



歌い終わると、感激したことにスタンディング・オベイションで我々を包んでくれた! ふと振り向くと、隣にいたOママの目に涙が。本当に良かった。これまでの1年以上にわたる苦労と努力がここで全て、報われたのだ。

終演後、着替えて交流会へ。シャンペンで乾杯!日本語、ドイツ語、英語が入り乱れ、誰もが笑い、歌い、そして飲み。私は副団長としばらく話した。もちろん英語。彼の息子、娘、奥さんと家族全員が合唱団員。乾杯の後は歓迎の宴ということで、テーブル席へ。たまたま前に座っていたのが若い男声二人。17才と20才。17才の彼は、さきほどの家族全員合唱団の一員。アメリカに留学していたということで、けっこう英語がいける。20才の彼はそれほどしゃべれないようだ。私とどっこいどっこい。まあ、片言同士でもなんとか意思の疎通できるが、やっぱりもどかしい。こういう場面に遭遇するたびに今度こそ!と思うのだが…



そうこうしているうちに右隣の開いている席に三人の若い娘が(^_^) さきほど旗の入魂式で旗を持って入場してきた娘たちだ。うーん、残り物には福がある。さっそくMさんが寄ってくる。年齢は聞かないが、まず十代だろう、美人でスタイル抜群。やっぱり片言の英語で世間話をする。まあ、日本のどこから来たのかとか、贈呈した龍ヶ崎のペナントに書いてある龍の意味とか、東京に近いからいい場所だとか… あとは自分の仕事のこと。「社会保険労務士」なんて、日本語でも説明しきれないのに、まして英語では…ということで、以前の職場テキサスインスツルメンツの話をする。ノキアのハンディフォン等に使われるチップなどを作っているというと、さっそくポケットからノキアを出してくれる。うーん、さすが若者。



その喧騒の中、それぞれの団のプレゼント交換、謝辞等が進んでいる。みんな楽しく飲み、歌い(菩提樹やムシデンなど)、食べ… 地元の人たちは出される料理は全部平らげる。こちらも失礼になるので平らげたいのだが、なにしろ胃袋が言うことを聞かない… 若い彼女たちも、素晴らしい食欲。それもかなりの高カロリー。
21時から始まった交流会、23時の予定が23時半になっても終わらない。



バスの運転手さんにチップを渡して待っててもらったりして、最後のとどめに手作りのケーキがどーんと7個もテーブルに… 食べないと失礼になるし、胸焼けしそうだけど美味しいケーキを食べて、24時、帰宅の徒につく。実に長い一日、でも最高に充実した一日だった。




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ドイツ演奏会の旅・第三日(バーデンバーデン) - 2003年03月22日(土)


6時半起床。昨夜はバーデンバーデン・オーケストラの演奏会の後すぐに戻ってシャワー、そしてパソコンに向っていたので、結局寝たのは12時過ぎ。後で聞いた話だが、女声たちはカジノに行ったそうだ!?

9時ちょっと前からみんなでバーデンバーデンを散策。石畳の道を歩く。歩く街角全てが素敵な雰囲気を醸し出している。



日向たは暖かいが、日陰は寒い。そういう意味での寒暖の差はかなりある。

そしてバスでワイン醸造工場見学と試飲。ここは最新の機器を駆使して、かなり大規模にワイン作りを行っているところ。この地方の素晴らしいぶどうをふんだんに使用するワイン、試飲会では5種類ものワインを、ハム・チーズ・パン等を食しながら試した。ちょっとしたソムリエ気分に浸ることができた。ただ、なめるくらいしか試していないけれど自分にとってはけっこうな量、ちょっと赤くなってしまった。



ここが昼食代わりなので、そのままクアハウスのホールへ直行、練習開始。約500席のホール、天井が高くて大変響きが良く、地声は聴こえにくい。逆に言葉ははっきりしなくなるので注意が必要。
大変気持ちよく練習が出来たが、男声特にバスが張り切りすぎて音程が不安定になったり他のパートとのバランスの兼ね合いもあるのでもう少し抑えるようにとの指示。



本番は夕方四時から。お客さんの入りは期待できないらしいが、それでも地元の音楽好きな人たちが集まってくれた。その人たちに対してせいいっぱい気持ちを込めて歌う。昨日訪れた「ブラームスハウス」の管理人さんも来てくれていたようだ。

アンコール(なんか無理やりかも?)はブラームスの子守歌。さすがにこれは楽譜を見ながら。後で菊池さんの録音したDATを聴くと、いい感じのバランス。バスが若干地声っぽいが、総じて良かったかなと自画自賛。男声の斎太郎節も良い出来だったと思う。大体1時間のプログラム、気持ちよく歌うことが出来て、とても幸せ。

夜、その模様を竜混の掲示板にアップ。バーデンバーデンのホテルの電話回線からのネット接続は大変安定している。






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ドイツ演奏会の旅・第ニ日 - 2003年03月21日(金)


6時半起床。昨夜は夕食後交代でシャワーを浴び、ほとんどそのまま爆睡。12時過ぎに一度目を覚ましたがその後は3時ごろまでうつらうつら。でまた記憶を失って気がついたら6時半だった。小鳥のさえずりが耳に入り、自然に覚醒したというわけ。窓を開けるとひんやりした空気が気持ちよい。と思ったら寒いくらい。氷点下だろうか。7時過ぎに食事へ出向く。向かいの部屋の石井さん・山崎さんたちは眠れなくて4時ごろから起き出したという。

朝食後軽く散歩。ホテル裏の小道を歩くと柵が張り巡らされた森があり、そこに鹿が。T君もおおはしゃぎ。しかし空気は気持ちよいもののかなり冷たく、上着を着ずに歩いていたので体が冷えてしまった。



9時にホテル出発、リューデスハイムからライン川下り。大きな観光船でゆったりと流れに任せて下る。20kmくらいを1時間半。のんびりとして気持ちが良かった。ライン川自体は古くから船便の行き来が活発で、その通行税を取るためにそこかしこに城が作られたという。これが古城となり、今はロマンを感じる遺跡となっている。なぜ遺跡かというと、ナポレオンやその前の時代のフランス軍など、攻められるたびに壊されてしまったというわけ。



とにかく貨物船、というよりは運搬船というべきか、じゃり、廃材、石炭等の資材を運搬する船が上り下りとも頻繁に通行している。しかもほとんどの船が自動車を積み、子供の遊具(ブランコや滑り台など)を載せている。なんだろ?船が住処なんだろうか。川の両側に線路が走り、在来線ととともにICEも通行。幹線なんだな。川下りをした区間は全く橋がなく、後で聞いたら概観を保護するためなのだという。そして今回の目玉ローレライの岩。イメージしていたものとだいぶ異なり、かなり切り立ったガケ(132mある?)の天辺にハタがひらめくというもの。ローレライ(乙女)の像かなんかがあるのかと思ったが、それはちょっと離れた河岸に作られていた。
しかしやっぱり竜混、船上でローレライを歌うグループあり。

お昼はライン川下りの着場。日本語が上手なウェイトレスさんのいるレストラン。そういえばこちらは食事時のドリンクは各自が注文し、その場で清算するやり方。ビールが小サイズで4ユーロ、ジュース類が2〜3ユーロ、ワインが3〜5ユーロくらい。昨日の夕食もライン下りの船の中も、いたる所ドリンク有料。しかもミネラルウォータのほうが高い。
メインディッシュは魚を炒めたもの。マスとか言ったかな。

そして一路、バーデンバーデンへ。バスで3時間強の旅。アウトバーンを使うのだが、日本以上に車間距離を取らず、けっこう怖い。ベンツなど、3車線を縦横に駆使して、右に左に車線を変えて疾走して行く。うーん… ドイツはやっぱりほとんどドイツ車。たまにマツダ、スバル、ミツビシを見かけるが、トヨタ・ニッサンはついぞ見なかった。

バーデンバーデンに到着直前に「ブラームスハウス」見学。ブラームスが夏の間過ごしたという小さな家。ホントにちいさな、かわいいうち。小高い丘の中腹に立っており、中はブラームスゆかりの品々が。

で、やっとバーデンバーデンのホテルでネット接続できた。電話機の横にモバイル接続用と思われるモジュラージャックがあり(RJ11またはRJ45)、用意してきたドイツ用コネクタ変換器を使わなくてもOKだった。受話器を上げて確かめると、ピポパポ(トーン回線)だったので、これで大丈夫という確信がもてた。
使用プロバイダはNIFTY。UUNETとの提携回線からアクセス。ドイツの場合は、全国共通 019-1999 。ホテルの電話で外線コールはゼロ発信なので、0,019-1999 でOK。プロバイダの海外ローミング料金はたしか8円/分だったと思うが、ドイツ国内での電話料金はどんなものだろう?

早い夕食後、クアハウスでバーデンバーデンオーケストラ演奏会へ。約500席くらいのホール、8割以上埋まっていただろうか。Mさん、Wさんはさっそく後ろのドイツ人のおじさんと仲良くなり、明日自分たちが歌うことを教えていた。20時スタート。夕食後だったので眠気が心配だったが、案の定眠くて仕方がない。ニールセン、シベリウスというあまりなじみのないプログラムだったのもあるだろうが。曲自体はとても雰囲気のあるもので、なかなか良かった。



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ドイツ演奏会の旅・第一日 - 2003年03月20日(木)


6時起床、子供らを起こして朝食を食べさせ、洗濯をしてちょうど8時家を出る。良い天気だが、風が冷たい。馴柴公民館でバス待ち。藤代、カスミストア、馴柴公民館、そして市役所と回る。
市役所で若干時間をとられたけど15分遅れで出発。成田には10時20分には到着、全く問題なし。イラクは攻撃を受けたとか何とか聞こえてくるけど、空港自体はあまり平時と変わりなし。高橋さんがどこかのTV局のインタビューを受けていた。どこへ行くんですか?だって。誰かニュースで見ましたか?

12時には機上の人となり、30分過ぎ、離陸。
12時間かけてフランクフルトへ。機内はほぼ満席。日本人7割くらいだろうか。食事は2回出る。どちらも洋物だったが美味しかった。今までの海外と違って仲間が多いからだろう、おしゃべりすることが多くてなかなか寝つけない。各席に液晶モニタがあって、各自好きな映画やニュース等を好きなときに見られるのでその点は良いが、画面が目の前なので視線が自然に近くによってしまい、目が大変疲れる。相良先生は5本も見たとおっしゃっていたが、自分は「T.R.Y.」「タキシード」を見るだけで目がクタクタ。
座席は中ほど。窓際からは眼下に広大で真っ白なシベリア台地が広がる。平らで、しかし川が流れている跡が雪で埋まったような。平らな大地だから川もクネクネと器用に蛇行している。自然の驚異。



太陽を追いかけるのでずっと日が出たまま。現地時間夕方の4時に到着、特に何事もなくバスに乗り換え、通訳兼ガイドの中山さんに連れられてリューデスハイムへ。アウトバーンを使って1時間くらい。小高い山の上に立つ古城ホテル、こじんまりとしたその優雅なたたずまいは、まさにヨーロッパそのもの。チェックインして部屋に入って、さっそく電話線のチェック。やった、日本と同じモジュラージャック。これは簡単につながるかも! モデムチェッカーの結果も良好。
でもいざつなごうとするとモデムから異音がして接続できない。ピポパポしてもザーという雑音のみでつながる気配がない。あれこれ試してみてあきらめ。これが俗に言うドイツのISDNなのかなー。確かに良く見るとRJ11でなくRJ45か? 電話機からAPへ電話すると、スンナリとピーポー、パポーとネゴシエイションの音がする。やっぱ最後はモデムカプラーかなあ。
きょうはつかれたからもう寝る。


(先生の音頭で乾杯!)



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渡独1日前 - 2003年03月19日(水)


 はあ、忙しい。カミさんがきょうから3泊4日の研修に行ってしまった。自分は明日からいなくなるし、子供らは木曜日から土曜日まで3人だけの生活となる。もちろんじい・ばあは一緒にいるけど。
 きょうはあちこちお客さんやら社会保険事務所やら回って書類を右から左へ移動。ほとんど事務所にいなかった。


【ドイツ準備】

 いよいよ、準備も今日まで、明日は出発。世界情勢がかなり緊迫状態になって、イラク開戦と出発がドンピシャ・タイミング。みんなに言われる、飛行機飛ぶの? 欠航するんじゃない?
 まあ、なればなったでしかたがない、今から気を回してもしようがないよね。とにかく準備。今日入れなければならない黒靴やシェーバー、パソコン、お金等もOK。きのうクリーニングに出したコートも引き取り、98%完了か。旅行期間中のビデオ録画。これは「美女か野獣」の最終回、そして「満天」「武蔵」をチェック。PCに録画予約でOK。DVDレコーダのCMのように102時間録画とはいかないけれど、40時間くらいなら平気。
スーツケースにベルトを締め、重さを量ったらなんと23Kg。既に重量オーバーだし。重いわけだ。何入ってるんだろ? なんかまだ忘れ物があるような気がして家の中をグルグル回るんだけど、ないよなあ、もう… スッキリしないなあ。

 ここで、カミさんが週末までいない分、じい・ばあに子供らのことを準備しておかないと。金曜日は祝日で休みなのでよかったけど、土曜日は(り)が終業式とASCA運動教室。朝起こして食べさせて、制服・運動教室の用意など、事前にわかるように準備しておく。

 その合間にきょうは(あ)のカラテ教室、たつのこアリーナまで送り迎え、これもけっこう時間がかかるんだ。

 さて、明日以降はモバイル生活となるが、果たしてドイツから更新できるだろうか!?



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渡独2日前 - 2003年03月18日(火)


 先週末から見当たらなかったL.L.Beanのハーフコート、どこにいってしまったのか皆目見当がつかない。家の中はあちこち彷徨ってもダメ。カミさんに聞いても知らないというし、どこかに置き忘れたという意識がまったくないので、どこを探さないといけないかも??? 

でも、今月1日の馬橋での明響練習には着ていって、着て帰ったところまでは記憶があるので、忘れてきたとしたらその後だ。2日の小野川公民館、8日の馴馬台公民館、9日の馴柴公民館、文化会館… しかしなあ、着ていった記憶がないんだよなあ。でもそこしか考えられないし。で、きょう、各公民館の電話を調べまくって確認。最初に、一番怪しそうな馴馬台公民館から。
「男物のハーフコート、黒っぽい緑色なんですが…」
「ああ、エリが茶色のコールテンぽいヤツですか?ありますよ」
「えっ!?ありますか…(記憶が全くなくてがっかり、でも見つかってホッとして)」
午後取りに行ったら、確かにオレのだった。そうかあ、バタバタしててすっかり記憶から抜け落ちていたなあ。


【ドイツ準備】

ということで、このコートをドイツに着ていく。でも1週間以上ほったらかしにされていたためか、ホコリや汚れがかなり目立つ。夕食前にクリーニング屋に預ける。
帰り、ヤオコーでオヤツを購入。一口サイズのせんべいやノドアメ、おかゆのレトルト、それにうがい薬と折りたたみスリッパ、etc
シェーバーやハミガキコを入れ、オヤツもスーツケースと手荷物に分けて、ほぼ完了。あとは明日、PC類を入れて終わりか。おっと、お金を忘れていた。いくら持っていくか。VISAがあるから大概はこれで済ませるつもりだが、チップ、あるいは食事どきのドリンク類のためにいくらかはユーロに換えよう。ま、成田でいいだろう。
さて、ホントにこれで忘れ物はないだろうな…



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渡独3日前・モバイル設定 - 2003年03月17日(月)


【ドイツ準備】

 きのうきょうと、ポツリポツリ準備を進める。手荷物はL.L.Beanのバッグとウエストバッグ。デジカメ、VTR、MD、楽譜、文庫本などを入れる。あとはノートPCを入れればOK。背負ってみるとけっこう重くなる。

 ドイツからモバイル接続するつもりで、ノートPCに設定をした。ASAHI-netのローミングサービスのAP(アクセスポイント)を設定して、設定間違いがないことを確認するためにこちらから国際電話経由で接続確認する。モデムチェッカーも付けて使い方を確認。ところが、設定したドイツのAPにつながらない。まず、「モデムのポートが既に他のソフトによってオープンされており、使えない」旨メッセージが出る。あれこれ確認し、Visor(PDA)の接続ソフトが口を開けて待っているのを見つけてこれを閉じさせたら、やっとモデムが電話をかけるようになった。しかしこの後も、トラブル続き。
 話中になってしまうか、たまにピーポーピーポー。この音も普通のモデム接続時の音と全く違うため、結局はタイムアウトでダメ。じゃあ他のAPは?っていうことでアメリカを試してみたが、これはすぐネゴシエーションの音になるがやっぱりタイムアウト。うちはこないだからYahoo!BBのBBフォンになっている。これってIP電話だよね。それが悪いのか? じゃあ、じいちゃんの回線から試行。しかし、今度はドイツAPの番号がうまく設定できず、KDDIではねられる。つまり、001+49(ドイツ国番号)+ドイツAP とかけるが、KDDI等の国際通話時は、国番号の後の電話番号の先頭の 0 を省略することになっている。で、ドイツAPは 0 で始まるのだが、これは特殊で 一般の加入電話と異なるため、この 0 を省略するとAPには接続できないという矛盾。うーん、ドイツに行ったらたぶんつながるんだろうけど、これでは日本国内から確認するすべがないなあ。あーめんどくさい!

 他のプロバイダはどうだろう? NIFTYを見ると、UUNETのAPが使えるらしい。これだと、各都市にAPがあるので、市外通話番号の先頭の 0 を省略しても大丈夫だろう。とりあえずこれで設定して BBフォン経由にならないよう電話をかけるときに 0000 としてから、001+49+フランクフルトのAP番号で確認、ようやく接続に成功。だいたい42kbsくらい。FTPで竜混WEBに接続できることまで確認できた。よかった。これでPC側の設定は大丈夫、あとは現地で物理的に電話口とPCを接続できるかどうか…にかかっている。





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渡独4日前 - 2003年03月16日(日)


(り)は午後からASCA。三学期最後ということでお別れパーティかなんからしい。もちろん時間があれば行きたいところだが、カミさんはスキー、自分はドイツ打ち合わせ。しかたがない。

 夕方、ドイツ打ち合わせ。班毎に集まり、最終的な説明会。いよいよ近づいてきた。途中で退席し、カミさん子供らを迎えに行く。ちょうど18時に市役所に到着し、解散式をやって帰る。きょうは(あ)の誕生日」、何がいい?ケーキを買っておこうか? とスキー前に聞いたのだが、「タイヤキがいい」というリクエスト、あらかじめ買っておいた。あとは「こだわりラーメン」を食べたいということで、ちょうど帰ってきた(り)を佐貫駅で拾ってラーメンやさんへ。ま、安上がりな誕生祝い。

 ということで竜混の練習は遅刻、20時前くらいになってしまった。これが渡独前最後の練習。あとはみんなと顔を合わせるのは当日だ。



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渡独5日前 - 2003年03月15日(土)


【社労士試験勉強】
 明響の練習行き帰り、徴収法のテープ(MD)を聞く。さすがに現在、事務組合の仕事をちょっと手伝っているので多少なじみがある。もう少し時間を取れれば…

【合唱三昧】
 明響練習・賛歌2回目。今回はMD持参、一通り録音。まだ聴いてないけど… 合唱6曲中3曲通し、もう一つを途中まで。いいペースだけど、次回以降は復習も増えてくるだろうし、日程を見ると「エリアス」の練習も始まるようだ。音取りMDのチェックを頼まれた。楽譜入手次第開始だけど、今月いっぱい日本にいなくなる。その後になるなあ。

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 金曜日の夜から、カミさんと下の子二人がボーイスカウト/カブスカウトのスキーキャンプ。週末は(り)と二人だけ。しかし何だか忙しくてなかなかかまってやれない。
 土曜日の夜は竜混・ドイツ役員会があって、あれこれ最終的な調整を話し合う。直前になって行けなくなった人、行けるようになった人、いるけど、行けなくなった人の分まで頑張ってこよう。
 ローマ字の名札を作成しなくては。


【この1ヶ月で買った聴いたDVD】

 ■ アマデウス・ディレクターズカット版

 モーツアルトの生涯をサリエリというライバル/崇拝者?の目から描いた大作。通常版も持っていたのだが、今回ディレクターズカット版ということで新しい映像が追加された。コンスタンツェ(モーツァルトの奥さん)が後半部(モーツァルト死の間際)でサリエリに冷たい視線を向けるようになった理由が、この追加された部分でよく理解できた。こんな逸話があったなんて!という感じ。もちろんここ以外にもふんだんに挿入されているので一見の価値有り。詳しくはこちらを。値段もそこそこ安いしお買い得。まだメイキングのほうは見ていないが、時間がなくて…

 ■ ポール・マッカートニー/バック・イン・ジ・USコンサートフィルムズ

 とうとう買ってしまった。ホントは来日公演も行きたかった。何と言っても、ビートルズの曲をふんだんに演奏したこのコンサート、DVDも3時間近い長いものになっているが、あまり長さを感じさせない。強いて言えば曲間のインタビューは、ライヴの流れが中断されてあまりよくなかった。ライヴフィルムは流れが欲しい。とはいえ、ビールトルズの曲が全体の三分の二を占める。ホント、いっしょに歌えちゃうんだよなあ、やっぱり無理してでもチケットを手に入れたかったなあ。ポールも、もう年だし、もう機会はないかなあ。

 ■ グーニーズ特別版

 大昔、就職したての頃映画館で見た。懐かしい。子どもらにもこの面白さはわかるはずと思い、1,500円という値段もあって購入した。案の定彼らも大笑い、ホームアローン3と並んでお気に入りの映画になったようだ。ダメダメ少年グループが海賊の秘宝を探すと言う、現代版宝島みたい。インディジョーンズのパイロット版みたいでもある。どっちが先なんだっけ? 同じスピルバーグだけど。



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勉強が追いつかない - 2003年03月13日(木)


【社労士試験勉強】

I.D.E.塾から厚生年金保険法のテキスト、国民年金法のテープその他が届いていた。うーん、しばらく勉強らしい勉強をしていない。ちょうど指名願い等の仕事がピークの頃からだから、かれこれ1ヶ月近く、ブランク… たぶん実力ではもう、8月の本試験に受かることは出来ないだろう。それまでに理解しなければならないことの多さと、残された時間から勉強以外に使わなければならない時間を差し引いた時間のバランス、これを考えると…ね。
でも、今からでもやれることはやらなくては… とにかく教科書に一通り目を通す。そして過去問をこなす。ひとり&自宅(通信)だと、ペースメーカーがなくて困る。ずっと前からの、自分の弱点。

今はドイツ準備で時間が取れないけど、4月になったら学習室に通いたい。事務所の仕事との兼ね合いだ。平日に週一回、行ければ、あと週末に一回行って合計週二回、せめてそのくらいは集中的に勉強したい。で、行き帰りの電車では「賛歌」の耳コピー(^_^;



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ドイツ準備その2 - 2003年03月11日(火)


月曜日、日本旅行から最終案内が届いた。旅行のしおりが2部。
ここにホテルの情報が載っていたが、それによると、ミュンヘンとプラハのホテルはモデムポートが専用で付いているらしい。バーデンバーデン、リューデスハイムは電話のみ。そうか、そうするとミュンヘン以降は楽にネット接続できるかも。でも、ま、その前のホテルも、比較的最近改装していそうだし、直通電話はあるみたいなので、工夫すれば何とかなる、かな?
そういえば先日購入したロードウォリア・セット、特にモデムチェッカーの使い方も良く調べておくようにしよう。

ヘアドライヤは全ホテル装備されている由、なんだ、海外用ドライヤーをあわてて買う必要は無かったかなあ。家のドライヤーがポンコツなので買い替えには良かったけど。

改めて日程を見ていると、ポツポツと自由行動がある。どこか出かけるような観光スポットがあるかどうか、研究しておかなくては… 




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竜混・いってきま〜すコンサート - 2003年03月09日(日)


【合唱三昧】

 午前10時から馴柴公民館で練習開始。舞台監督の青木さんも来た。ここで合唱のおさらいして、午後は舞台で出入り、位置決め、等々細かい確認が続く。

 小ホール前に1時45分集合、2時から会場作り。といってもイスを並べるだけ。どうしても捌(さば)けたチケットの枚数が気になって、できるだけ多くイスを並べたい。立ち見は少なくしたいということで、とにかくギリギリ、16人×13列まで置いた。そして花屋さんが来て小鉢を入り口に並べていく。帰るときにお客さんに差し上げる予定。そして20分、ほとんど準備が終わった。もっと時間がかかるかと心配していたが、全員の協力であっという間だった。

 3時ちょっと前には舞台に並んで位置の確認。先生が来て、ピアノの位置も決まり、各員の立ち位置調整が続く。平行して照明のチェックも。5時15分までかけて一通り、演奏。途中、ナレーションのマイクスイッチ・オンのタイミングが合わなかったりしたが、本番ではきっとうまくいくだろう。そのための確認なのだから。

 食事もそこそこに、受付・入り口へ偵察に向かう。既に数十人の方が列を作って待っている。カミさんと(の)の姿も。
 数枚写真を撮り、お客さんの入り具合をちょっと見て、すぐに控え室で着替え。
 男声のドイツ語曲、最後にもう一度暗記。でも、覚え切れない。メロメロになるかなー… 


 で、6時開演。「地雷ではなく花をください」、ナレーションと歌詞に引っ張られて感無量、この気持ちがみんなに伝わって、少しでも地雷廃絶、戦争のない世界に近づけたらと思ったらもう涙がこぼれてしまった。前回の定演で歌ったときもそうだったが、お客さんの反応がよく、気持ちが伝わっているなあと実感でき、これがまた涙に拍車をかける。客席のお客さんひとりひとりをしっかり見ながら、思いを伝えるように歌う。先月の聖パウロや第九とはまた違った感動で胸いっぱいに…
 一転、日本民謡は楽しく歌った。男声での斎太郎節、気持ちよかったなあ。できればもっと豊かな低音が発声できればなあ。ボイストレーニングしたいなあ。
 そして前半の最後、「早春賦」を会場のお客さんと一緒に歌う。

 後半は有里亜さんのソロから始まる。現在プリマドンナ修行中の彼女、笑顔がとてもきれい。素晴らしい歌声を披露。
 そして「朱鷺幻想」へ。内容的には難しいかもしれないが、前解説でおっしゃられた文語体の響きの美しさ、わかってもらいたい。そのためにもしっかりと気持ちを込めて、歌った。ハーモニーはオリエンタルな美しさに満ちて、きっとドイツではうけるんじゃないかな、密かにそう思っている。

 2時間なんてあっという間、もう終演だ。最後は聖フランシスコの言葉から題材をとった「平和の祈り」を歌って退場。そしてお客さんを送り出すときに一人一人に花の小鉢を渡す。地雷ではなく、花でいっぱいに覆われた地球になることを祈りながら。

 
 会場の後片付け後、ロビーに団員全員集合。ドイツ遠征組も日本滞在組も固い握手。



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ドイツ準備その1 - 2003年03月08日(土)


【ドイツ準備】

午前中は買い物に走り回る。
20日のドイツ出発まで、これからの週末はほとんど暇なしなので、きょう、ある程度買い物して荷造りできるところから始める。

下着、靴下は、相当くたびれたものしかないので今回を機に新しいものを相当数購入。ドイツでおろすことに。スーツを入れるガーメントバッグ、綿シャツ、薬、シャンプー等小瓶、ビデオテープ、ドライヤー等々…
PCを現地でネットにつなぐための機器はネットで購入。ロードウォリア・基本セットドイツ向けというヤツ。電源プラグ、電話のモジュラー変換ジャック、200V用電源コード、モデムチェッカーがセットになっている。現地でのプロバイダは現契約中のASAHI-netでローミングサービス。アメリカだと追加料金なしの現地電話代のみなのだが、ヨーロッパはとりあえず分あたり10円程度の手数料がかかる。これに電話代、ASAHI-netの接続費等が乗せられる。設定方法をプリントアウト。こればっかりは現地で試してみるほかないので、できるだけさまざまなトラブルパターンを予測してその対処方法を確認しておく。

他に持参予定の電化製品、全て220V対応かどうか確認。デジカメバッテリー充電器、シェーバー充電器、ハンディカムバッテリー用充電器…(PC、ドライヤーは確認済み)。ドイツ用プラグ変換アダプタは先のロードウォリアセットに一個入っているし、ドライヤーにもついている(海外用なのだ)。

スーツケースを出してみて、今入れられるものを入れてみる。片面がけっこういっぱいになる。重さを量るとこの時点で13kg。うむう… 出発直前にもう少し荷物が入るので、15kgを超えるだろうか。これにガーメントバッグと手荷物としてのナップザック(こちらにノートPC、デジカメ、VTRその他手近な日用品)。ふーん、大変だ。

パスポートもチェック。現在3冊目。2冊目のパスポートは海外出張、グアム観光など、かなりハンコが押してあってカッコいいのだが、今のパスポートはまっさら。4年前にダラス出張を予想して作成したのだが、結局ダラスには同僚が行くことになり、実際には使われなかった。10年パスポートだからあと6年有効。この間、何個ハンコを押してもらえるかな。


【合唱三昧】
夜6時、練習。団長が久しぶりに復帰。いよいよ明日、本番を残すのみ。




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コンサート2日前 - 2003年03月07日(金)


夜、OママからTELあり、プログラムの製本作業が終わった由。しかし印刷原稿が若干足りず、20部程度の追加依頼。明日、表紙を買ってこなければ…

(り)の期末テストはきょうでおしまい。理科、英語は少し自信があるらしい。理科は、火山、岩石、大地の組成といった、地学系。試験前日、私が一夜漬けで教えた。まあ、石ころには興味があるようなので、下地は出来ていた。





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コンサート1週間前 - 2003年03月02日(日)


午後、星の子の役員会。ひさしぶりに顔を合わせる。総会と役員改選の話題。一年経つのは早い。

3・9コンサートのプログラムは、水曜日から印刷し始めて、紙を買い足したりインクを買い足したり。この日の午前中、ようやくすべてのページの印刷が終了した。きょうの練習時にOパパに渡す。金曜日に、有志が集まって製本作業をしてもらう予定。こちらはとりあえず肩の荷が下りた。
夕方、男声の練習。ここで繰り返し練習し、音取りも歌詞もなんとかいけるようになった。まだドイツ語の部分暗譜はできないけど、だいぶ自信ができた。



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明響再び - 2003年03月01日(土)


明響、メンデルスゾーン賛歌の第1回目。7月の本番まで4ヶ月しかない。練習回数は限られているので、効率よく練習しなければならない。ドイツ語は聖書からの引用、しかもほとんど繰り返しだからそちらはいけるかな。



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