FayeBlue
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2004年08月12日(木) アメリカという国は・・・



アメリカ来る前からアメリカの医療費は高い高いって

誰もが一度は噂で聞くはず

私もその1人でした

この7年間アメリカ滞在中ラッキーな事に

病院にかかることなく過ごしてきたので

聞いてはいたが、実際は“どうなのよ?”って所でした


最近先日病院へいった請求書が我が家へ届きはじめた

一応医療保険に加入してたので実際に支払う額は低いのですが

明細書を見ると、クリニックの保険会社へ対する請求額が

異様に高い


私は2回クリニックへ行った

最初は一般外科の先生

30ー40分くらいの診察とコンサルティング

$140��
チッチーン☆

その次の日、私は皮膚科の先生に会った

10分にも満たないコンサルティング

$220��
チッチーン☆



いいですか?

日本で例え私立の小さなクリニックなり病院行ったとしても

診察だけで1万とか2万とか誰が請求します?!

この馬鹿げた請求の仕方に物申す!


保険会社も馬鹿ではないので、

もちろん請求された額通りで計算はしませんが

交渉をして、請求額を合理的な値段に下げ、

そのうちの7割くらい負担し、残りを私が払うようにしているのですが

じゃ、一体その浮いてしまったお金はどこから病院はとるのか?

という問いが浮かびますよね?

病院も保険会社から取る事もできませんし、

かといって患者に請求することもできないので

それは戻ってこないお金となります。


で、実際それで病院は損をしているかというと実はしてないのです。

☆Welcome To America☆

ここは交渉の国United States

全てが交渉次第。


聞いて驚くな

90%の病院では保険保持者に対する請求額のレベルと

保険を持ってない人に対する請求額が違うのだ

例えば保険持っている人には同じ診察でも最低$140��

でも実際持ってない人に請求するのは$95�砲箸�ね。


実際毎月の保険料を支払っていても病院の請求額が高いので

どんなにディスカウントが保険会社と病院の間にてあっても

実際計算するとこの毎月の保険料を貯めて、

現金払いの方が安いって場合もチラホラ



先日エマージェンシーへ運ばれた知り合いの男性

その男性保険を持っていません

エマージェンシーに運ばれた上に、2日間の入院

プラスX−RAYなどのサービス

保険を持ってるのなら$4500��

が、現金で今払ってくれるのなら$2000�砲任いい錣茲�

病院側までが交渉してくるのだ


時と場合によっては保険なんて持たずに

現金交渉した方がいい場合もあり

またアメリカのいい所はGeneral Hospitalに行けば

金がなければ全てFreeィィィ

まぁ待ち時間が長いけどね。


こういうのって日本では考えられませんよね。

いつだったかニュースで日本の政治体制はアメリカのシステム似で

保険体制はヨーロッパのシステムを導入しているので

最近はこの高齢化により政府が維持できなくなりつつあると言っていた

そうアメリカは保険制度はあくまでも個人次第

だから交渉っていう抜け道もあり、

TAXも低い

ヨーロッパは100%福祉のサポートあり

だが全てに対して法律的に成り立ってなくはならず


交渉なんて無理



その間をいってるのが日本だが

法律的でかつ交渉ができない

かつTAXは合理的

両方をふさいでしまったら、そりゃ煮詰まりますよね。

でも私はその他の答えをどうにか出してほしね。



100%アメリカになって欲しくないし

100%ヨーロッパにもなって欲しくない

頑張れ日本児


2004年08月06日(金) 母なるものは偉大なり




中学の頃、そうちょうど思春期真っ盛りの頃は

母親と話すことが大っ嫌いで

ひどいかもしれないけど母親が嫌いだった

母親の何が嫌いだったのかと聞かれても

特にどこがって訳でなく

どちらかというと母親とアニキの仲良さに

嫉妬してたんだと思う






『中学1年の時の面接の時にね、

千葉先生から家が嫌いってメモに書いてあります

FAYEは学校ではよく話すし友達も多く

皆に好かれてる存在なのですけど、家では話したくない

と言ってるみたいですけど、何か問題でも?って

言われた時はどんなにショックだったか。』と今でも母親は言う








中学1年の先生はうちのクラスメート全員が好きだった

クラスが一致団結してたうんといいクラスだった。

楽しかった

でも家に帰るのがうんと嫌だった

誰も聞いてなくても1人で勝手にあーだこーだと話すアニキ

だから夕食のテーブルでもアニキの話題ばかり

自然と母親もアニキの話しを聞く感じになってしまう

でも子供の頃の私には母親は私なんてどうでもいいんだって

かなりネガティブに考えてたんでしょうね

かつだからって甘える事を知らない上に素直じゃない私は

強がり、聞いてくれないならいいよ、話さないよ。

でも心のどこかでやっぱり聞いて欲しかったんだ

だから先生にSOS信号を出した

それだけはよく覚えてる









あの頃はよく母親ともケンカしてた

母親の言う一言一言に腹を立て、

感情的になり、なんでわかってくれないの?と思いつつ

口ではケンカを売るような言葉を私は吐き出す

『あの頃はいつFAYEが不良の道に入っていくか

いつ家に帰ってこない日がくるかホントいつも心配してたのよ』

いつだったか母親は私にそう話してくれた

その話しを聞いた時正直驚いた








確かにあの頃はいつ出ていってもいい状態だったし

たまに外出歩いては遅く帰ってきて怒られてた

母親の態度は心配してるってよりは

“出てくなら出てきなさい”的な所あったし、それに加え

“出て行くなら意地でも連れ戻すわよ”的、脅しさえもあった

確かにあの頃の母親は怖かった

長年バレーアタッカーで鍛えた右手からの顔くる

平手は今ではAbuseと言われてもいいくらい

すごいものだった。

それでも女の子の顔は大事という気持ちが母親にもあったのか

アニキを平手する時の音と強さといったら並みではなかった

一度何をしたか忘れたけど、

アニキの顔右半分がパンパンに腫れ

真っ青になったほどの一発平手を見たことがある

泣きながら一発入れたのだ








まぁこのAbuse的脅しが効いていたのか

結局私も小心者だからか

母親の怖さに確実に負けていて

小さな悪をして平手一発ぐらいの事だけで

さほど悪の道に入り込むことなく中学を終えたっけ。

子供の私には決して心配してる様子なんか悟らせることがなかったから

私は驚いた、まぁ心配しない親なんていないかって今は思ったり。

まぁでも中学3年間は母親とはホント口を聞かず

でも母親が私に探りを入れてる所があり

それがまた嫌で、余計口を聞かず

口を開けたらケンカ

親子して素直じゃなかったんだ

そして生意気な子供だった私

恥ずかしい事とかみっともない事をを母親に知られるのが

恥ずかしかった所も私にはあった気がする








いつそれから仲良くなったかは

きっと専門学校に進む時だ、高校3年の時。

何気に進学校に通っていたFAYE

ほとんどの子が大学に入るって中私はアメリカに憧れていた

資料とかを1人で集めて高校卒業後直接行くか

専門学校を通して行くか、お金はどうするか

親は賛成してくれるのか

1人で色々考えていた

どうするにも親に伝えなくてはならず

でも直接話すには何だか恥ずかししどう伝えていいかわからず

私は親に手紙を書いた

日本の大学には行かずアメリカに行きたい事書いて

確かキッチンのテーブルの上に置いておいたんだ

その後は気が付くまで私は知らんぷり

次の日の夜母親と父親が私を呼んだ

決してお金持ちではない我が家なのに

両親は私のやりたい事をサポートすると言ってくれた

専門を通してアメリカに行くことにし

東京の専門学校へ1人寮暮しをすることになった

専門学校の奨学金制度を甘く見ていたFAYEは見事に

奨学金をもらうことが出来ずクラスは4Bというのになった

1から4のクラス分けがあって

私はどういう分けかクラス分け発表の日

教科書等を買いに行った後

教科書の多さとから4Bが一番下のクラスを思っていた。

半分悔しく、半分安心していた

その日母親に『クラス一番下みたいだった、ゴメンね』と電話をした

『どのクラスでも頑張ればこれからでしょ』と励ましてくれた母親

初めての東京暮し

寮に住んでいてもルームメイトがまだ来てなかったから

知ってる人もいないしホームシックになってた







学校初日

クラスルームに行き先生が挨拶と共に

『この4AとBは一番上のクラスです』と言ってた

ちょっと頭が混乱した

また運悪くというか

その日座っていた席の周りの子達は

いわゆる優秀生ばかりで一言目にはどこどこの国行ったことある

とか訳分からんアメリカの音楽の話しとかしてて

私は1人取り残された気分だった

そしてうんと不安になったのだ








アメリカに行きたいと漠然とした気持ちで決め

昔から外国音楽が好きだったとか

映画が好きだったとかそんなのないし

日本国外なんか一回も出たことない私

周りはその反対で、私はもしかして場違いな所にいるのでは?

そして早速だされた宿題やスピーチを皆の前でするという

授業内容を聞いてかなり不安になった

その日家に帰って母親に電話した






『今日学校行ってきたんだけど、4って一番上のクラスだった。

皆周りの人は海外経験とかあって、英語もペラペラ話せるし

なんかクラスでは皆の前に立って

英語でスピーチしなくちゃいけないし・・・・』

ボロボロ泣きながら公衆電話から掛けていた

その時母親は

『あらいいじゃない。英語を学びに学校行ってるんだから

間違ったて恥ずかしい事じゃないでしょ?

英語の出来る友達が周りにいるならラッキーじゃない

FAYEなら出来るから何、泣いてないで頑張りなさい』

背中をポンと押された気がした








きっとこの日からだ。







母親の前で悲しいとか辛いとか少しずつ言えるようになったのは。






専門も慣れて友達も沢山できて英語を皆の前で話すのも

別に何とも思わなくなり

あっという間に一年が終わってアメリカ来た。

アメリカいる間に母親は離婚し、再婚

アニキも結婚して、父親は入院中

家族バラバラになったのがきっかけで

アメリカ来て離れたのがきっかけで

母親と沢山話すようになった

その間にいつからか母親の態度が変ったのだ



今までは引け目を感じていた私が

“あれ?何かお母さんFAYEの事信用してくれてる?”

“一個人として見てくれてる?”みたいなのを感じはじめた

私にはそれが何となく嬉しかったのだ








年に一回だけ日本に帰り、1週間とか一緒に暮して

もちろんケンカしたり口論するけど

いっつも日本からアメリカ帰る時

新幹線のホームで目を真っ赤にして涙を流す母親







前はファックスか国際電話での連絡だったけど

最近はコンピューターでメールを覚えた母親

メールでの母親の文章はとても暖かい

会社での愚痴や自分が思ってる事をメールでたまに送る

返事がかえってくる

朝会社でメールをチェックし

母親のメールを見るとどうしても泣いてしまう

それくらい暖かいメールを送ってくれる母親

そしてそんな母親を持った私は幸せだと1人思う

最近になってやっと私は母親の偉大さを感じる

ぐーたらな父親だった父をずっと支え

子供にだけは普通の生活をさせたいと母親が倍働き、

家の中の事を全てこなして、うちを切り盛りしていた

今自分が社会人になり仕事へ行き、週末に時間があっても

週一回家をきれいにすればいい方だ。

毎日それをしていた母親はすごいなと思う。

母親は家族を壊して申し訳ないと言う、

実家をなくしてしまって申し分けないと謝る

母親が幸せならいいんだよと心で思う






どの母親もやっぱりスゴイんだと

母親の感というのはほんとスゴイと少しずつだけど思う

年のせいか今までは一度も離れている事淋しいと口にした事がない母親

最近のメールでは淋しいとメールが入る

どうやって親孝行をすればいいのか

何かベストなのか私は分からないけど

少しずつだけどちゃんと伝えていこうと思う




2004年08月05日(木) Wish Me Luck!



自分がどんな人かわかってないからか

目的がはっきりしてないからか

どう生きたいのかよく理解してないからか

理由はどんなにしろ

私は今誰にも魅力を感じてない







久しぶりに前の日記を読んだ

ライアンを思い出す

失礼な話しかもしれないけど

LA来てからトキメキを感じてない







今会ってる人にも決してトキメキを感じてない

いい人だなぁとか気が楽とか

セックス楽しめるし・・・とかそんな感じ

たまらなく好きって気持ちにはならない

こないだ知り合った人には逆に押され過ぎて引いた

遠く思ってくれてる友達にも決してトキメキは感じたことない

LA来て今まで体を合わせた人達

何故か一回もトキメキ感じたことない。








『正直ライアンと上手くいかなくて安心したんだよ』と友達に言われた

何で?と聞くと

『だって、友達が銃持って盗みに入った場所にいたとか

そんな話し聞いてたら例え過去の話しでもいい気はしないじゃん』

友達が出さなければすっかり忘れていた過去話し

そういえばそんな事もあったっけ。

やっぱり私って悪ガキを好きになる傾向があるのかね?








久しぶりにトキメキ感じそうな人とは

しばらく会ってない

つまらないぞ。

早く会って、相手を知りたいぞ

でもできれば今度はBAD BOYではありませんように。




2004年08月02日(月) HYPOCRITE




今まで何気なく聞き流していた言葉が

まるでパズルのように一つ一つ組み合わされ

全てのつじつまが合わされていく






自分の事で精一杯だったり

結局は自分の事しか考えていなかったり

今までの話しの中で送られてきてた信号に気が付くことなく

ただただ聞き流していたに過ぎない







きっと驚いた顔を見られた

私が凝視してたの見た

『どうしたの?』って聞かれたとき

とっさに『何でもない』って言ってしまった私

きっと心の底見透かされてたはず

きっと“何も同情しなくていいのに。気になるなら聞けよ”

そんな風に感じたはず






心の小さい自分に

一番偽善的なのは私なのだと

自己嫌悪に落ちる






そいういえばあの時こんな事言ってたなぁ

と今更ながら気が付く

その間に私は何度となく無神経な質問をしてたに違いない


I am so hypocritical......


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