武ニュースDiary


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2009年12月24日(木) 新作……?

唐突に名前が出てますが、ソースは?
これもまた泡と消えるのか?

新快報が「マギー・チャンが新しい恋人と婚約か?」と伝えた最後に、
彼女の新しい仕事に触れた中で、一言こうありました。


ある情報では、マギー・チャンは最近、華誼の新作「全城熱恋」に客演したばかりで、
来年の夏には、光線影業の新作に出演、金城武との共演が有望である。
(新快報 2009.12.23)

●訂正 「全城熱烈」ではなく、「全城熱恋」でした!
KIMIKOさん、ありがとう。(22:55訂正)



 BBS   ネタバレDiary 7:45 


2009年12月23日(水) 智族GQ12月号��

これでおしまい。


金城武がニューヨークに滞在中、2人は毎日のように会った。
「彼は1人で、付き人も連れず、とても質素なランク外のホテルに泊まっていました。
チェックのシャツを着て、サングラスか普通の眼鏡をかけていました。
酒場に入るときは、もう1人の、やはりニューヨーク在住の高校の同窓生に、
人が多すぎないか先に見てもらってから入ったものです」

そういう夕べは、正煕とニューヨークの同窓生の印象に強く残っている。
3人ともとてもウマが合い、金城武は明るかったが、
普段はいつもこうではないだろうなと感じさせた。

あるとき、relationshipの話になり、彼が正煕に彼女がいるかと尋ねた。
正煕も同じ問いを返し、2人は声をあげて笑った。
どちらも「時間がない」を言い訳に、その話はさっさと切り上げた。
別れる前、金城武は正煕にタクシーで行く方法を真剣にたずね、
かかる費用をじっくりと比較していた。お金には非常につつましく見えた。

それ以来10数年会っていないが、あの再会を、
正煕は自分自身の経験からこう説明する。
アメリカンスクールの同窓生は、別れた後、この世のどんな所に行こうと、
みな1つの共通点を持っている。
ハイスクール時代の友情にもっとも帰属感を覚える、ということだ。

「大学の友人はみんな不思議がりますよ、
どうして君らは高校時代の友達といつまでも連絡を取り合ってるのかと。
ぼくたちみたいな経歴と背景を持たない人なら、
一番親しいのは大学時代の友人だと思います。
でも、ぼくにとっては、高校の友達が一番親しい感じがする。
今は興味も仕事も多分みな違っていると思うけれど、
それでもみんなに会うと、時は経ってないと感じます。
あの学校の卒業生で、高校時代の友達と結婚した人は、身近に大勢いますよ。
国外から来た子どもたちが台北に暮らすとき、この高校はもう1つの家なんです。
ぼくたちは自分たちの世界に暮らしていました。
この体験は、高校の仲間でないと、本当には理解できないでしょう」

学校を出てからは、全然スポーツはしていないと、金城武は笑った。
当時の台北アメリカンスクールは一群の他とは違う子どもたちを育て、送り出したが、
彼らにとって重要なのは、そういう違いではなく、
かつて成長過程のある長い一時期、この場所が,、
自分が他と違っていることを決して感じさせなかったということなのだ。
彼らが青年時代を送ったあの世界は、ファンタジーの力で、
自由、平和、時間、美といったものを、今も与え続けることができるのである。

その世界に、金城武は高校3年の終わりまでいることはなかった。
彼の出演するCMがテレビに流れ始めてからまもなく、
キャンパスから完全に姿を消した。
いわば、部屋でみんなと一緒に大人になる準備をしていた子どもだった彼は、
門を押し開き、一足早くその部屋から出て行くことを余儀なくされた1人だったのである。  (完)
(智族GQ 2009年12月号)


この記事は公式サイトやニュースにアップされていたのではなく、
大陸のファン、北京猫さんが自分で打って、上げてくれたものです。
感謝します。

記事の筆者は方莉という人。名前からは女性だと思います。
この人が自身のブログに取材裏話を書いているので、それもついでに。
原文は
こちらです。


「GQ」インタビューエピソード

金城武の話す声には深い溜息が交じっており、日本語の影響をうっすら感じさせる。
声は低く、発音ははっきりと正確だ。
果たして端正な顔だち、深い瞳、息苦しく感じさせるほどの男前の人だった。
浅黒い肌は健康で穏やかな輝きをたたえている。
言葉やアイデンティティの問題をしばしば口にしたが、
熱心なようにも、うんざりしているようにも見えた。
そういった意地悪で抽象的な問題に直面すると、
彼は突然、ごめんなさいと言い、一種、うきうきしたような、
かつ哀願するような声で尋ねるのだ。
「あなたがぼくなら、どう思います?」
彼は情景描写が巧みで、声もよく、情緒もたっぷり。
手足の動作まで加え、きちんと説明しようと一所懸命な子どものようだ。

インタビューに先立って、私は彼の出演作を借りられるだけレンタルし、
2晩かけて見終えていた。
金城武はやっぱりおどけ屋さんで、
インタビューの時間が長かったので、途中で挙手して申告する。
「すみません、お手洗いに行ってもいいでしょうか?」
「どうぞ、どうぞ」私は答えた。
彼はおじぎをすると、ピュッと広間を飛び出していき、また光速で戻ってきた。

インタビューが終わり、私はトイレに行ったが、
扉が閉まっていたので、入口で待っていた。
通路はとても狭く、金城武が通りかかって私を見て、不思議そうに尋ねた。
「ここで何をしているの? 人を待ってるの?」
私は答えた。「行列よ。日本人は行列が大好きじゃなかったかしら?」
彼が笑った。
その半袖シャツから出ている腕を目にすると、我慢できなくなり、
手を伸ばして腕をちょっとつまんで言った。
「ちょっとつまんでいいでしょうか?」
「今つまんだんじゃないの?」
「もう1回いい? スポーツをしてないと言ったのを、検査してみるから」
彼はちょっと困って、立ち去るべきかどうかわからず突っ立っていたので、
私はついでにもう1ぺん、いじめてあげたのだった。


 BBS   ネタバレDiary  22:30


2009年12月22日(火) 智族GQ12月号��

一足先に部屋から出て行った子ども

7歳になる前は閩南語(台湾語)しか話せず、日本人学校に行ってから日本語を使い始めた。
小学校を6年で卒業するとき書いた作文の課題は「大きくなったら」。
彼は「スーパーマンか警察官」になりたいと書いた。
台北アメリカンスクールでは3年間英語を学んだが、
中国語の作文能力は相変わらず身に付けられなかった。
「どれも不十分、話せるだけ。日本にしばらくいて、中国に戻ると、中国語が変になってるし、
急にまた日本に仕事で行けば、自分でもなんでこうなるのという話し方になってしまう」

言葉の訓練がどれも十分とは言えないことで、インタビューのとき問題になるのは、
頭の回転の早さで口を衝いて出るユーモアを別にすると、大部分の言葉は、
一字一句よく考えて書いた書き言葉のように聞こえることだ。
話し言葉風でなく、一言一言正確にはっきり発音して、明晰に聞こえるようにしている。
文章でのコミュニケーションの方が頼りになるようであり、
あの、撮影現場における大陸の監督たちが、4つ、5つのことばを口にすると
もう実に適切な表現になっているのを羨んでいる。
例えばチャン・イーモウだ。
イーモウの話を聞いていると、まるで映画を見ているような気持ちになる。
そうした一見簡単で日常的に見えることが、彼には努力しても全然追いつけない。

1991年、「日中ハーフ」として台湾で知られるようになって2、3年経った頃、
18歳か19歳のときに、初めて日本を訪れた。
東京国際空港の中に足を踏み入れたとき、大きな文字が目に飛び込んだ。
「お帰りなさい!」
それは日本のテレビで、玄関で待っていた妻が90度に体を折り曲げておじぎをし、
頭を上げて、ずっと用意していた笑顔で夫に対するときの感じがした。
彼は心の中でつぶやいた。
「ぼくは帰ってきたのか? 初めて来たのに」

昔から台湾芸能界は、混血や何らかの海外のバックのあるアイドルを作ることに熱中してきた。
1970年から75年生まれの、金城武と同時代だと、
今でも有名なココ・リー、ワン・リーホン、陶�戞�黄立行である。
彼らの高校が台北アメリカンスクールで、芸能界からは、
西洋モデルであるABC(アメリカで生まれた中国人)と混血児の
宝の山とみなされてきたところである。
台湾産の経営者たちの子女と共に、国民党高官の子孫、テレサ・テン、費翔、
ピーター・ホー、潘瑋といった芸能界でよく知られた新旧の名前は、みな同窓生である。

創立した当時、台北アメリカンスクールは、アメリカ軍の子女が
台湾でもアメリカ式教育が受けられるようにするためのものであった。
米軍撤退後も、この学校は、教師にはすべて外国人を採用する伝統を維持し、
教育系統はアメリカと共通で、そのままアメリカの大学に進学できるようになっていた。
外国籍の学生しかとらなかったので、台湾本土の富豪たちの間では、
ヨーロッパの小国ベルギーに土地を買うことで外国の国籍を取り、
子女を無事入学させることがずっと行なわれてきている。

アメリカ人が去ってからの台北アメリカンスクールは、
台湾人からは「英語を学ぶのに一番いい場所」と考えられている。
ランクによって学費が違うため、台湾在住の日本人父母は、
子どもが英語試験の難関を突破できないことを心配して、
まず少しレベルの下がるミッションスクールで1年間補修をさせ、
翌年試験を受けさせるという、回り道をさせたりもする。

「忘れられないのは、入学試験の英語の面接試験のときのことです。
試験官が『1億ドルあったらどうしますか?』と聞いたんです。
その数字をぼくは初めて聞いたので、きっと100ドルとか1000ドルとかだろうと思い、
おもちゃを買ったり、本を買ったり、あれ買ったりこれ買ったり……と答えたんですが、
その後、別の受験生がその質問にこう答えているのを見たんですよ。
こう言ってました。「部屋を買ってお父さんにあげます」って。
ぼくは『どうして買えるんだ!?』って思ったけど、
1億ドルで買えないわけないですよね? 終わったな、と思いましたね」

金城武が学校をやめて17年後のこと、フィリピンの商人の息子である正熙は、
ニューヨークで思いがけなく彼から電話をもらった。
2人が会ったとき、金城武は彼を強く抱きしめた。
「ちょっと熱かったですよ。ぼくを見るととても喜んで、
かばんをしょっていて、目つきと学生っぽさは昔のまんまで、
すぐに昔の友達だった時代に戻ってしまいました」

高校時代、正熙と金城武はバレーボールチームで一緒だった。
10年生のとき、もう1人の日本国籍の同級生と一緒に
シンガポールの学校に試合に行ったことがある。
3人はベンチの補欠要員で、相手の学校の学生寮に一緒に泊まった。
「毎日どこかに出かけるたびに、彼ら2人は必ず、まず煙草を吸うんです。
なぜ吸うのかと聞くと、金城武は床に座って台湾のあんちゃんみたいな風をして冗談を言いました。
『煙草を吸えなきゃ男じゃないさ!』」

「男らしさ」という名目のもと、正熙は金城武の手から人生初めての煙草を渡されたのである。
当時の自分のアイデンティティについて、正熙はある複雑な事情を話してくれた。

「その頃、台湾人は外国のものをとてもクールだと考えていたんです。
だからABCはもてはやされました。
アメリカでは本当はランクの低いチェーンレストランFriendsが開店したときのことを覚えてますよ。
台湾の若者の間であっというまに大人気になりましたからね。
その頃、アメリカンスクールの生徒は大部分が黄色人種でしたが、
一般の台湾人に対しては、ぼくらは自分たちを外国人だと感じていました。

ところが毎年夏休みになると、台湾政府はLove Boatという名前の事業で、
純然たるABCを、台湾の学校で中国語を学ぶよう招くんです。
実際は、こういう未成年たちは中国語を一生懸命学ぶ必要なんかなくて、
台湾には酒を飲みに来るんです。全くの放蕩、遊びですよ。
政府は表向きはそれを勧めないけど、基本的には黙認です。
彼らを台湾に来る気にさせて、台湾は面白いところのように思ってもらって、
ここで仕事に就いてもらいたいんです。
このとき、ぼくらは自分が台湾人だと感じて、そういう奴らは排斥しましたね。
ぼくらのところに来て放蕩して、大声でしゃべったりするのは、
自分たちの特権が侵されるように感じたんですよ」

そして、当時のアメリカンスクールは、かなりの程度、
この開放して10数年しかたたない宝島(台湾)にしばし在住する、
複雑な身分の外国からの過程の子どもたちに、確かに強力な保護を与えていたのだった。
高校を卒業すると、正熙はアメリカのバークレー公立大学で設計を学んだ。
「同級生たちもまた貧乏人ではなかったけれど、初めて、こういうもっと現実的で、
質素で、より生活に密着している人たちに出会ったんです。
働かないと学校に行けない人もいました。自分で学費を稼いでいたんです。
そういうようなことは、高校時代のぼくは全然わかっていませんでした。
前の学校は非常に閉ざされた世界だったんだなと気づきました」   (続く)


多分、あと1回。



 BBS   ネタバレDiary   0:30


2009年12月20日(日) 智族GQ12月号��

続きです。


独居者

2007年、北京・門頭溝での「投名状」の撮影は、ちょうど極寒の冬にぶつかった。
彼が現場に着くと、スタッフたちが寒風の中でがたがた震えながら、笑って言った。
「地獄へようこそ。Welcome to hell」
最初は中国語で、2度目は英語で。
一日の撮影が終わるたび、特殊メイク師の劉吉は最新の注意を払って、
この「ひげだらけの賊」から、ひげを1つ1つ外していくのだが、
金城武はあまりに時間がかかるのが辛くて、
テープをつかむと、えいっと一度に取ってしまった。

一度に数千人が登場するあるシーンで、副監督は軍隊をまるごと動員し、
近景で撮る殺戮シーンを指揮した。
金城武は短刀で将軍を倒し、その首(作り物の)を手で掲げる。
血が一滴一滴と首からしたたる。
彼は高みへ駆け昇り、「ウォーー」と叫ぶのである。
首が体から切り離されたばかりらしく見せるため、劉吉は斜面に身をひそめ、
カットがかかるたびに急いで駆け上がって、その頭の中に「血」を注ぎ込んだ。
金城武はその首の持ち主の将軍役の俳優が自分の隣に立っているのを見て、
怖じ気づきながらも面白がって興奮している。
まるで大きな子どものようだった。

化粧室では、水の入った紙コップが灰皿代わりになっていた。
彼はポケットから小さい携帯用の金属の灰皿を出すと、苦労して蓋を開け、
吸殻を突っ込んだ。
俳優・金城武は、昔のことはあまり覚えていないが、
初めて出たドラマのことはいつまでも記憶に新しい。
「草地状元」というタイトルで、撮影は台湾南部の田舎で行なわれた。
四、五十人乗りの大型バスに乗って3時間半、その間はずっと寝ていた。
真夜中に現場に着くと、監督が言った。「なぜ来たんだ、出番はないよ」
出番がない? しかしもう帰るバスがない。
二、三十元払って軽食を食べ、夕飯とし、夜は一人っきりで恐れおののきながら、
四方が全面、鏡のホテルの部屋で眠りについた。

その後も何度も行っては何度も戻った。
やっときた出番は1カット、台詞は「そんなことない」。
30数回繰り返し、監督は何度も台本を投げ捨てた。「まじめにやれ」
金城武は言った。
「そんなことありません」「そんなことないです、すごくまじめにやっています」
「ぼくの台詞も『そんなことない』だったので、
そのときのことはすごく心に残っているんですよ」
彼は情景描写が上手で、手足の動作まで加えて、一生懸命きちんと説明しようとするが、
それはまた、ただ独り言を言っているだけのようでもある。

チャン・イーモウ、チェン・カイコーと一緒に78年、電影学院を卒業した録音技師の陶経は、
金城武の、数少ない大陸映画界の親友だ。
金城武は「LOVERS」のスタッフたちと同様に、彼を陶爺(じい)と呼び、
陶経は金城武を小金(シャオジン)先生と呼ぶ。
この映画の撮影から1、2年は、金城武は北京に行くことがあると、
必ず陶爺に連絡を取り、一緒に食事をした。
ただ1つの彼の頼みは、「今日はちゃんとした格好をしていないから、
来る人たちに写真を撮らないように言ってくれますか」ということだった。
互いによく知り合った後は、食卓で話題を提供し、みんなを楽しませようとした。

「彼は本当に子どもっぽくて、ずっとはにかみ屋だし、うまく世渡りすることが苦手なんです。
それに受け身なんです。撮影の後、みんなで食事をするたびに、やってきても、
どの席に座ったらいいのかいつまでもわからずにいる。
そのとき、もし、小金先生、こっちにおいで、と言ってやれば、彼は大喜びでやってきて、
すごい心配事を代わりに解決してもらったとでもいうかのようですよ。
一度彼と近しくなれば、大勢の人の中であなたを見かけると必ず自然に近寄ってくる。
どんどん親しくなっていきます」

ウクライナでの撮影の合間に、陶経は100回以上ある韓国ドラマを2つも見てしまった。
金城武はといえば、日本から持ち込んだ各種様々な電機器具を据え付けた
自分の部屋に戻りたがった。
「自分自身とのつきあい方を知らない人がほとんどですが、彼は上手に1人で過ごせる。
もし、わくわくさせてくれるような相手が誰もいないなら、
彼にとっては、1人でいる方が、無理に付き合いをするより気楽なんです。
彼は1人のときにどうすればいいかを知っているし、
どうすれば自分が快適になれるかも知っている」

家では、この「オタク」はほとんどの時間をゲームをして過ごす。
「オタク」は東京では自分たちの特殊な集まりを開いており、
仲間の誰かの家に集まって、それぞれ持ってきた自分のノートパソコンで、
ネットをつなぎ、めいめいがモニターに向かって一緒にオンラインゲームをするのである。

彼は自分のイメージを使ったゲームが好きで、例えば「鬼武者」がそうだ。
「愉快だし、光栄ですよ。ワア、自分の顔がそこにある、それにすごく面白いし、
自分で武器を扱うわけではなく、他の人がやってくれる。最高だと思います」

テレビはいつも見るわけではないが、いったんつけると、ずっと見てしまう。
そして見るもの何にでも、強烈に興味をそそられるのである。
「どこかのレストランを紹介していれば、そこに行ってしまいますね。
そしてオーナーと仲良くなろうともする。
台湾のショッピング番組のテレビ局にチャンネルを替えたら、
このホウキはどうしてそんなに素晴らしいのかとか、
この洗濯機は本当にそんなにすごいのかとか」
セールスレディが「今お買い上げの方には、すぐお届けできます」と言おうものなら、
すぐ買いたくてしかたなくなる。
1年後になって、テレビでは相変わらず「今お買い上げの方には、すぐお届け」と
言っていることに気づくのだ。  (続く)


うーん、つけひげは「赤壁」のときで、「投名状」は自前だから楽だと
本人が言っていた、という記事があったような気がするが……?



 BBS   ネタバレDiary   22:20


2009年12月19日(土) 智族GQ12月号��

やーっとゆとりが少しだけ出ました。
もうこれが全部できて、今年最後の更新かしら?
2回ぐらいでやろうと思ったけれど、息切れがして、3〜4回になるかも?
久しぶりの登場、大陸「GQ」の訳文です。


  


金城武 老人と子ども

半開きの化粧室の扉。
金城武は椅子に腰掛け、腕を伸ばして後頭部で指を組み合わせ、
短く切った髪を気ままにいじっている。
その目には、若い者にはなかなかたどりつけない落ち着きが宿る。

アメリカのスーパーマーケットで買ってきたアーミーグリーンの半袖Tシャツ、
6つの胸ポケットがあり、シンプルで、着やすく、安価、
左の手首に数珠、両手に3つの銀の指輪がはまっている。
冗談混じりに説明する。
「最近どう、って聞かれたら、婚約したよ、って言うんです。
ほら、1つ、2つ、3つ。どれにしようか考えているところなんだ」


力を抜いて、何もしないでいるのは、彼にとっては大事なことだ。
女の子と街をぶらついたりもしないし、
もし、三国時代に生まれていたら、諸葛亮ではない、ただの農民で、
遙か彼方の硝煙を見て、「やって来るぞ、襲って来るぞ!」と大声で叫び死んだふりをする。

台北の2つの世代

37歳にして母親と一緒に暮らし、19年間、同じマネジャーのもとにいる。
デビューから今日まで、友人たちとのつきあいは、ほとんどが10年を超える。
台北に戻ったときは、決まって露店の「カキそは」と「臭豆腐」を食べに行く。
子どもの頃の記憶では、この2つが、一番おいしかった食べ物なのだ……
こうした暮らし方は、金城武の人や物事に対する一貫した態度とよく符合する。
つまり、良く知っているもの、慣れているものとつきあうのが好きで、
経験のないことはしたがらないということだ。

人生でトップの位置に置くのは感情である。
愛、家族愛、友情、それにあらゆる信頼、ないし依頼心も含まれる。
だが、彼の感情の処理の仕方は、明らかに特別だ。
取材中、話題が祖父や祖母の話になったとき、まず、こう言ったのだ。
「みんな�爐劼辰�かっちゃいました�瓠�
なぜ「ひっかかった」などと言うのか問うと、ごくごく真面目にこう答えた。
「みんな全滅してしまって、すごく恋しいんで、こう言わないととても辛いから」

「理想の家庭は?」とか「最終的目標は?」とかの質問には答えたがらない。
「それって、自分や相手にそういう理想の通りになれと言うことでしょう」
むしろ、「あるがまま」でありたい、「どうなりたい」ではなく。
自分を知り、相手を知り、互いに尊重しあう。

今年10月の誕生日、金城武はいつものように早々と台北の家に帰り、
旧友たちに連絡をした。
全員、返事はこうだった。「ごめん、時間がない」
誕生日当日、みんなは彼の家の台所に隠れ、彼が客間から出てくるのを待ち受けて、
いっせいに飛び出し、それぞれおかしな顔つきやかっこうをして見せた。
金城武は少しも驚かなかった。
「全員ひまがないだなんて、あるわけない。しめし合わせてるに決まってますよ」

「ほんとにまあ、君は遊びにくいなあ、驚いたふりすらしないんだから!」
彼のいつものものうげな顔つきを見て、みな、くだらないことをしたと気が付き、腹立たしくなる。
彼のことを、昔、学校をやめたばかりのときのかっこいい男の子のままのつもりでいたのだ。
彼の心はもう全然違っているのに。

「つきあいは10年以上になりますね。
よくケンカしたし、考え方が違うこともありました。
金城武の方がぼくよりもっと人や物事への対し方を知っていて、
相手に不満があっても直接そうは言わない。
婉曲なやり方で心を通じさせようとします。
時には冗談まで交えて、ああ、そうなんだと相手に思わせるようにするんです。
ぼくが短気なのを知っていて、よくからかわれたけど、
ぼくが怒ると、いつも上手になだめるんですよ」

金城武の初期のプロデューサーであった黄連��は、
長い付き合いの友人の1人である。
16歳の時、金城武は黄連��と知り合った。
現在、黄連��は50歳近いが、
60年代の台湾生まれの者に特有の青春の肌触りを持っている。
台湾らしさと、濃い郷土の雰囲気があり、どんな感じかというと、
たとえば2度の離婚歴を持ち、ハンチングをかぶって、
スーパーグループ「縦貫線」を結成し世界中をツアーしている李宗盛と羅大祐、
あるいはアメリカでコンピューターの博士号を取ったのに、
小さな島に帰って文芸映画を撮ったエドワード・ヤン……。

これらの少年っぽさをたっぷり備えた先輩たちから見ると、
金城武の方が逆に年上の人間のようだ。
人情を解し、より成熟し、旧交を大事にし、街で遊びたがらず、スポーツが嫌いで、
することがなければゲームで遊び、音楽を聴き、本を読み、
はては絵を描いたり、習字をしたり、お茶をたしなんだりまでする。
一緒に飲んでいても、不意に姿を消してしまい、1人寝床に戻って寝てしまっていたりする。
まるで、老人の生活が始まってしまい、
殺伐とした気持ちはもうとっくになくなってしまったかのようだ。

黄連��にとっては、母親との関係がずっと最大の心のしこりになっていた。
意見がいつも合わず、考え方が全然違っていて、
生活の仕方もお互い受け入れられないため、
いつも母親に申し訳ないと思い、気が咎めていた。
金城武はここ数年ずっと彼にこうアドバイスしていた。
年越しには家に帰って、お母さんに頭を下げなさい、と。
彼の考えは大変シンプルで、
ジェネレーションギャップは所詮埋められないのだから、
不愉快なことはすべて自分から頭を下げれば、
お母さんはきっと許してくれるよというものだ。

「とても勇気のいることだ。実行できないまま何年も経ってしまっているが、
でも心の中では彼の方が正しいとわかっていますよ」  (続く)
(智族GQ2009年12月号)



 BBS   ネタバレDiary  16:15 


2009年12月12日(土) 投票「台湾5大帥哥」

台湾在住のMihikaさんからお知らせです。
台湾りんご日報のサイトで、この投票を行なっているとのこと。
ところが、現在までの結果は……!!!

りんご日報娯楽トップページ右列の少し下に、こんな投票所ができています。

    
 

この人! と思う人にチェックを入れて、「投票去」をクリック。

投票締め切りは12月22日0時、1人3票まで投票できるそうです。



 BBS   ネタバレDiary   23:45


2009年12月07日(月) 「GQ」の表紙に登場

お知らせ次々頂いて、ネットで確認。
大陸(らしい)の「GQ」に登場、久しぶりに今の金城武を見せてくれました。
渋い……渋すぎる!!!

ここが大きな写真できれいです。
とりあえず、サイトにアップされた記事を。


超人気スター、金城武が雑誌「GQ」の依頼に応じ、
ファッショナブルな組み写真を撮り、自身について語った。

37歳にしてまだ母親と一緒に暮らし、19年も同じ事務所に所属する。
デビューから今日まで、友人達とは10数年もの交流が続いている。
台北に帰れば必ず屋台のカキそばと臭豆腐を食べに行く。
子ども時代の記憶では、この2つこそ、何よりもおいしいものだった……

人生でトップの座に来るのは感情だ。
愛情、肉親の情、友情、さらにはあらゆる信頼、あるいは頼る気持ちまで含む。
だが、彼の感情の処理の仕方はいかにも特別だ……

東京での4時間の取材で我々が見たのは、
これまでどのメディアが報じたのとも異なる金城武だった。
1人の現実の人間に戻り、もはや遙か彼方の巨星でも、きれいな人形でもなかった。
(新浪娯楽 2009.12.7)


 BBS   ネタバレDiary   19:45


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