武ニュースDiary


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2018年12月18日(火) 金城武の子ども時代(「PUSH偶像」より)��(完)

これで最後です。
ゆっくり、と言ったけれど、やり出したら、早く済んでしまいました。



「全部で8本のCMに出演し、ゴールデンアワーのドラマが1本、
CDも1枚出しました。
近いうち映画にも出ますし、香港での仕事も始めます」
金城武はわくわくしながら話す。
2年前、華視テレビの夜8時の人気ドラマ「草地状元」に出演、
その演技は目を引いたが、声は吹き替えだった。
中国語が下手だったからである。
プロデューサーの陳昇(ボビー・チェン)は武が育った背景をもとに、
台湾語の歌「お母さんの目」(後に「夏の話」に変更)を制作している。
母親との交流を歌ったもので、歌詞(注・呉念真 作)も曲も感動的で心に残る。

1年経つや経たずで、金城武は一躍有名になり、アイドルスターの座を手にした。
香港の映画会社が「東方三侠(ワンダーガールズ)」の続編に起用、
歌手としての活動もすこぶる好調である。
昨年末には本誌主催の「10大人気アイドル」投票の栄冠も獲得している。
デビューするや、いきなり若者たちが熱狂するアイドルとなったのである。
ややとつとつとした口調で武は言うのである。
「ぼくあまりうまくないのに、どうしてこんな大勢の人が投票してくれたんだろう?」

アメリカ式の教育を受けた彼は、台湾生え抜きの歌手たちとは反応の仕方が違っている。
番組でインタビューされると、よく風変わりなことを言い、
時には他の人にからかわれる。
みんながよく使う俗語もよくわからない。本当に知らないのである。
しかし、人はそれを大目に見てくれたし、
かえってそれが独特な効果を生み出してもいたのだった。

今、仕事は順調だが、もしもう一度やり直すとしたら、何をする?

「実は今まで将来何になりたいとか考えたことがないんです。
前はごく普通の学校の生徒で、毎日頭にあるのは、試験のこととか、成績のこととかでしたけど、
ただ、1つだけ考えていたのは、サラリーマンにはならないってことです。
9時5時の生活はぼくには合わないと思う。
だからそうなりたくない。
でも、芸能人になるとは思ってもみませんでした」

では、芸能界に入ってなかったら?

「牛肉麺の店か、でなければ水餃子の店を開こうかな、なんて考えたことはあります。
お母さんの作る水餃子と牛肉麺は最高なので。
色々な店で食べるけれど、やっぱりお母さんのが一番おいしい。
もし店を持ったら、毎日ただで水餃子と牛肉麺が食べられるじゃないですか!」
まことに無邪気な答えである。

競争が激しく新人が絶えず輩出する芸能界で、
武が一番自信を持っているのは何なのだろうか? また一番心配なことは?




自分への要求は高く、期待に背かない

武はきっぱりと言った。
「自信があるのは、自分の個性です。
ぼくは取りつくろわないし、ぼくはぼくだと思っています。
CDが作り上げたぼくではない。
一番自信があるのは、自然で嘘がなく、縛られない人間だということ。
一番心配なのは、自分自身への要求を高くして、
支持してくれる人たちを失望させたくないと願っているけれど、
意志の力も能力も、まだ足りないから、みんなの期待に応えられないんじゃないか、
失望させるんじゃないか、ということですね」

昨年、ピカピカの新人として、早くも10代アイドルの座を勝ち取った。
武は興奮を隠さない。
「ぼく、本当にびっくりしてしまって、でもとても嬉しかった。
生活も180度変わってしまいました。
してはいけないこともあるし、行けない所もある。
アイドルとしての制限はいろいろあるけれど、
でも、ぼくにとっては、それらはどれもまっとうなことだと思います」

金城武の恋愛については諸説紛々であるが、彼は一体どんな女の子が好みなのだろう。
異性についてどう考えているのだろう?
武は言う。「世界で一番わかりにくいのが女の子ですよ。
この世が終わりになることを除いたら、女の子が泣くのが一番いやです。
泣かれると、本当にどうしていいかわからなくなってしまうんだもの」
その武も、中学高校時代、2人の女のこと付き合ったことがあると認める。
高校のときは、環境の変化で付き合いを続けられなくなり、
終止符を打たざるを得なかった。

どんな女の子にピンと来る?

「美人じゃなくてもいい、印象に残る人、個性があるとか、
その人なりの特色があると感じられたら、好きになると思います」

仕事と恋愛、どちらが大事?
1つだけ選ばなければならないとしたら?


「その人と本気で好き合っていたら、仕事は諦めます。
ぼくは感情を大事に思うたちで、友達は、男でも女でも、すごく大切です。
だから、愛情と事業だったら、もちろん愛の方を選びますね」

恋愛は焦らず

女の子との交際に関しては、
家族は、アメリカンスクール時代に付き合っていた子が1人いたことしか知らない。
後にその子はアメリカの学校に行ってしまったので、交際は文通だけになった。
両親は20歳になったら、何事も自分で決めなさいと言っているが、
結婚については、
「経済的基盤ができてからするべきで、その方がどちらにとってもいい。
仕事と愛情の両方をきちんとしなくては」という考えだ。

万事おっとりしたイメージで、実生活でもぼうっとしている武は、
野心など全然ないように見える。
だが、実力を伸ばそうと真剣に努力しており、
一歩一歩努力を積み重ね、夢を実現していこうとしている。
なぜなら、見かけだけのアイドルでは、当人自身が自信を持てないからだ。
武は実力を備えたアイドルになりたい。
何事にも全力で当たり、自身に恥ずかしくないようになりたいというのが、
今一番の願いである。
みなさん、武に最大限の祝福を! 
彼はきっと力いっぱい取り組んでいくことだろう!
(完)


以上です。いくつかのエピソードは、他の所で読んだことがあるのではないでしょうか。
ただ、他の記事と矛盾する記述もたくさんあります。
コインを呑み込んだときの状況とか、付き合った女の子も、ここでは2人とありますが、
アメリカンスクール時代が初恋と書いてあるものもあり、
また初CMに出ることになったいきさつが少し違っていたり、
フーロンと契約するときに両親は反対しなかった、と書いてあるものもあります。

このDiaryでご紹介した記事としては、
「金城武自伝」→ こちら
「偶像物語」 → こちら
ほか、いくつか昔の話がありますので、比べてみると面白いかもしれません。

今回の記事が一番古いし、お母さんに話を聞いているので、信ぴょう性が高いかというと、
記者がまとめているので、必ずしもそうとは言えません。
本人がしゃべっている動画が一番生の資料と言えそうです。
ただし、とても小さい頃のことについては、お母さんの方が正しいかもしれない。
台湾の(中国もだけど)娯楽記事は結構いい加減で、
ファクトチェックなんかしてないんじゃないかと思うことが多々あるので、
後は読者の読み方ですね。

あと、この記事ではアイドル紹介記事だからでしょうか、
日本人学校での辛かったことなどには、ほとんど触れていません。

もう1つ、�,播昇椶靴拭⇒弔ど陲�抱っこされている写真で、
抱いているのはお母さんだといつも書かれますが、この記事にはキャプションはありません。
私は前からお母さんはもうちょっと若い感じではないかなあ、と何となく思っているのですが。
この記事ではお手伝いさんが一緒に住んでいたとありますが、
武は別のところでお祖母さんが一緒だったと言っています。
なので、そうだとしたら、これはお祖母さんじゃないのかしら?

武のお母さんは全然表に出てこない人で、少なくとも私は、
アニタ・ユンとの「香港犯罪ファイル」撮影中に現場を訪ねてきた両親の写真ぐらいしか知らないのです。
(ですから、今回の記事は直接お母さんに取材したらしいということでも、とても貴重でした)
その写真も斜め後方からで、鼻筋の通った端正な顔の方らしい、ぐらいしかわからず。
昔、日本人学校に、武兄弟と同じバスで通っていた人の思い出で、
武のお母さんのことを、子どもながらに「楊貴妃とは、こんな人だったんじゃなかろうか」
と思ったとありましたね。


   BBS   ネタバレDiary   15:30


2018年12月17日(月) 金城武の子ども時代(「PUSH偶像」より)��

続きです。


活発で、人に好かれる

お父さんはよく休暇を利用しては、
一家を南部屏東にあるウナギの養殖場に遊びに連れていった。
武はウナギを見るのが好きだったし、池のほとりや田んぼの畔で小エビを捕まえたり、
魚を眺めたり……また楽しからずやである。
自然が好きな武は、小さい頃から丈夫で病気が少なかった。
今もめったに病気はせず、丈夫だそうである。
肉が好きで魚は嫌い、ただ寿司は大好きだ。
武の良い体格は、刺身と深い関係があるのではなかろうか……。

日本人学校に入学後は、学業面でのプレッシャーはなく、宿題もなかった。
せいぜい家で日記を書いてくることぐらいだ。
成績はごく普通だったという印象を、お母さんは持っている。
その代わり課外活動にはよく参加していたという。
学校の水泳代表チームに入り、他の日本人学校としょっちゅう対抗試合をしていた。
また、バスケットボールも上手だったが、活発でじっとしていない武は、
剣道のクラブにも入り、勇ましい剣道着一式を持っていた。
しかし、新しもの好きで、何事にも熱意が長続きしないため、
あれを習い、これを習いしては、3カ月、あるいは1年で熱が醒めてしまう。
これが彼の特徴の1つなのだ。

可愛い金城武は、学校の運動会ではいつもリーダーを務めた。
日本人学校の運動会にはオープニングの踊りがある。
武は1年生から9年生(中学3年)までずっと、
壇に上がり、法被を着て鉢巻を巻き、短パン姿でみんなを指揮した。

台湾語が話せたことで、武は日本人学校の先生たちのお気に入りになった。
台湾語ができ、かつ、台北の美味しい店や面白い場所をよく知っていたからである。
それで、武はたびたび先生方を食堂に案内してあげたし、
どこが面白いか、労苦をいとわず先生や同級生に教えてあげた。

もともと、気が小さく背も低かった武は、決して1人きりで家にいようとはしなかった。
恥ずかしがり屋で気が弱く、いじめられることがよくあったが、
自尊心の強い子だったので、泣いて帰って家の人に訴えるようなことはめったになかった。
思春期になり、背が急に伸びて、性格もだんだん強くなると、
誰も彼を面白半分にいじめるようなことはできなくなった。

学校ではこのように活発だったが、相変わらず両親の言うことをよく聞くおとなしい子で、
土日に同級生と遊びに行く以外は、ほとんどの時間を家で漫画を読んだり、
ゲームをしたり、“卵を孵し”たりして過ごした。
卵を孵す? 
つまり、武は一時期、小鳥を飼うのに熱中し、
興味津々で様々な小鳥を買ってきたのである。
果ては卵を買い、引き出しに入れて、電灯で温め、一生懸命孵そうとした。
注射器を使って小鳥に餌をやったりもした。

特にお気に入りだったのは太陽鳥で、暇さえあればこの鳥に言葉を教え、
一日中ひそひそ囀りながら楽しんでいた。
ところが、冬に気温が下がり、小鳥が寒がるのではないかと心配になった武は、
寝る前、眠気でぼうっとしながら綿を小鳥にかけてやった。
翌朝、なんと小鳥は死んでいた――かわいそうに、窒息したのである。
武は身も世もなく泣き、一日中打ちしおれ、ふさいでいた。


中学時代。後列右から2番目

自由だった学校生活

日本人学校の9年間を終えると、日本に行って進学するかどうか悩むことになる。
幸い住まいが天母だったので、アメリカンスクールに進学するという選択肢もあった。
しかし、自由で開放的な校風を、武の両親は心配した。
このよい子が、アメリカンスクールで悪いことを覚えてしまうのではないか。
そこで、初めに3つのことを約束させた。
1 大麻やタバコは吸わない、2 男女の関係にならない、
3 喧嘩はしない……夜12時前には必ず帰宅すること……

武は後にタバコを覚えたが、内心では気が咎めていた。
彼はこう説明している。
「学校の休みを利用して、友達とレストランでアルバイトをしたんですが、
支配人が本当にきつい人で、ぼくらにわざと面倒をしかけてくるんですよ。
それで気持ちが腐ってしまい、友達につられてタバコを覚えてしまいました」
それでも、この悪い習慣を止めたいとは思っていた。

一般に反抗期の子どもは、跳ねっ返りの行動に走るが、
金城武は腕白であっても、家の決まりにはきちんと従った。
お父さんが一と言えば一なのであり、口答えはせず、必ず従った。
台北に帰ってきている間、お父さんは夕食後の時間を利用して家族会議を開いた。
そして注意深く子どもたちに尋ねる。
「私がいない間、学校でどんなことがあり、どう解決したか、どう対処したか?
どんな困難があったかな?」
父と子は誠意をもって問題に当たり、率直に話し合った。
気の置けない親子の交流であり、たとえいつもそばにはいなくとも、心は常に通い合っていた。

父親の威厳を武は尊敬して、こう話す。
「お父さんは仕事がとても忙しいから、ぼくらと接する時間が少ない、
だから、ぼくらのことを知るのは難しい。
他の日本人のお父さんが大体そうであるように、
時間をかけて初めて理解することができます。
本当はお父さんはぼくらのことをとても考えていて、
ただその表現の仕方が、お母さんとは違うところがあるというだけです」

アメリカンスクールに入ってから、金城武も外見に気を遣うようになった。
特に土曜日の学校のパーティーには、必ずおめかしして出席した。
友達は多く、いろいろすることも多かったが、それでも必ず夜12時前には帰宅した。
アメリカンスクールでは、その優れた外見が、
またしても人の目に留まることになった。
美容院に行ったとき、CM制作会社の人が気に入って、CMに出演するよう説得したのだ。
そのとき、武は学校を休み、一家でアメリカに遊びに出発する前日だった。
名刺を見るなりお母さんは言った。
「CMに1本出るだけで3万元ですって? 騙されてるのよ、ひっかかっちゃだめよ」

アメリカのシアトルやカナダでは湖水地方を散策するかたわら、
お父さんは息子たちにゴルフを教えた。
武は興味を持てなかったが、次兄の方は大いに興味を示し、ゴルフ選手になろうと決心した。

武は兄と一緒に一足先に台湾に帰ると、内緒でCMに出演した。
そして生まれて初めての出演料1万元をもらい、お母さんに見せた。
とても嬉しかったそうだ!
父は武にゴルファーになってほしかったのだが、武はゴルフが好きでない。
そこで、「20歳になったら、何をするかは本人に決めさせましょう」
とお母さんが提案した。
お父さんは、
「この道に進もうというなら、本気の訓練が必要だ。
もし、ただ面白いからというだけの理由なら、3年ほどやってみて、
また自分でどうするか決めなさい」とよくよく言い聞かせた。

CMを撮ったのは面白そうだと思ったからだ。
ところが福隆(フーロン)事務所が目を留め、契約するよう、何度も声をかけてきた。
「あの人たちはぼくがバイクを買いたがっているのを知っていたんですよ」
結局、そのバイクゆえに武は説得されてしまう。
15歳で福隆と契約するとき、両親は強く反対した。
留学か、他の業種の仕事につくかしてほしいと願っていたからだ。
しかし、武は演技することに強い興味を感じていた。
CMだけでなく、ドラマやCDなど、どれも試してみたいと思っていたのである。
(続く)


あと1回です。
お母さんの話による文章はここら辺まで、以下は武へのインタビューが主になります。
この雑誌記事は、中国のファン、武のいた永遠さんが微博にアップして下さった画像によるものです。
ありがとうございます。谢谢。


   BBS   ネタバレDiary 13:45


2018年12月16日(日) 金城武の子ども時代(「PUSH偶像」より)��

先日ちょっとお話しした、台湾のアイドル雑誌「PUSH偶像」に掲載された、
金城武の子ども時代の話です。
お母さんが取材に答えて語った子ども時代の逸話を元に構成されています。
1993年発行だと思います(月号はわかりません)。
長いので、3回に分けて(ゆっくりゆっくり)。



無邪気でおかしな子ども時代

子ども時代の話を公開したことのない金城武が、
今回本誌「PUSH」のリクエストにこたえ、
特別に当時の可愛らしい写真を提供してくれた。
武は幼い頃から純真そのもの。
武のお母さんが、末っ子タケシのしでかした様々なことを話してくれたが、
言葉のはしはしには母子の深い絆が感じられた。
今回、愛読者のみなさんのために、武の今日までの歩みを独占取材でお送りしよう!




泣き虫でいつもお母さにつきまとっている――
これが子ども時代の金城武だ。
兄が2人おり、8歳年上と2歳年上である。
末っ子の武は、生まれたときは丸々太った赤ちゃんだったが、
気が弱く、泣き虫だった。
今の男らしい堂々としたイメージは皆無だったのだ。

お父さんは商売で台湾にウナギの買い付けに来て、
美しいお母さんと知り合い、結婚したが、
お母さんが日本の生活に慣れなかったので、台北に新居を構えた。
しかし、お父さんは仕事の関係でしょっちゅう台北と日本を行き来しており、
ときには台北に2カ月、日本に2カ月、という具合なので、
子育ての責任はみなお母さんにかかってきた。
幸い、お手伝いさんがいたので、いたずらっこ子たちを育てるのに
1人でてんてこまいする羽目にはならずにすんだ。


おぼつかない中国語と日本語で、笑い話が絶えず

台湾語を話したり日本語を話したりと、言葉の面での当惑は当初からだった。
その上、小さな子どもの話すことだから、武は隣近所の人をよく面白がらせていた。
家は天母にあり、小さい頃から天母三玉にある寺に行って遊んでいた。
特に草はらで遊ぶのが大好きだった。
ある日、お母さんが階下の雑貨店で、近所の人たちとおしゃべりをしていると、
武が得意気に走ってきて言った。
「おかあさん、おかあさん、と"に"がみさま、たくさんつかまえちゃった!」
雑貨店主が「え、息子さん、土地神様をたくさん持ってきてしまったの!?」と驚いたが、
武が握っていた“戦利品”を見て、はっと気づいた。
武が持っていたのはバッタだった。
台湾語のバッタ(草眠公)が言えずに、土地神様(土地公)になってしまったのである。
「ハーフの子のおしゃべりは本当に面白いよ」と、
人々はしょっちゅう武の言うことにおかしがり、武をからかった。




いたずら者で、驚かされることばかり

やんちゃはやんちゃであったが、お母さんは敬虔な仏教徒で、
よくお寺に参拝に行っていたので、武も必ずついていった。
時には参詣団に交じり、
観光バスで中南部まで1泊2日で出かけることもあったが、
これにも武は決まってついていった。
このように幼い頃からお母さんについてあちこちお参りに行っていたので、
武も自然、仏様の加護やお告げを信じるようになっていた。

またもやお母さんと一緒に観光バスで南部に参詣に行ったある日のこと。
車内でお母さんが目を離したすきに、このいたずら者は、
なんと哪吒三太子(なたさんたいし)の像の手から輪を抜いてきて、
自分の指にはめていた。
すると不思議なことが起こった。
それまでバスでは、大人たちが武に歌を歌わせ、
武は必ず大きな声でテレビのCMソングを歌っては、あちこち動き回った。
ところが三太子の輪を指にはめてからは、まるで仏様が乗り移ったかのように、
歌も歌わず、じっと席に座っていたばかりでなく、何か唱えているではないか。
その変わりように、みな大変驚いた。

武のしでかした事件はまことに多い。
幼稚園の年長組の頃、武はクリスマスイブに、
園からきれいなサンタクロースの絵の描いてあるコップを持ち帰り、
コインをコップに入れて、ソファで飛び跳ねていた。
そして大声でお母さんを呼ぶと、クリスマスの出し物をやってみせた。
夢中になって飛び跳ねる武に、大人たちは拍手喝采をした。
飛び跳ねるのが一段落すると、武はサンタクロースが水を飲む様子をまねして、
クリスマスのコップを持ち上げ、ごくんと飲んでみせた。

ところが! 3枚のコインまで呑み込んでしまったのである。
武は喉を詰まらせ、顔は青ざめ、ひどく苦しそうだ。
お母さんとお手伝いさんが手で喉からコインをかき出したが、
1つ残ってしまった。
どうしても取ることができず、武もびっくりして泣きだす。
お母さんが急いでお父さんに電話をすると、お父さんは聞くなり、
「すぐ帰る、だがちょうど帰りのラッシュ時間だ、どうしても遅くなる」、
だから、先に救急車を呼んで病院に連れていくようにと言った。
電話口ではお父さんの叱責の声が響いていた。
「大人2人かかって子ども1人見られないのか、何を見ていたんだ!」
事は急を要するので、お母さんはすぐに救急車を呼び、武を公立病院に運んだ。

病院で医者はまず武の胃をからっぽにさせ、
それから全身麻酔をして、胃の中のコインをつまみ出した。
「大人だって胃カメラは大変なのに、武は5歳だったんですよ」
お母さんはつらそうに言う。
「でも、あの子は本当に勇敢でしたよ。
胃の中を全部吐き出させても騒いだりせず、おとなしくしてました。
私はガラス越しに見ていたんですが、楽しそうなんです! 
看護師が手首にネームプレートを巻くと、とても喜んでいました」
全身麻酔をし、1時間かかって、取り出すことができたのだ。
3日後にまた病院に行き、喉を洗浄してもらうと、武はすぐに元気になった。

腕白ではあるが、兄たちとはほとんど喧嘩をしたことがない。
それというのも、家は二階建ての洋風建築で、スペースにゆとりがあり、
それぞれが自分の場所を持つことができたため、
1つの物を争って喧嘩するということが少なかったのだ。
電子ゲームをしたり、マンガを読んだり……
それが兄弟たちの子ども時代の遊びだった。

ただし、武は”解体大王“だった。
買ってきたラジオや電動おもちゃ、あるいはミニカーなどは、すべて武によって分解された。
ところが、元通りに戻せないので、
みんなバラバラで、完全な形のものはほとんどなかった。
お母さんはまた、武がハサミで
クマのぬいぐるみのお腹を切り開いてしまったのを覚えている。
「何してるの?」と聞くと、武はこう答えたそうだ。
「テレビのお医者さんみたいに手術したの」
まったくいたずら者だ!

お父さんは台湾にいるときは、よく子どもたちを連れて外に出かけた。
武はいつも小さい足を伸ばして車の窓ガラスにかけたり、
取っ手にのせたりして、悠々とくつろぐ。
実に幸せなひとときである。

登園に付き添うほかにも、お母さんはよく武を連れて市場に買い物に行った。
あるとき、武は市場でお母さんとはぐれてしまい、警察に保護された。
警官が「お父さんは何をしている人?」と尋ねると、
武は「ヒューヒューヒューッとする人」と答えた。
一日中飛行機で行ったり来たりしている人だということなのだ。
首にかけていた鎖に彫ってあった名前と住所から身元がわかったとき、
ちょうどお母さんが駆けつけ、母子は再会することができた。




コラム 
幼稚園時代の金城武はとても可愛らしく、人好きがし、
日本のCMに出てくる子のようだった。
当時から、CMに出ないかと誘われることがあった。
乖乖(グワイグワイ)食品もその一つである。
ただ、お母さんはいつもきっぱり言うのだった。
「だめです、うちの子が芸能界に入るだなんて。
ちゃんと勉強をして、仕事につけばそれでいいんです!」
両親の確固とした方針で、武が”子役スター“の道に進むことはなかったのである。
(続く)


   BBS   ネタバレDiary 18:30


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