2006年01月28日(土) |
常識、基準というものの不確かさ |
7ヶ月振りに日記を書きます。 この間に色々なことがありました…。 そのうち間を埋めるようにぽつぽつ書いていくかも。 あくまで予定は未定。
今日は大学時代の友人Aちゃんに会いに行き、8時間たっぷりおしゃべりしてきました。 楽しい話ばかりじゃなくて、社会に出て遭遇した呆れちゃうような人々の行状なんてのも俎上に。 自分では常識だって思っていたことが通用しない人がいたり、どうしてこんな簡単なことが出来ないんだろうって不思議に思うようなことがあったり。
私は自分をあまり要領の良い人間だと思っていないので、自分自身出来ることを平均、基準と考えています。 だから私以上に手際が悪かったり、慣れてもいない仕事で確認作業を怠る人間がいることが信じられない。 マニュアルがあるのに読まない、書類提出前に確認作業もしない人間の存在が到底理解出来ず、いらいらしてしまう。
そんな話をしていたら、Aちゃん曰くそれは考え方が間違っているんだって。 自分が中学生だった頃を考えてみればわかると。 私立でもなければ中学校というのは成績も何も関係なく、地域の人間が集まっている寄り合い所帯。 その中学校で自分の成績順はどの辺りだったのかを考えれば、自分の位置が自ずとわかるはずだって。
極論、暴論という人がいるかもしれない。 けれど私にはこの考え方とっても腑に落ちました。 高校や大学での能力差というのは、狭められた世界のそのまた細分化された差異なのだから、もっとマクロな視点で物事を考えなければいけない。 自分にとっては常識であっても、それを知らない人がいれば、それは常識ではなく非常識なのかも知れない、と考えてみることが大切なんだね。 基準、水準というものもいっそボーダーラインを意識しないくらいが精神衛生上良いのかも。 自分の能力を奢るでも卑下するでもなく、客観的に捉えられるようになれたら精神的にもっともっと楽になれるんじゃないかな、と感じました。
Aちゃん、ありがとう。 でもこの境地に到るまでのAちゃんの格闘を思うと涙を禁じえません(ノ_-) どうやら私がAちゃんのような悟りを開くには、まだまだ受難が足りないようです。
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